ジャックと仲良くなる話
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「ねえ遊星、ちょっといいかしら」
そう遠慮がちに声をかけられた青年は、声をかけた少女のほうを見る。
「どうしたんだ」
「流しの上にあるボウルを取りたいのだけど、手が届かなくて。踏み台みたいなのってないかしら?」
そう言えば今日の料理当番は彼女だった、と遊星は思いだした。
「それが、踏み台はないんだ。俺がとってやれればいいんだが、今手が離せないんだ」
昨日完成した新しいDホイールのプログラムをインストールしたついでに、メンテナンスもしているらしい。彼の手も顔も、煤で黒くなっていた。
工具を置いたかと思えばまた違う工具に持ち変える遊星は本当に忙しそうで。リューナは仕方がない、と腰に手を当てた。
「クロウは配達だし…ブルーノのスクーターもないわね」
「お使いに行ってもらっている」
となると、残っている人物は。
「ジャックがいるはずだ。あいつを使えばいい」
赤い遊星号の隣にあるホイール・オブ・フォーチュンをちらりと見たリューナに、遊星は言った。
「…私、ジャック苦手なのよね」
「悪いやつじゃないぞ」
「そんなの分かってるわ。…ただ、ちょっと怖いのよね」
そう言うと、彼女はパソコンの前の椅子に腰かける。視線は遊星ではなく、誰も入ってこないドアに注がれていた。
「…怖い?」
手をとめず、目はDホイールを向いたまま、問いかける。
「背があんなに高いと、威圧されているような気がして…ブルーノは平気なのに」
ジャックとリューナでは、身長の差は30センチ以上あるし、加えてブルーノとは違いジャックは尊大である。おそらく、というか確実にキング時代に染み付いてしまった態度だろうし、相手が「威圧されている」のなら、キングのそれとしては最もふさわしいのであろうことは、遊星もなんとなく想像できた。
だが、仲間は威圧する相手ではない。しかし、おそらく今すぐにあの態度は治らないだろう。
遊星は一瞬手を止めたが、すぐに再開し、口を開いた。
「いつもの態度で向き合ってやればいい。おそらくまだお互い仲間だという認識が足りないんだ、と俺は思う」
「…そうね、言ってみるわ」
踵を返し、階段を上がっていくリューナを見送って、彼はまた別の工具に手を伸ばした。
「ジャック、いるかしら」
彼の自室のドアをノックした後、遠慮がちに開く。
「どうした」
何かの本を読んでいたらしい彼は、それから目を離し、少女と向き合う。
たったそれだけなのに、リューナの額からは汗が流れた。
「あの、ね、ボウルをとって欲しいの」
「…分かった」
本にしおりをはさみ、ベッドから身を起こす。すんなり自分の要求が通ったことに、リューナは安堵した。
「で、どれだ?」
キッチンに移動し、流しの前に立つ。
観音開きの扉を開けると、ジャックはリューナの方を向いた。
「ええと、あれなんだけど」
クリーム色のボウルを指差した彼女は、次にとんでもないことを言い放った。
「じゃあ取るから、四つん這いになってくれる?」
「なっ、何故俺がそんなことを!?」
「遊星が言ったのよ。ジャックを使えって」
働いていないことへのあてつけがここまできたか、とジャックは頭を抱える。
ぐ…、と理不尽そうな顔をしたが、彼はおとなしく床に手のひらと膝をつけた。
「これでいいか」
「ええ、乗るわよ」
ブーツを脱ぐと、そっと彼の背中に足を乗せる。両足が乗ると、ちょうど正面にお目当てのボウルがあった。
「とれたわ」
「…何をしているんだ…?」
ジャックの背にリューナが乗っている、という見慣れない光景を目撃してしまった遊星は、心底理解できないと言った表情だった。
「え、何をしているって…ボウルをとってもらったのよ」
「ゆうせえええ!!!!!仕事探しを少しさぼったくらいでこのあてつけかああああ!!!!リューナも早く降りろおおおおお!!!!!」
あ、ごめんなさい、と詫び、背中から降りた少女を、未だに不思議そうな眼で彼は見ていた。
「あてつけ?」
「そうだ、ボウルをとるのに俺を使えと言ったそうだな」
「ああ。整備をしていて手が離せなかったからな」
「俺に踏み台の代わりになれと」
「それは違うぞ、お前の身長なら楽にボウルがとれると思っただけだ」
つまり、遊星は「ジャックにとってもらえ」というニュアンスで「使え」と言ったと。
合点がいったジャックは、ちらり、とリューナを見た。
「…あ、その、ごめんなさい…」
ボウルで顔の半分を隠し、謝罪する。
その表情から、決してわざとしたことではないこと、素で勘違いしていたことが伺え、ジャックももうこれ以上責める気が失せてしまった。
「最初に踏み台のことを話していたんだ。おそらくそれで勘違いしてしまったんだろう」
助け舟を出す遊星に、ジャックは、フン、と鼻を鳴らす。
「もういい、わざとではないんだろ」
本を再び読み直そうと、彼は自室に戻ろうとする。が、それを遮ったのは、他でもないリューナ自身だった。
「…なんだ」
「…その、ありがとう」
少女を一瞥すると、ジャックはニヤッとした笑みを浮かべる。表情の移り変わりに、リューナは一歩下がった。
「…お前はSなのだな」
「!?」
何を言われるか、とびくびくしていたリューナは、それを聞くと思いっきり表情を崩した。
「まさかお前に踏み台にされるとは思わなかったぞ」
対象的にジャックはふふん、と勝ち誇ったような顔を見せる。遊星もそれには同意のようで、珍しく声をあげて笑った。
「ちょっと、遊星も…!?」
「いや、すまない…だがあんな勘違いをするとは思わなくてな」
いたたまれなくなった少女は手に持っていたボウルで、顔を完全に隠す。しかしそれは一瞬で、すぐにいつもの表情に戻った。
「あなたも、ずいぶんと素直なのね。ジャック・アトラス」
ぴく、と反応を見せる。それを知ってか知らずか、リューナは続けた。
「遊星が言った、と言ったのは私だけど、もう少し疑ってもいいんじゃないかしら。四つん這いになれなんて、普通おかしいと思うでしょう」
「ぐ、それはそうだが、仲間の言うことを信じぬ輩がどこにいると…」
そこまで言うと、今自分が何を言おうとしたのか自覚したらしく、顔を赤くする。
「ジャック、私を仲間と思ってくれているの?」
「当然だろうが!」
こうなればヤケだと言わんばかりに、ジャックはまくしたてる。
「仲間でもないやつと一緒に住めるか!お前がこの家に来てから何日が過ぎた!その間俺が出ていくとか、俺がお前に出ていけとか、そういう事を一度でも言ったか!」
言い放った後、彼は踵を返し、自室に戻る。その姿が見えなくなると、遊星はリューナに一歩近づいた。
「まだ、苦手か?」
「…いいえ」
リューナが頻繁にジャックに話しかけるようになり、クロウとブルーノを驚かせたのはまた別のお話。
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