三周年リクエスト | ナノ ×daily life noise,be happy
ドサリ、と重い音を立ててベッドに放り投げられて、思い切り腰を打ち付けてしまった赤也は思わず「ぐえ」とうめいた。
赤也の家のふかふかのマットレスとは違う、畳ベッドの上に布団を敷いた形状のベッドは衝撃をまったく吸収してくれない。痛い。けれど、そんなことをわざわざ口に出す余裕も、もうなかった。
「馬鹿者め。」
「う…」
「動けなくなるほどの熱を出しながら、練習に来る奴があるか。」
朝はそんな高くなかったし、いけると思ったんスよ、という言葉を、頭に浮かべたとて言う気力もない。第一、朝がどうでも、昼を過ぎた現在、自分の意志で体も動かせないほど、熱が上がりきってるのだから、そんなことを口に出したところでもう何年もの付き合いになる先輩に一蹴されて終わりだろう。
「…な、ぃ、………い、」
柳先輩、とその名前を呼ぼうとして、けれどその声は大半がかすれ声となって、暖房のかけられ始めたワンルームに溶けて消えた。
「とりあえず水分を補給しろ。持ってくるからそれまでは寝るなよ。」
エアコンと、続けて加湿器をつけたあと、かすかな声に反応して近寄ってきた柳は、厚手の毛布とふわっふわの羽毛布団をかけ直すと、キッチンに続く扉を開けて出て行ってしまった。正直喉がからっからに乾いていたから、ありがたかった。
頭が重くて動かせないから、目だけで部屋をくるりと見回す。前回来た時と何も変わらない。ごく一般的な、ワンルームのアパートの景色だ。全体的に片付いていて、本棚が赤也どころか、普通の学生の部屋などとは比較にならないほど大きくスペースを取られている以外は、よくいる大学生の一人暮らしの部屋だ。
中学、高校と番傘や筆を持ち歩き、あれだけ浮世離れした雰囲気を漂わせていた柳が、大学に入って住み始めた一人暮らしの部屋に初めて遊びに行ったとき、驚いたことを覚えている。
なんとなく、彼の一人暮らしの部屋は、彼のイメージそのままに、畳敷きの広い部屋に、ほとんど物のない部屋に、夜は押入れから布団を出してきて眠るような、そんな部屋だと思っていた。というか、彼の実家の部屋がそんな感じだったのだ。
驚いた、というよりも。
失望した、という方が正しかったかもしれない。あの時のことを振り返ってみれば。
サンタの正体を、姉ちゃんに知らされたときの感覚に似ていた。あれだけ浮世離れしていても、結局普通の人だったのだな、という。
中高の頃、赤也はどことなく、いつも自分より上にいるあの三人を、神聖視していたのだと思う。とくに柳はどんな時でも取り乱さず、いつも周囲とは違う空気をまとっているような気がしたから、真田とは別の意味で生まれてくる時代を間違えたのではないかと密かに思っていた。
けれどそんな柳も、一人暮らしの部屋はフローリングにカーペットを敷いていて、平べったいこたつ机やベッドが置いてあるし、台所にいけばゴミ箱にコンビニ弁当の空箱が入っていることもある。今日だって大学の部活中に赤也が倒れて、怒るという形であれ一番取り乱したのは柳だった。まずらしく怒鳴る柳を見たからということもあるだろうが、真田のほうが落ち着いていたくらいだ。
だけど今は、それでいいのかな、と思っている。昔の、どこか近寄りがたかった柳よりも、一人暮らしを始めたせいで少し所帯じみて、人間臭くなった柳のほうがとっつきやすい。
「遅くなった、赤也。ほら。」
いつも柳が使っているスクイズボトルを、部屋で渡されるというのはなんだかシュールだ。受け取ろうとする手を伸ばすのにもやたら時間がかかって、それを見た柳がああ、と我に返ったような顔をした。
「きついなら無理しなくていい。配慮が足りなかったな。起こすぞ。」
そういうと、一旦ボトルを床に置いてから、片膝をベッドについて頭の下と肩の下に大きな手が入り込む感覚がある。汗でじっとりと湿っている背中に柳の手が触れるのが申し訳なくて、思わずもぞもぞとうごめくけれど、それを無視した柳は軽く円を描くようにしながら赤也の上半身を起こす。柳もベッドに座り、その肩に赤也をもたせかけて後ろから抱き込むようにして支えた。
「ほら、飲めるか?」
