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黄昏のうつくしびと


 いっしょに帰らないか、そう仁王に誘われたのは進学試験の最終日、渇いた北風に落葉がからからと吹きすさぶ午后のことだった。







黄昏のうつくしびと








 附属校であるとはいえ、立海大附属中にも高校へ進学する際の試験はもちろんある。ただしよほどの落ちこぼれか、生活態度の芳しくない者でない限り、パスできないことなどありえない。その程度のものだ。

 しかしそうはいうものの試験は試験、精神的にまったく負担にならないかと問われてしまえば頷くことはできないだろう。若干の寝不足と疲労を抱えて帰宅しようとした柳生ではあったが、教室を出たところで独特の訛りを含む聞き慣れた声に名を呼ばれ、反射的に振り返った。そうしてしまった直後、眉を寄せるがもう遅い。その様子を呼びとめた張本人である仁王は、にやにやと、そう表現するのが似つかわしい憎々しい笑みをうかべて見つめていた。







 学校前の並木道を、無言で歩く。すこし前を行く仁王の背中に目をやりながら、柳生はこうして並んで歩くことさえ久しぶりだと感じた。思えば、夏に部活を引退してからというもの放課後は遅くまで図書館にこもることが増え、うつろう季節とともに速度を変えていく日没をたったひとりで眺めてきた。

 早いものだ。心からそう思う。あの、彼や他の仲間と必死でボールを追っていた暑く熱い夏は、いったいどこへいってしまったのか。感傷に浸るなんてらしくないと叱咤しつつ、仁王の背中を見ているとそんな思いがとまらないのは、いまのこの状態が、ダブルスの試合中のそれに似ているからだと気づく。

 柳生は入部してまもなく、仁王とのダブルスを反強制的に結成させられた。仁王以外とダブルスの試合を経験したことはほとんどない。片手で足りるほどだった。言ってみれば、柳生が誰かの背を見つめるということは、それは仁王の背であることが同義語になっていた。

 仁王、テニス、夏。

 つい最近まであんなにも慣れ親しんでいたものを、たった半年が過ぎたくらいで懐かしいと感じる。



(……最低ですね)



 自嘲ぎみに嘆息すると、仁王はついに耐えかねたというように身を反した。その眉は、先ほどの柳生よろしく訝しげに寄せられている。



「何なんじゃ」

「は?」

「さっきからヒトの背中、穴が空くほど見つめとったかと思えば、今度はため息か。気分悪いのぅ」



 苦笑して「すみません」とだけ返す。それでも仁王は拗ねたようにそっぽを向いてしまった。柳生も、いま自分が相手にしている仁王雅治という男が、曖昧にはぐらかすだけで納得するような謙虚さを持ち合わせていないことくらいは、わずか二年ほどの付き合いのなかでそれなりに理解していたつもりだ。しかし、そう言わずにはいられなかったのだ。いや、正しくは、そう言う以外に何を言えばいいのかわからなかった。それがまた申し訳なくて、やるせなさに繋がる。悪循環だった。



「まぁ…いいけどの」



 明らかに不服そうな仁王の声が、永遠にもつづくかのように思われた沈黙をこともなげに打破する。その口元からは、白い蒸気と化した吐息が漏れていた。



「すみません…」



 再度、謝罪を繰り返す。予想したとおり、仁王の眉間のしわはさらに深まる。



「謝んな」

「でも」

「うるさい、黙れ」

「仁王くん…」



 まるで聞きわけのない子どものようだと思った。一瞬ほほえましい気持ちになるものの、仁王にはお得意の詐欺(ペテン)があったことを想起し、ゆるみかけた頬をあわてて引きしめる。仁王はときにダブルスパートナーである柳生さえも騙し、手の込みすぎたいたずらを繰り返しては、そのたびに真田に大目玉をくらっていた。それでも一向に懲りることなく、引退までその所業を貫いたところが、仁王らしいといえばらしい話だ。



(ああ、私はまた)



