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▼ 触れられた体温すらわからないようなそれに、熱をあげてしまう私は愚かですか。

 物言いたげな視線を、先程からずっと無視している。わざと目を合わせないようにするのは簡単で、ようはそれほどその人の気配と視線になれて、意識するのが容易いということなのだけど、それは意図的に考えないことにした。
 けれど、それも帰りの支度がすべて終わってしまえばいい加減限界だった。なにしろ、自主練で一番遅くまで残っているのは日吉で、以前なら跡部あたりが起こして連れて帰っていたであろうソファで眠るジローは、いつの頃からか誰も起こさず、日吉が起こすまで眠っているようになってしまったのだから。だから、この空間には今ジローと日吉しかいなくて、日吉はジローの視線から逃れようがないのだ。
「…そんなに気になりますか」
「うん」
「こんなの、ただのかすり傷ですよ」
「“こんなの”じゃないよ」
 面倒だ、という態度を全面に押し出すように、少し首を傾けて、ソファに座り込むジローを見下ろしてそう言えば、それでもジローは首を横に振った。
「…慈郎さん」
 うっすらと瞼をふせて、けれどそれはけして普段のように眠たいわけではなくて。こんな顔もできたのかと、日吉が驚くほどに、つらそうな表情をしていた。
「日吉が怪我したんだもん。全然、“こんなの”じゃない」
 そう言って、ジローのその外見の雰囲気に反して意外と無骨な、けれど日吉よりわずかに小さな手のひらで、ジローはそっと日吉の右手を掲げた。
 そのむき出しの腕の中ほどには、まだ新しいとわかる白い包帯が巻かれている。今日の部活時、いつもなら着ている長袖のジャージをたまたま脱いでいた日吉が、ジローに飛びつかれて体勢を崩してしまい、うっかりその辺のベンチに擦ってしまったものだった。いつもだったらそんな失態は犯さないのだけど、その時はたまたま日吉が試合形式の練習を二連続でこなした直後で、認めたくはないけれど、ひどく疲れきっていたからだと思う。
 だから要は、試合形式を二本こなした程度で足元がおぼつかなくなるほど持久力のない日吉の責だと、日吉自身はそう思うのだけれど、ジローはそうはとらえなかったらしい。跡部が、「飛びつくのはいいが、時と場所を選べ。」と叱ったこともあるかも知れなかった。まあ、その直後跡部は日吉に対して「こんな程度でへばるなんて情けねーな。」と鼻で笑っていたが。跡部は本当に煽るのがうまくて、そんな風に言われたものだから、今日は一層自主練に力が入ってしまった。だから、ジローにそんなにも落ち込まれてしまうと、日吉としてはいたたまれないのだ。だって本当にかすり傷なのだ。摩擦によって赤く染まって、うっすらとめくれた表皮が白くなっているさまは確かに痛々しく見えたかも知れないけど、出血もしていないし、痛みもない。包帯は雑菌が入らないようにという予防でしかないし、跡部が部活に参加することを許可したのだから、本当になんともないのに。
「…そんな、葬式に行くような顔で落ち込まれると俺も困るんですが」
「え!日吉が困ると俺も困るCー!」
「なら、そんな浮かない顔してないでいつもみたいに馬鹿なことでも言ってて下さい」
「馬鹿なことって…ひよしひどーい!」
「事実でしょう」
 先輩に言うには少し暴言じみた言葉を告げて、あ、と思う。ジローはあまり気にしていないのだろうけど、この口は厄介で、ついうっかり勢いでひどいことを言ってしまう。なのにジローはそれを気にせず笑ってしまうから、余計甘えてしまっている。今日もいつものようにばっさりと切り捨ててしまってから、ああまたやってしまった、と少しへこむ。本当は、こんなことで落ち込む必要はないと、それよりも笑っていてくれたほうが安心できるからと、そう伝えたかっただけなのに。
 そうしてすこし後悔していると、ジローが唐突に「…うーん、じゃ、おまじないしたげる!」と言った。話についていけずに、一瞬何もかも忘れてぽかんと間抜けな顔を晒した。
「は?」
「小さい頃やらなかった?」
「まあ、」
 いたいのいたいのとんでけー、とかだろうか。いくら部員に散々想像がつかないだのなんだの言われたところで、日吉にだって子供の頃はあったわけで、やってあげたりやってもらったりしたことは少なからずある。思い出したくもないがやってあげたりやってもらったりした相手の中には鳳も含まれているので、今この場に鳳がいなくてよかったと日吉は心底安心した。あいつは悪気なく人の黒歴史をぺろっと喋るから油断ならない。
「ほら、早く早く!」
「うわっ、ちょっと…!」
 そんなことを考えて、油断していたからだろうか。気が付いたら、見た目よりずっと強い力で引っ張られ、横に座らされていた。
「早く、よくなりますように」
 包帯ごしに、ささやかに何かが触れた感触があって、いやなにをされたかは見ていればわかる。いつもなら日吉の薄っぺらい唇にされているものだ。そのいつもに比べたらなんてことない感覚のはずなのに、なぜか一瞬だけ触れた、くすぐったような肌触りを強烈に意識してしまって、日吉は頬に血を上らせた。
「っ、そういうのはおまじないって言いません!」


触れられた体温すらわからないようなそれに、熱をあげてしまう私は愚かですか。





会話文:みたらしさん
地の文:カロン

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