「…っす……」
口を開けると、ぬるまっこい液体が口の中に飛び込んできた。しかも味がしない。けれどそんな、普段だったら飲みたくないようなものですら、体に染み入るような心地がする。どれだけかわいていたのだろう。一回吐いたしなあ、等とぼんやり考えながら、ゴクリゴクリと飲み下す。
「どうだ?」
「ん、あじ、しねえっす……」
口の中が潤ったためか、さっきよりも明確に話ができるようになった。水分補給は出来たけれど、赤也の好みは氷をたっぷり入れた、少し濃い目のスポーツドリンクだ。冬だからあまり冷やすのは無理にしても、今のは美味しくなくて文句を言えば、うん?と柳が訝しげな声を出した。
「これは、いつもおまえが飲んでいるものと同じデータを使ったものだぞ?風邪を引いた時にあまり冷やすものではないから、常温でつくった分、少し味は薄くしているが、ほとんどわからないはずだ。……味覚が麻痺しているのかもしれないな。」
「うええ……?」
ってことは、何を食べてもこんなかんじということか。いやだなあ、とぼやく。もう十年くらい風邪など引いていないから、感覚を忘れている。
「なにか食べれそうか?」
「うーん…?」
「赤也?」
「…んー……」
考えるのもだるくて、うねうねと返事をせずにいたら、ふむ、という小さな声が聞こえた。同時に首筋に一瞬、さらりと髪がかすめる。
「おかゆよりもゼリーなどのほうがいいか。残念ながらこの家にはそのたぐいはないから、少し出るが。」
まあ女子でもあるまいし、普通はないよな、と思う。今日は練習中に倒れた赤也の家には誰も居ないということで、大学から近かった柳の部屋に真田と二人がかりで引きずるように連れて来られたから、途中で買うことも出来なかった。赤也としても、冷たくてさっぱりしたものが食べたかったから、ゼリーという言葉はありがたい。だけど。
(だけど、やなぎさんはそしたら最低でも15分くらい、ここからいなくなってしまうわけで、)
きっと、体調を崩したとき、人恋しくなるというのは本当だ。自分でもどう対処したらいいかわからないときに、すがれる人を、そばにいるだけで安心できる人を、失いたくないのだ。
そのためなら、少しの希望など、捻じ曲げてしまえるほど。
「……それよりも、おかゆがいいっす」
「…いいのか?」
「はい……、あ、できれば、たまごがゆ、で。」
やなぎさんなら作れますよね、と笑えば、米を煮るだけだからな、とほんのり相好を崩す気配がした。
「それでいいなら作ってこよう。その間寝てるといい。」
「ん、すんません…、おねがいします……」
赤也の背中から抜けだして、その背を横たえた柳は、キッチンに向かう扉を開けようとする。
それにあ、と声をかけてしまって、赤也はどうしようと思った。どうした、と聞いてくる柳を、受け流す言葉など出てこない。かと言って、本当は言いたい言葉があるのだから、黙っていたところで見透かされてしまうだろう。
「あ、と、その、ドア、あけといてくれません?」
結局そのまま言うしかない。言った後に、自分でわかるその望みの幼さに、少し熱が上がったと錯覚するほどだった。
(これで理由突っ込まれたら死ねる。だって、子供かよ、みたいな、でも、だって、)
さみしい、とか。
「…ああ、わかった。開けておくから、安心して休め。」
きっとそれがとどめだ。ああ、この人はこういう人だった。言わなくても全て見透かしてしまう。それが悔しくて、恥ずかしくて、安心する。
スリッパの、パタリパタリという音が聞こえる。食器棚で何かをさがす音、冷蔵庫を開ける音、包丁の規則的な音。いつもは意識しない、そんな何気ない音が、こんなにも安らぐなんて知らなかった。ころりと一度扉の方に寝返りを打って、目を閉じた。
*あとがき
リクエストありがとうございました!遅くなってしまいましてすみません…。
やなあかで「風邪」でした。なんだかんだ風邪という王道シチュは書いたことがなかったなあと思って、新鮮な気持ちで書かせていただきました。でもなんだか書き上がってみたら見どころは?と聞かれたらさあ…?と答えるしかないほど山も落ちも意味もない話になってしまいました…。気に入っていただけたらいいなあ…と思います。