相澤先生とハロウィン



「トリックオアトリート」
「……ア゙?」

 ホームルームを控えた休み時間。おそらく教室に向かうんだろう先生の後ろから忍び寄って、言いながら手を差し出すと、眉間にグッと皺が寄った。右目の下の傷も相まって、めちゃくちゃ人相が悪い。うける。

「月末じゃねェのか、それ」
「なんか今日ハロウィンの気分だからさ〜。先生お菓子持ってないの?」
「俺が持ってると思うか?」
「んじゃ先生イタズラね!」
「横暴だろ、ソレ」

 先生は当たり前にお菓子を持っていないようだ。逆に持ってたらびっくりする。

「いーじゃん、ハロウィンの予行演習予行演習」
「ンな事よりすることあるだろ」
「先生手〜だして」
「聞けよ」

 ハア、とわざとらしいクソデカため息を漏らしつつも、先生が右手を出してくれた。優しさ。私が粘り続けるとめんどくさいからっていうのが八割くらいある気もする。先生の右手を支えるように左手で持つと、マメが何度も潰れて硬い手のひらの皮膚の感触がした。捕縛布で擦り切れた指先。ぺったりと横長の短めの爪。長い指はボコボコと歪に歪んでいる。……ヒーローの手だなあ。よし、イタズラしよう。

「あ、おまえコラ」
「先生めっちゃ手荒れてるじゃん」

 スカートのポケットから出したネイルオイルを、先生の爪に付けていく。ぴっぴっぴっ、と付け根の辺りにつけて、反対、というと先生が渋々逆の手も出してくれた。ので、左手にも同じようにオイルを付ける。それから、両手で両手を取って、爪に塗り広げた。うん、いい匂い。

「学校にマニキュア持って来てはいけません」
「マニキュアじゃないよ、これ」
「……?」
「ネイルオイルだよお」

 先生、爪に塗るもの全部マニキュアだと思ってる説ある。そういうとこちょっとおじさんでかわいい。
 少し屈んで、潤った先生の爪を嗅げば、フローラルムスクの馨しい清楚な香りがした。先生と清楚、この世で一番似合わない言葉かもしれん。

「ふふ」
「……学業に関係ないものを持って来てはいけません」
「はあーい。あ、チョコあげる」
「おまえ話聞いてたか?」
「これいい匂いだよねえ」
「聞けよ」

 ネイルオイルをポケットに入れて、代わりに個包装のいいチョコを先生の手に乗せる。深い青色の包のチョコレートは、シーソルト味でめっちゃおいしいやつだ。ちょっといいチョコ。いっぱい貰ったからおすそ分けだ。

「糖分はさあ、ほら、いいじゃん。頭に」
「……おまえは摂りすぎじゃねェのか」
「あ! 禁句! 乙女への禁句!」
「フッ」
「なんで笑ったぁ!?」

 乙女、という単語をからかうように先生の口元に笑みが浮かぶ。いじわるである。意地悪澤消太だ。語呂悪。

「ほら、予鈴鳴るぞ」
「はーあーい」

 先生が手に持っていたファイルをぽすん、と私の頭に乗せる。開いた廊下の窓からは、金木犀の香りがした。秋だなあ。
 これは余談だけど。この後、人より鼻のいい、座席最前の障子くんが、「先生から女性の匂いがする」と怯えていた。……秋だなあ。




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