柳と切原 | ナノ
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 仁王に騙されてせっせとグラウンドを走り続ける、小さな子どもを見つめる。


「ねぇねぇ、蓮二はあの子、どう思う?」


 斜め後ろの蓮二にそう問いかけると、いつものようにノートを捲る音が聞こえた。その手を叩き落としてしまいたい衝動にかられる。


「そうだな、非常に将来有望な選手だと言える。叩けばいくらでも伸びるだろう」

「もう、そうじゃなくて」


 蓮二は感情を表に出すことをひどく嫌う。よく話す奴だから周りからはあまりそう思われないが、彼はあまり自分自身の意見を口に出さない。出すのはデータに基づいた結論のみだ。自分がどう思うか、どう感じるかは絶対言わない。それは蓮二のテニスにとってはいいことなのかもしれないけれど、俺たちにはそれが寂しいのだ。
 蓮二の周りは、絵で例えるなら木炭画のような風景だ。アンバランスさはない代わりに、どことなく影がある。うっすらと笑みを浮かべたりすることはあるけれど、それも本当ではない気がして、どれが蓮二の感情なのかわからない。
 せめて俺たちには感情を見せて欲しいのに、と思うことは図々しいのか。ふぅ、とため息をついて、少し遅れて入部してきたやんちゃな一年生に目を向ける。
あの子は、蓮二と対照的にひどく鮮やかだ。見ているほうがまぶしい、極彩色を周りに振り撒く。
 少しは変わるだろうか、と思ったのは、もう八方塞がりに近かったからだ。あの子の近くにいれば、彼も少しは。


「ねぇ、蓮二。お願いがあるんだけど」


 だから、これはダメ元のはずだったんだけど。







「柳センパイずるいっすよぉ!まだワンゲームしかしてないじゃないっすか!」

「うるさい。ずるいも何もないだろう。お前にばかり構っているわけにはいかないんだ」


 うろちょろとまとわりつくそれを無理矢理振り切ってこちらに来た蓮二を、くすくすと笑いながら出迎える。


「ずいぶん懐かれたようじゃないか」

「なにが。要はあいつは強い奴を倒したいだけさ」


 フン、と鼻を鳴らしながらノートを開くと、蓮二はすぐに目の前の柳生と真田の試合に集中し始めた。
 ぱらり、ページを捲る音は相変わらず穏やかだ。さっきのことで特に怒っている様子はない。そもそも蓮二は怒っても見た目には変化がないけど、それでも最近は少しだけ、わかる。
 ダメ元だったんだけど、と小さく呟くと、すかさず、何か言ったか?と聞かれて少し驚く。


「ううん、何も」

「そうか?」

「…あ、いや、言った言った」


 また聞いてみようと思ったのは、ただの興味だった。少しだけ変わってきたのはわかったけど、すぐに大きく変わるとは思っていない。


「ねぇ蓮二、あの子のこと、どう思う?」


 思っては、いなかったのだけど。


「別に、何も」


 ぶはっ、と思わず吹き出した。なにがおかしいんだ、と呆れる蓮二に、なんでもないと首を横に振る。
 だって、蓮二。
 別に何も、なんて。全然データに基づいてない。ねぇ蓮二、俺がその言葉が欲しかったんだってこと、知ってた?


「ゲームウォンバイ真田!6−1!」


 その声が響いたとほぼ同時に、軽い足音が後ろから聞こえた。それに蓮二が振り返るより早く、走ってきた黒いかたまりが蓮二にぶつかった。


「やーなぎせんぱい!試合終わりましたよ!もういいでしょ?相手してください!」


 ねえねえいいでしょ?とまだ高い声ではしゃぐその子をぼんやりと見る。この子が変えてくれた。おそらく、自覚の無いままに。
 望んでいたはずなのにどこかそれが面白くなくてわずかに顔をしかめると、フッ、と隣から笑い声が聞こえた気がした。


「仕方ないやつだな、お前は」


 やんわりと笑う、その表情をはじめて見て。
 綺麗だと、心底思った。




(その瞬間、彼の周りはやわらかに色づいた)





長谷川さんへ