柳 | ナノ
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私のこの想いは日毎に変化し続けて、一度として同じ場所に留まろうとはしないのです。







 するすると教科書をなぞるその指も、伏せられた優しい黒瞳も、和歌を読み上げる涼やかな声も。むかしから、彼の全てが好きだった。でも。


「契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは」


 五、七、五、七、七。斜めに区切り線を入れたノートを覗き込んで苦笑する、その目はあまり好きではない。


「なに?」

「いや、その方法はあまりいいやり方ではないと思うが…」


 まあ好きなようにやれ、と子ども扱いするように撫でるその大きな手は嫌いだ。こうしたほうが、ああしたほうがというその言葉も。


「これは恋の和歌だ。平安時代の、清原元輔という歌人が詠んだ」

「へえ、男が詠んだんだ」

「そう。単語は調べてあるか?」

「うん、ある程度は」


 そういうと軽く笑って、ではあとこの助動詞の使い方を、と教科書に丸を付けられた。電子辞書に伸ばそうとした手を、軽くパシリと叩かれる。
 昔は蓮二がアドバイスをくれれば、喜んでそれに従っていた。でも、それが嫌になったのはいつだったか。多分、反抗期みたいなものだったと思う。段々と強情に蓮二の言葉を受け入れなくなっていく私を、さみしそうな瞳で見つめていることは知っていても、いやだいやだと、子供のように蓮二を困らせるようになった。


「わかったか?」

「え、と。やくそくはない、いや、なかった、か。袖をしぼりながら、末の松山を波が越さないように?」

「…まぁ、及第点、か」


 そういってまた苦笑いした蓮二は、私がゴチャゴチャと文字を書いたところに、綺麗な字で何かを書き足している。その、細長く整った字が大好きで、それに似せようと一所懸命練習した。それを見せると嬉しそうに笑ってくれて。彼の笑顔には今でも弱くて、今でも大好きだ。


「袖をしぼる、というのは涙に濡れた袖をしぼるということから転じて、涙を酷く流すという意味だ。それに末の松山というのは歌枕、まあつまり地名だが、末の松山が波を越すことを起こり得ないことの比喩に用いる。二つとも現代語に近いが和歌には様々な意味が含まれるからな。きちんと調べた方がいい」

「…はあーい」


 ああもう説教くさい。こういうところが嫌だ。
 昔からスタンス自体は変わっていない。蓮二が私の面倒を見て、たまに叱られて、それに私が返事をする。ただ、私の気持ちが変わったのだ。昔は好きで仕方なかったのに、今は私と一緒にいてくれる喜びよりも、単純に嫌だと思ってしまうことが多い。
 その時の気分によってころころと姿を変える気持ちが、不安で仕方ない。昔は、ただただ好きなだけでいられたのに。



いつか私のこの想いもどこかに移ろってしまうかと思うと、こわくてならないのです。






「つまりこれは女性の心変わりを嘆く和歌だな。昔どんなことがあっても離れないと誓った約束は、結局果たされませんでしたね、と」


 見透かされたような、そんな声にみぞおちの辺りがひやりとした。
 この女性も、そうなのだろうか。昔は離れることなんて考えられもしないほど好きなだけだったのに、だんだん嫌いなところが増えて、そしていつか。
 いつか、私と蓮二も離れてしまうのだろうか。

 どうしてこんな風になってしまったのだろう。それが成長なのだと、蓮二のお姉さんはそういうけれど、こんなことになるのだったらずっと子供のままでいたかった。こんな哀しい和歌なんて教えてもらわなくていいような、子供のままで。


「どうかしたのか?」

「…ううん、なんでもない」

「…そうか。ではどこかわからないところは?」

「ないよ。大丈夫」


 ありがとう。
 そういうと、ひどく嬉しそうに笑って、くしゃりと頭を撫でてくれて。さっきは嫌だったその大きな手が、今はとても心地いい。
 忘れてた。私は昔から、蓮二の笑顔が大好きで、蓮二の笑顔に弱い。それまであった嫌なことなんて全部忘れてしまって、嫌いな仕草は全部好きな仕草に変わる。
 大丈夫、と囁く澄んだ声に頷き返すことはもう出来ないけど、私を覗き込んでくるその瞳が私をうつして、その笑みを浮かべる限り。私は彼を好きでいられるのだと、そう思った。




変化し続けるなかで、移ろってゆくなかで、それでも変わらないものがあるのだと、信じるのは間違いでしょうか。




末の松山 波越さじ







葛餅さんへ