瀬呂くんは格好つかない



 ゆら、と微かに揺れる心地の良さに少しだけ意識を手放していたみたいだ。さっきまで三奈や上鳴くんが騒がしくしていたけれど、その声が気付けば消えていた。帰ったんかな。……なんか取りに行くって言ってたような気もする。じゃあまあすぐに帰ってくるでしょ。それよりも、せっかくハンモックで微睡んでいるんだからもうちょっと揺れたい。ハンモックから出した足で床を蹴って揺らそうとすると、つま先がぐっ、と床とは違う硬さに触れた。

「んん……?」
「お、起きたのね」
「んん〜……おはよ」
「はいおはようさん」

 部屋の持ち主、瀬呂くんの声に、まだ閉じていたい瞼をゆっくり持ち上げた。アジアンテイストの部屋に合わせたオレンジのあったかい照明のおかげか、寝起きに光りみた時特有の目を刺すような感覚はない。やっぱり暖色照明しか勝たんな。

「みなたちは?」
「芦戸と耳郎はおまえが寝たから代わりの先生探しに行って、上鳴はプリントが一枚ねェ! っつって取りに戻ったから多分下でドタバタしてんじゃない?」
「あーね」

 さっきまで仲良く勉強してたメンバーはみんな不在らしい。この時間ロードワークに出てる人も多いだろうから、先生役見付かりにくそうだ。百いるかな? 爆豪くんと飯田くんは特にランナーする人たちだし。上鳴くんはいつものことだから納得。
 さっき蹴ったのは瀬呂くんの足だったらしく、じゃあまあいいかと太もものあたりを足裏でぽんと押し出す。それだけでゆらゆら揺れるハンモックが心地よくて、ふふふ、と笑い声が漏れた。

「ほーんとそれお気に入りね」
「ね、ハンモック楽しい〜」
「まァ気に入ったんなら良いけどさ」

 シャーペンを手にしたまま頬杖を着いた瀬呂くんが、眉を上げて細めた目で私を見る。ので、今度は上げた足で肩の当たりをぽーんと押した。ゆらゆら。

「わはは」
「こーら、人を足蹴にしねぇの」
「揺れたいもん」
「だからってね、」
「おわっ」

 くるっ、と揺らしすぎたハンモックがひっくり返りそうになる。あ、落ちるわ。まあそんなに高くもないし、と衝撃に備えて目をつぶったけれど、ふっと目の前に影が落ちた。耳元に、ギシッと弛む布の音。落ちそうになった身体が留まった。目を開けると、ハンモックごと私に覆い被る瀬呂くんが。流石部屋主、ハンモックの扱いお手の物じゃん。

「っと、ほら、危ない」
「ひゃ〜、ありがさんきゅ〜」

 ゆっくりと瀬呂くんが支える腕を離していく。揺れすぎなければ安定したもので、再び心地よい微かな揺れだけに戻ったハンモック。さらに安定するために、近くにあったエスニックなクッションを胸に抱き寄せた。

「あ、これめっちゃ瀬呂くんの匂い」

 お香のような、爽やかの中に少しだけスパイシーとムスクの香る匂い。高校生にしては大人びてエスニックや香りは、瀬呂くん〜って感じがする。

「おまえさ、」
「ん?」
「今の状況わかってんの?」

 離れていった影が、ふたたび私を覆った。支えるためだけのさっきよりも近く、ともすれば友達とは言えない距離に瀬呂くんの顔がある。身動ぎすれば、触れるくらいに。

「あんまり意識してねェのは知ってるけど、俺も男なのよ」

 いつになく真剣で、意図的に低く落とされた声。クッションがなんとか隔ててくれているけれど、防波堤にするには余りにも心もとない厚みだ。

「なァ、こんな格好でさ」

 ショートパンツから剥き出しになった足に、骨張った長い指が触れた。ツ、とそのまま太ももを撫でられて、急な刺激に肩を揺らす。ゆっくりと、意識させるように上下する、大きな手。手が、

「……っ、」
「さっきまでと違ってさ、今、俺ら二人なのよ」

 手の温度が、じっとりと濡れていて。迫る顔は大人びているのに、集中すると少しだけ、震えているのがわかった。それに、グッ、と近付いた距離のせいで、クッション越しに重なった胸の鼓動が、忙しないことに、気付いてしまって。そうなると、もう、この同い年で年下の男の子が、かわいくて仕方がなくなってしまった。

「ふ、ふふ……」
「……なァんで笑うのよ」
「いや、ごめん、ごめん……っふふ、」

 瀬呂くんは至って真剣だ。そんなのはわかってる、わかってるからこそ、男子高校生の背伸びがとてつもなくかわいいものに思えてしまって、愛しさに笑いが込み上げてくる。いや、ごめんまじで。マジで思ってんだけど、だって、どうしようもなくかわいいんだもん。

「あっははは、はあ〜」
「ッ、あーもー! なんなのおまえ!」
「はあーあ、いや、ごめんね?」

 かわいすぎて、つい。あと、心配してくれてるんだろうって嬉しくなっちゃったのもある。だって、瀬呂くんが言いたいのって要は男の部屋で無防備になるな! ってことでしょ? かわいいじゃん、こんなん。
 ふふふ、とまだ零れてくる笑みに、瀬呂くんがあー、くそっ、と悪態を吐くので、ぽんぽんとその頭を撫でた。薄い耳朶も、真っ赤に染まっていて、本当に男子高校生だ。

「ありがとね、瀬呂くん」
「……礼されたい訳じゃなかったんだけどネ」
「ふふ、うん」

 カッコつかねー、と瀬呂くんが身体を起こして、離れていく。頬までうっすら赤に染まっていた。はー、笑った。

「……ンデ、ちょっとは意識してくれんの?」
「うん、はい、しました、はい」
「嘘くせー」

 そう言う瀬呂くんの口調は、普段の一歩引いた姿よりもずっと年相応のもので。そのかわいい男子高校生らしさに、また微笑ましくなってきてしまえば、瀬呂くんが無言で太ももを抓ってくる。地味な嫌がらせやめい。
 三奈たちは当たり前に出歯亀していた。



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