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3rd オレンジフラワー

 お前のそれは悪い癖だな、と目の前の相手が笑うのに、留三郎に言われたくはないかな、とやはり笑いながら返す。そんなつもりはないんだけど、とぼやく留三郎は、けれど否定するには「結果」が出すぎている。留三郎は無自覚ではあるけれど、その無自覚がどういう影響を及ぼすかということはさすがに理解しているのだ。留三郎も性質が悪いよなあ、と思う。


「けどお前は、無自覚よりも性質が悪いぞ。愛されたがりめ。」



 *



 ころりとテニスボールを転がせば、フローリングに爪の音を立てながら、すごい勢いでフォーンのかたまりが駆け寄っていく。壁に頭をぶつけそうだ、と苦笑しながらそのままテニスボールとじゃれ始めた子犬を眺める。この子はこの間兵助くんに言ったように、伊作が拾ってきた新入りだ。遊びたい盛りだからとケージの外に出していたのだが、しばらくはあれで満足するだろう、とソファに背を持たせ掛ければ、ねえ左の字、という声が上から降ってきた。ソファに腰掛けながら雑誌を読んでいた勘右衛門、通称右の字の声だ。


「なんだ、右の字。」

「左の字はさあ、生き物が好きだよね。」

「ああ、そうだな。」


 生物は昔から好きだった。兄は人嫌いの生物好きで、昔から生物はひどく身近な存在だった。おれは人嫌いというわけではないけれど、生物全般が好きで、その世話を焼くのも全く苦にならなかった。むしろ率先してやっていたほどだ。


「生き物ってさあ、人間と違って建て前と本音がないじゃない?」

「確かに。」

「愛情を与えれば与えただけ、返してくれる。」

「そうだな。」


 つらつらと、核心に触れないまだるっこしい話し方は勘右衛門の癖だった。勘右衛門は昔から飄々として、人を煙に巻くような話し方をする。そのわりに行動はストレートで、決定的なことは言わないくせに、外堀を埋めていくように愛情を与えていく。似たもの同士に見えるくせに、根底は対照的だとは留三郎の言だ。
 そう、それは確かに言いえて妙だった。


「建前も偽りもなく慕ってくれて、裏切りもない。愛されたがりには、ぴったりだね。」

「はは。確かにな。」


 おれは愛されたがりで、勘右衛門は愛したがり。おれは愛されたいから世話を焼いて、勘右衛門は愛したいから世話を焼く。
 見返りを求める浅ましい感情を押し隠して、誰彼かまわず愛を振りまくから、「悪い癖」なのだ。


「どうする気?」

「はなすよ。あの子は、生き物とは違うから。」

「ちゃんとしろよ。」

「いくらなんでも。仮にもおれは大人だし。」

「どうだか。」


 長いつきあいなだけあって、勘右衛門といるのは楽だ。利害の一致、というのもあるのだろう。愛されたがりと愛したがり。相性としてはぴったりだろう。







 からからというベルの音と同時に、竹谷さん、という声が聞こえて振り向けば、少しウェーブがかった猫っ毛を揺らした兵助くんが立っていた。後ろに他の六人はいない。おそらく一人できたのだろう。兵助くんは勉強のためによくここに一人で来る。住宅街の中にあるだけあって静かなここは、勉強にぴったりなのだという。彼があの六人と来る以外にもちょくちょくこの扉を開くことも、ここまで親しくなった一因だろう。


「兵助くん、いらっしゃい。」


 ゆるりと目を細めて迎えてから、やってしまった、と思った。はなすと勘右衛門に言ったのは昨日だ。留三郎からも、伊作からも忠告されていた。おれ自身、そろそろまずいとも思っていた。早く、はなさなければ。
 そうでないと、本当に。


「竹谷さん、あの、今日、この後お時間ありますか?」

「……9時まで店あるけど、」

「じゃあ、お待ちしてます。いいですか?」


 いいですか、なんて、断っても追ってくるのだろう。これはきっと、ずるずると引きずり続けて、彼をはなしてやれなかったおれに対する、罰だ。


「……ご注文は?」

「いつもの、オレンジフラワーで。」

「……承りました。」


 オレンジフラワーティー。それを頼み続ける彼を、そしてそこにはちみつを一滴落とし続けるおれを、気づかない振りをしていたのはおれ自身だった。




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