久々知と二郭2 | ナノ
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「二郭、」


 壁をつくるために、昔とは違う呼び方で呼ぶようになった。
 それに気づいているはずなのに、何もないかのように振り向く伊助の、けれど短く切られている髪に引く、結い上げられたしっぽが見える気がした。

 細すぎて、絡まって仕方ないんです。
 そう愚痴りながら、斎藤直伝の梳かし方で色素の薄い細い髪に櫛を通すのを、端から掬い上げて遊んでいた。そうすれば邪魔しないでくださいと怒られて、ごめんごめんと謝りながらも性懲りもなく繰り返した。
 伊助はあまり好きではないと言っていたその髪は、けれど手入れの良さか、ひどく手に馴染む感触が心地よかった。
 そういえば、ならもっとがんばって手入れしますね、と言っていて。
 ただ「嬉しい」だけではない、そんな性格が好ましかった。


「―――久々知先輩?どうかしましたか?」

「っ…、ああ、いや」


 大丈夫だ。
 そういって思わず手を載せた頭には、当然結い上げられて飛び出た尻尾はなくて。

(とらわれているのは、どちらだ。)

 胸に占める自己嫌悪に、たまらず手を離した。



 *




「ねぇ、久々知先輩。気づいて、いるんでしょう…?」


 いつも優しい笑顔を浮かべている伊助が、思いつめた表情をしてきたその日、ついに来たのか、とそう思った。
 気づかれていることは知っていた。けれど、伊助が気づかないふりをしてくれたから、前世の記憶など、まるで知らないふりをしていた。
 ひどいことをしているとは重々承知していた。けれど、それ以上に、もう二度と何も知らない子供に対して、過ちを教えてはいけないのだと。


「せんぱい。ぼくのこと、嫌いになりましたか?」

「…違う」


 ああ、これは。
 これは、あのときの再現だ。
 あの時も、俺は、「違う」とだけ言って、伊助はそのまま、何も聞かずに立ち去った。


「…昔も、同じことをおっしゃっていましたね。」

「…ああ」


 聞いてほしかった、と思った。けれど、聞かれなくてよかった、とも。だって、
 なぜ、なんて聞かれてしまったら、もう離れたくないと言ってしまいそうで。
 でも、今はあの時とは違うのか。
 汚れのない綺麗な指を涙にぬらすこともなく、彼は言葉を続けた。


「なら、せんぱい。前世で別れを告げられたにもかかわらず、性懲りもなくあなたに焦がれて、みっともなくあなたに追いすがる、ぼくは、」


 きらいになりましたか。


「っ違う!」

 ずるい、ずるい、ずるいよ伊助。
 知っているくせに、理解しているくせに。
 確かにお前を傷つけたのは俺だよ。ひどいことをいっぱいしたし、今もしている。それでも、
 いくらお前より年上だからと言って、傷つくことはあると言うのに。
 子供のようにこちらを顧みてくれないそれに、怒りも悔しさも悲しみも全部混ざって、すべて吐き出した。


「なあ、伊助。わかってくれよ。俺は、たとえどれだけお前を愛していたとしても、手に入れてはいけないんだ。」

「…なぜ、です。」


 すとり、なかば縋りつくように視線を合わせて、勝手なことを言う。顔をゆがませて問う伊助を、見ていられなくて目をそらした。


「ねえ、伊助。それはきっと気のせいだ。お前はまだ、俺しか知らないから、」

「気の迷いだとでも、言うつもりですか。」


 顔を伏せていたから、伊助の表情はわからなかった。ただ、低く押し殺した声はついぞ聞いたことがなくて、顔を上げようとしたけれど。


「ふ、ざ、けるな!」

「っぐ!」


 どん、と力いっぱい押されて、思わずしりもちをつく。驚いて顔を上げれば、泣きそうではない、ただひたすら怒りをこめたような視線をよこされた。


「せんぱい、せんぱい、あなたは結局会いに来てくれなかったけれど、ぼくね、ちゃんと学園卒業できたんですよ。そこそこいい城に雇われて、忍として生きた。ねぇ、知ってましたか?」


 知らなかった。そんな、伊助が忍として生きていただなんて、そんなこと。
 想像したことすらなかった。


「せんぱい。俺だってね、あの時代を、忍として生きたんですよ。汚い事だってもちろんいっぱいやったし、男とも女とも体を交わした。恋みたいなものだってしたし、結婚もした。けれど、ねぇ久々知先輩。」


 それでも、あなた以上はいなかったんです。


「知ってましたか、久々知先輩。ぼくはもう、何も知らない10歳のあほのは組じゃないんですよ。」


 そう言って、そう言い切って。
 それでも涙はこぼさない、そんな伊助に、ああ、と気づいた。
 こいつはもう、俺に守られるだけの存在ではなくなっていたんだ。


「ごめん、ごめん伊助、」


 するり、手を伸ばして包み込む。抵抗されるかと思った体は、予想外にそのまま腕の中にあって、ぐ、と強く首筋に顔をうずめる。二人でまとわせていた火薬のにおいはもちろんしないけど、そのかわり染料のつんとした香りがかすかにしたような気がする。彼は今も染物屋の息子なのだろうか。今の伊助のことをまったく知らないことに気づいて、けれどこれから知っていけばいい、と思って息を吸い込んだ。
 この子を俺が染めてしまうなんて、思い上がりもはなはだしかった。この子は、俺が染められるほど安くはない。彼は、自分で好きな色を決められるのだ。


「伊助、伊助。すきだよ。昔も今も、伊助がいい。」

「…うぅー…、せんぱいのばかぁ…」


 ばか、ばか、ばか、…すき。
 涙声で小さく言われた言葉に、思わず顔が緩む。
 この子が、俺を選んでくれたことが、こんなにもうれしい。

 そして、願わくば、その色をもう二度と変えないで。




 染められない藍色