黒くて苦くて甘くって
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※最終回後
「う…」
ショーケースの前で延々迷う人影が一つ。
実際にはもっと多くの人数が迷っている訳だが、彼女より長く悩む人は見受けられない。
「テレビで美味しいって言ってたのはいいけど…高い……」
一粒でこんなにするのと愕然とするリューナは財布の中身を確認する。
買えないことはないが、躊躇いは消えない。
彼がチョコを好きであることをリューナは知っているが、この値段をよしとするかは別問題である。
「…」
結局踵を返すリューナに、店員の「またお越し下さい」という言葉が刺さる。
とぼとぼという擬音語が相応しいリューナの足取りは重いまま、彼女を食料品売り場に向かわせた。
その道中で見つける手作りコーナー。
今年もこれかと手に取ると、リューナはレジへと向かった。
「ただいま」
「おかえり、遊星」
丁度夕食を作り終えたところに聞こえる彼の声。
玄関まで行って出迎えるリューナに、遊星は優しく微笑んだ。
「遅くなったか?」
「今日はそうでもないんじゃないかしら?」
「そうか」
「もう夕飯は出来てるわ…」
「ん?どうした?」
急に元気がなくなったリューナを案じる遊星の手には小さな紙袋。
しかも、それに書かれている文字は、日中に諦めた菓子屋のロゴ。
「…いえ、なんでもないわ。それより夕飯冷めちゃうから、早くリビングに来なさい」
背を向ける彼女にかける言葉はみつからない。
ああ、と返事をして、遊星は後に続いた。
「…どうしようかしら」
ベッドの上に腰掛けるリューナの横には氷龍が1体。
遊星が風呂に入っている間、主人の悩みを聞かされるグングニールは頭を傾げつつも傍に寄りそっていた。
「…遊星のばか…」
その言葉を何度聞いただろうか。
そろそろ耳にタコが出来そうだが、従順なグングニールにそれを言う勇気と発想はない。
『主…』
「貴方はどう思う」
先程までとは違い、意見を求める主人の眼光は厳しい。
突然のことに慌てるグングニールは、なんとか頭を働かせた。
ドゥローレンならどう言うか、ガンターラならどうするかを考えても何も出てこない。
何より自分の考えを聞きたいという事実が、氷龍を追い詰める。
『…我は…』
「どう?」
『…よく分からぬが、主が一番いいと思うことをしたらいいと思う。自分で納得して、後悔しない方法を』
「…それが難しいのよねぇ」
冷蔵庫の奥底に隠したものを頭に思い描いてリューナはベッドに沈む。
次第に眠気が襲ってきて、彼女の目が閉じられた。
「遊星の…ばか」
『主…』
グングニールの呼びかけに答えることはない。
やがて聞こえてくる寝息に、氷龍は溜息を吐いた。
空気が凍りベッドが出来ると、そこに彼も横たわる。
しばらくして戻って来た主人の想い人に『もう寝てしまった』と伝えると、彼は困ったように笑った。
「…そうか」
『貴殿はどうされる。まだ起きているのか?』
「明日は休みだからな。もう少し起きていようかと思ったが…リューナが寝ているのなら起きていても仕方がない」
そっと、リューナを起こさないように布団に入り、彼女を抱き締める。
グングニールにおやすみと言って、遊星は電気を切った。
暗闇の中でも、彼が主人に、丁寧に布団をかぶせるのが見える。
ひとまずはお役御免だと、グングニールも休むことにした。
『"仕方がない"…か』
どう転ぶかは分からないが、主人が傷つくのならばそれが誰であれ容赦はしない。
意識が遠のく直前まで最善の答えを見つけようと、氷龍は考えを巡らせていた。
そして翌日。
バレンタイン当日の朝は、いつもと変わりなかった。
ざわめくリューナの心とは正反対に、時間も、天気も穏やかにすぎていく。
部屋でくつろぐ遊星も穏やかにコーヒーを飲んだりして。
あれを渡すタイミングはいくらでもあるのだが、中々リューナはそうしなかった。
そうしたがらないと言った方が正しい。
昨日遊星が持って帰ったものの存在が、未だ彼女に重くのしかかっている。
どうして食べないのか不思議だが、食べられてしまったらもうタイミングは永遠に来ない気がする。
それでも、と冷蔵庫と遊星を行ったり来たりする視線はせわしなく、とうとう彼に口を開かせた。
「…どうかしたのか?」
「えっ」
「さっきから落ち着かないようだが…」
来いと言わんばかりに自分の膝を叩く。
