捧げ物 | ナノ
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夏一番
 遅刻する遅刻する遅刻する!!
 バタバタと重たいラケットバッグをゆらして整備された歩道を走る。せっかくセットした髪の先から滴る汗を拭う余裕もなく走っていると、隣の街路樹の傍らを自転車が通りすぎた。それを思わず目で追うと、その瞬間、耳が割れるような感覚を味わった。







「…で。今日はなぜ遅刻したんだ?」


 今日も今日とて言い過ぎて口に馴染んだ科白を吐けば、こんな科白を馴染ませる原因になった後輩は、へらり、ごまかすように笑って頭を掻いた。


「えーっと、蝉の声に気をとられちまって…」

「蝉?」


 ふ、とつられるように窓の外を見る。ひんやりと冷房の効いた室内は当然のことながら窓は閉め切られていて、外の音はほとんど聞こえない。快適な室内から見る真夏の景色はどこか現実感がなくて、別の世界の話のようだ。


「そうか、蝉か…」

「柳さん?」


 赤也の疑問の声に、ゆるりと首を傾げて答えに代えた。

 もうそんな季節だったか。
 言われてみれば七月も半ばなのだから、蝉がいてもおかしくはない。けれど、今年はまだ、あの耳のうちに響き、それ以外なにも聞こえないようなあの鳴き声を、まだ聞いた覚えはない。
 いや、聞こえてはいたのだろう。ただ、認識していなかった。だから、聞いた覚えはないのだ。
 それに気づいて、ひとりでに自嘲の笑みが浮かんだ。そのような季節の移り変わりは、割りと好きな部類だ。だから、その分人よりも敏感だったのだけど。どれだけ余裕がなかったのだ、俺は。三連覇がかかっているとはいえ、これはいただけない。余裕のなさは失態を招く。


「赤也」

「はい?」

「今日はランニングをしようか」

「ランニング?別にいいっすけど…」


 改まってランニングをしようなどと言われて戸惑っているのだろう。むしろ普段の俺たちの言動からしたらこんなときは裏がある可能性が高い。そのせいか反射的に椅子を引いた赤也の、手をとって扉へと向かう。


「蝉の声を聞きながら走ろう。どんな蝉が鳴いているか、教えてあげるから」


 それなら楽しいだろう?と言うと、一変して嬉しそうに返事をした。ドアノブに手を伸ばす一瞬前に、横から伸びた手がかっさらってそれを押した。
 その瞬間、耳が割れるような感覚を味わった。


「いっちばーん!」


 揺れる緑、響きすぎていっそ無音のように聞こえる、隔絶された空間。その中をたっ、と駆け出し、こちらを向いて笑う。光を背にした子どもっぽい笑顔は、周りのどんなものよりも夏を実感させた。



みたらしさんに捧ぐ。


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