白詰草の約束

「お兄ちゃん、待って」
後ろから聞こえる細い声を置いて、僕は早足で歩いた。小さなチョコの足では到底追い付けないと知っていて、わざとそうした。『千夜子』という名が呼び難くて、僕は妹のことを『チョコ』と呼んだ。

「チョコなんて知らん」

僕とチョコとの距離はどんどん開いて、そのうち啜り泣く声が聴こえてきた。

「お兄ちゃ、ん、」
「お兄ちゃんちゃうわ」

息切れ混じりに、途切れ途切れに呼ぶチョコに向けて、冷たい言葉を投げ掛けた。刃のような鋭い笹の葉が、チョコめがけて僕の口から飛んでいった様に思えた。僕は立ち止まると、くるりと後ろを振り返り、怖い顔でチョコを睨んだ。

土手には夏草が緑々と生い茂っている。そのせいか、青臭い匂いが風に乗って薫ってくる。蝉の声に混じって、夕日を背に走ってくるチョコの声が届く。

「お兄、ちゃ、ん」

大きいサンダルをパタパタと鳴らしながら、汗だくで一生懸命な様子は、僕を更に苛々とさせた。視界の端で揺れている土手のねこじゃらしさえも鬱陶しい。

何が僕をこうさせるのか、自分にも解らなかった。ただ、突然現れた『父親』と『妹』のせいなのは確かだった。

息荒く僕まで辿り着くと、チョコは僕のシャツの裾をキュッと掴んで「待って」と言った。それを振りほどき、最低な事を叫んだ。

「お兄ちゃんちゃうわ。本当の兄妹ちゃうやろ」

チョコの固く結ばれた唇は震えていて、涙は器から溢れかえっている。ほろほろと、 ほろほろと。幼いチョコの涙は、玉になって綺麗に落ちていく。夕日を映す薄橙色のチョコの涙は、熱いアスファルトに吸われていった。

「お兄ちゃんやもん、千夜のお兄ちゃんや もん」

わんわんと、空を仰いで泣きながら歩き始めたチョコを追い抜いて、僕はまた早足で歩いていった。

「あん時はごめんなチョコ」
「ううん、お兄ちゃんは千夜のお兄ちゃん やから」
純白のドレスに包まれて微笑むチョコは、 お嫁に行く。

「幸せにな、」
白詰草の花冠をチョコに渡した。
「白詰草の約束、やで」


そんなほろ苦い幼い想い出から、一年ほどが過ぎた頃。相変わらず僕は、チョコが鬱陶しくて仕方なかった。

「なぁお兄ちゃん」
「あぁ」

いきなり現れて付いて回るようになったチョコのせいで、友達と遊べなくなった。野球をしている友達らを、いつも土手から見下ろしていた。草を千切っては投げ千切っては投げし、生返事を繰り返すだけ。

「千夜な、お兄ちゃんと結婚する」

突然そう言って、チョコは得意気ににんまりとした。吃驚して目を丸くし、「なんで」と訊くと「好きやもん」とチョコは言った。その顔を、僕は直視出来なかった。

「ずっとお兄ちゃんが欲しかったんよ。そ れで四つ葉にお願いしたら叶ったんよ」

チョコはさっきから額に汗を浮かべながら、白詰草で花冠を作っている。沢山の白詰草の花が、緑葉の中から背伸びして生えている。そんなもので幸せになったり、願いが叶うわけがない。ただの葉っぱで、どこにでも群生しているクローバーは、日陰であれば変異を起こしやすい。四つ葉どころか、五つ葉や六つ葉にもなる。じっと見詰める僕の視線の先にチョコが気 付いて、あっ、と声をあげた。

「お兄ちゃん、四つ葉」

チョコの瞳が輝いて、それはまるで夜空に咲く打ち上げ花火のようだった。チョコは四つ葉をポケットに注意深く入れると、いかにも大事そうにポンポンと、小さな手で優しく叩いた。

「お兄ちゃんもお願い叶いますように」

そう言って肩をすぼめて「ひひひ」と笑うチョコに、絡まった糸がするすると解けていくように感じた。

「チョコもお兄ちゃんも、幸せになろうな」 「うん、」

僕とチョコは、初めて笑顔を交わした。
「千夜と結婚してな」
花冠をチョコの頭に乗せて、僕はチョコを心の中に招き入れた。

『幸せになろう』という白詰草の約束に誓って、その日から僕は、チョコの幸福を祈るお兄ちゃんになった。

「おめでとう、チョコ」
「ありがとう、お兄ちゃん」
━━━あの日から、僕の妹
(彼、お兄ちゃんに似てたから)
(似てないし)
fin.

蜜月様提出 「血のつながりより深い絆」




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