手を広げてリューナを待つ遊星は、心配そうな瞳を彼女に向ける。
確信犯なんじゃないのかと思うが、その眼差しは疑いようがない程まっすぐで、リューナは大人しく彼の前に移動した。
「来てくれ」
両手を広げて構える遊星はとことん優しい。
素直に彼の膝に着席すると、遊星の腕が腹に回った。
そっと抱き締めて、リューナを落ち着かせる。
「何か言いたいことがあるのか?」
「…」
「聞かせてくれ」
宥めるように力を込めて問う。
あまりの穏やかさに何と言ったらいいのか分からずに、リューナは逆に閉口してしまった。
「…」
「…」
急かすことはしない。
結局何も思い浮かばなかったデッキの中の氷龍も、どう転ぶかを待っている。
「…ねえ、遊星」
「ん?」
「今日は…その、…バレンタインデーだけど…」
「ああ、そうだったな」
「…欲しい?」
「ああ、是非」
くれるのか、という期待を込めた視線はリューナの視線を穿つ。
遊星の膝から降りて冷蔵庫に向かって、彼女は箱を一つ持ってきた。
「…はい」
「ありがとう」
とても嬉しそうに笑う遊星は、一瞬だが子供のようにも見える。
開けてもいいかと聞く彼に耐えきれずに、リューナは首を縦に振った。
しゅる、とリボンが擦れる音の後に、とうとうそれが光を浴びる。
可愛らしいカップに入ったチョコは、遊星に感嘆の息を漏らさせる。
「リューナが作ったのか?」
「ええ」
「すごく美味しそうだ…」
「そうかしら」
「ああ…食べてもいいか?」
「…どうぞ」
許可を得た遊星は、一つ摘まんで大事そうに咀嚼する。
本当に美味しそうに食べるものだから、リューナもつられて嬉しくなる。
「…美味しい?」
「ああ、美味しいぞ」
「それは何より」
でもきっと、あれに比べたらそうでもないんだろうなと思うと悲しくなる。
眉が下がったのを見逃さなかった遊星は、再びリューナを腕に収めた。
「…昨日から元気がないが…何かあったのか?」
「べ、つに、…何もないわ」
「嘘だな、何かあったんだろう」
鋭すぎる遊星はリューナを離さない。
言わないとずっとこのままだと言わんばかりに密着する彼に、とうとうリューナは根を上げた。
「貴方昨日…チョコ貰って来たわよね」
「…ああ、開発部から貰った。義理だと思うが」
そんな訳ないだろと思いながら、本当にそう思い込んでいる可能性があるのが怖い。
「そこのチョコね、テレビで美味しいって言ってて。私も買おうと思ったけど高くてやめたの」
「そうなのか」
「ええ。…そっちの方がやっぱり良かったかなと思って…」
「何を言ってるんだ?」
リューナを抱き直して、更に密着する。
愛しさを全てぶつける遊星はリューナに抵抗させる気を失わせた。
「リューナがくれるものが一番嬉しいに決まっているだろう」
「…!」
「手作りでも、買ったものでも、リューナの気持ちが籠っているなら、俺はそれが嬉しい」
「…どんなに美味しいチョコよりも?」
「当然だ。それに、リューナが作ってくれるものが一番美味しい」
「…!!」
ぎゅう、とリューナも遊星に抱きつく。
させたいようにする遊星は、ありがとう、と言ってさらに力を籠めた。
グングニールの「やれやれ」という呟きは、誰にも聞かれないまま雪の結晶になって、溶けていった。
「…でも、やっぱりこれ美味しい…」
「そうか」
開発部から貰った、というチョコを胃に収め、リューナは悔しそうに顔をゆがませる。
「そんなにリューナが食べたかったのなら、買ってこればよかったな」
「? 私が食べたい訳じゃないわよ。貴方にどうかなと思って…」
「え?」
「え?」
お互いに顔を見合わせて訳が分からないという表情を向ける。
「貴方、だってチョコ好きでしょう?」
「まあ好きは好きだが…リューナがくれたチョコ以外は口にする気はおきないな」
「…なんで」
「何でって…分からないか?」
不敵な笑みを浮かべる遊星がリューナに迫る。
顔を赤くしながら逃げようとする彼女の腕を握って、彼は更に笑った。
「俺が好きなのは、リューナだけだからだ」
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「チョコはこの後夢主が美味しく頂きました」みたいなパターン。
ちょっと時間を置いてマーサハウスでも頂かれるとかなんとかだと平和。
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