 思い出してしまってから、また「思い出した」という事実に愕然とする。

 次第にうつむいてゆく視線をもとに戻そうとは思わなかった。こんな状態のまま、仁王の顔を見られるはずもない。



(どうして)

(忘れてしまいたくは、ないのに)



「なに下向いとんじゃ、柳生」



 強い声が、柳生の視線を強引に上へと持ち上げる。



「は、」

「忘れていいぜよ」



 今の今までむくれていた仁王が心なしか寂しげではあるものの微笑さえ浮かべて言ったそのひとことに、柳生は絶望にもにた感覚を覚えた。あまりの衝撃に、しばらく身動きすらとれなかった。

 忘れていい? 彼はいま、そう言ったのか?

 まるで柳生の思考を覗きこんで読みとったかのようなことばだ。



(まさか、そんなはず)



 そこまで考えて、ない、と言いきれない自身に腹が立った。あんなにも時間をともにしたのに、彼の考えていることが微塵も理解できない。つい半年前にはこんなことは一度だってなかったはずなのに。



「……仁王くん? 何を、」



 結局、探り探りのことばしか返せない。情けなくて泣きたくなる。しかし仁王はそんな柳生の胸中などお構いなしということなのか、それともわずかでも慰めようとしているのかは定かではないままに囁いた。



「忘れてもいい、て言ったんじゃ。ちゅーかふつうに無理じゃろ、半年も前のこと覚えてろなんて。そんなんできんでも誰もお前さんを責めたりせんよ」



 西日を背負った仁王の表情が徐々にわからなくなっていく。それでも柳生には確信かあった。仁王は、普段ならばぜったいに見せないような、はかなげで朧げな雰囲気をまとって笑っているのだろうと。そう思ったらことばが出なかった。仁王のやさしさを知ってなお、弱音を吐くわけにはいかなかったからだ。



「………」

「それに、」



 ――やめてくれ。もう、やめてくれ。これ以上仁王の声を聞いては目もとの衝動を抑えきる自信が柳生にはなかった。

 しかしそう告げようにも、ことばがうまく声にならない。結局は仁王に発言を許してしまう。



「それに、忘れたらまた思い出させてやるぜよ」

「え…」

「だから、あんまり自分を責めなさんな」

「にお、く」

「もっと楽に生きんしゃい、柳生」



 彼は、どうしてこうも自分の胸中の不安を見破ってしまえるのか。柳生には不思議でならなかった。

 あたりは徐々に夕闇が深まり、濃紺色に侵食されつつある。逢魔が時という曖昧であやふやな時間はおわり、完全な夜がやってくる。そうなればこんなふうに立ち止まっていることもやめにしなければならない。柳生は歩きださなくてはならないのだ。たとえ、記憶と引き換えにしても。



(あれ、?)



 しかし、あれほど感じていた恐怖も何もかもはもう感じられない。頬をつたう液体とともに流れ去ってしまったかのようだ。

 そしてその理由は過ぎるほどにわかっていた。仁王がいる。それに気づけた。いや、思い出せた。彼のおかげで。



「、仁王くん」



 涙を拭い、彼の瞳をまっすぐに見つめる。そうできる自身が柳生は誇らしかった。



「ん?」

「ありがとうございます」

「……おー」



 仁王は再び柳生に背を向けて歩きだしながら、照れたように笑ったようだった。柳生はそれをなんとなく感じとりはしたものの、何も言わずに一歩を踏み出す。すこし足を早めてこんどは仁王と肩を並べて歩きながら、周囲の空気が夜のにおいを漂わせはじめるようすに、ああ、と思いを馳せた。



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相互リンクしていただいた如月さんよりいただきました、相互記念小説です!柳生仁王で「距離感」というリクエストをさせていただきました。
タイトルがすごい綺麗で、まずそこに惹かれました。そして本文も、柳生さんにとって仁王は近かったはずなのに、いつのまにか遠くなってしまったこととか、とても切なかったです。胸が締め付けられました。こんな素敵な文章を書かれる方にリンクを貼っていただいてとても嬉しいです。如月さん、ありがとうございました*


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