物間くんとハグ部屋



 気がつけば、人が二人、なんとか立ったまま入れるような場所にいた。いた、というより、閉じ込められた、って方が正しいかも。サイズ感は掃除のロッカー、一面白い壁は防音なのか分厚いのか、ノックをしても鈍い感触しか帰ってこない。そして、目の前の男はいつもはよく回る口を完全に閉ざしていた。

「物間くんめっちゃ静かじゃん」
「……どういう個性か分からないし、無駄に酸素を消費すべきじゃないだろ」
「それはそう」

 それはそうなんだけど。意外と学業成績は良いらしい物間くんに、正論を言われてしまうとなんか腹立つ。それに、

「解除の条件なら書いてあるじゃん」
「ッ、それを馬鹿正直に実行したからって出られるって保証もないだろ!」
「え〜疑り深すぎぃ〜」
「生憎君みたいにスカスカの脳みそはしてなくてね」
「ンだと〜? 言うても私の方が賢いんだぞ!」

 ギリではあるけれど、筆記試験の内容は私の方が上だ。……前世分の知識があってこれだから、地頭だったらまけてるかもしれないが、それはそれこれはこれ。置いておこう。
 とりま私たちの目下の課題は、この箱からの脱出だ。言い争っていても特に利はない。といっても、一応の脱出条件は既に記されてるんだけど。『このルームを出るには10分間抱き合ってください』と、これまたご都合同人誌御用達のなんとも便利な目標が設けられていた。ご丁寧に、条件を示す下には『10:00』とタイマーまで設けられている。

「でもほら、出れると思うけどなあ」
「その根拠の無い自信はどこから来るんだい」
「え、セオリーだし」
「なんのセオリーだよ……」

 私の答えに、目の前の物間くんが少し脱力したような気がする。でもほら、ねえ? セオリーじゃん。とりあえずいい感じの雰囲気にさせたい時にうってつけの内容だし。もしかしたらワンチャン私と物間くんのカップリング好き勢がこの箱……ルーム、を用意したのかもしれない。どうでもいいけど「ルーム」って言い方、めちゃくちゃ死の外科医っぽくない? 絶対最初わるこだと思ってたのになんか意外に良い関係になるのがいい。ライバルではあるけど。

「物間くんなら物真似屋ァ! になるのかなあ」
「何の話してるんだい」
「死の外科医の話」
「君の思考回路が知りたいよ……」

 ハァ、とため息が降ってくる。あ〜あ、幸せ逃げた〜。はいざァこ、とメスガキ屋っぽい煽りをしようとしたけれど、うるさくなりそうだから止めておいた。

「ま、特に打てる手立てがあるわけじゃないしさ」
「ッ、ちょっ、と!」
「条件達成しちゃいましょやあ」
「ハァッ!?」

 物間くんとの間に挟まっていた自分の腕を、なんとか退けて物間くんの背中に回すようにする。うわ、物間くんの腕邪魔で背中までちゃんと回せない。ぎゅっ、と自然と胸を押し付ける形になったからか、単純に密着してるからなのか、物間くんの顔が一気に赤く色付いた。

「君ッさァ! 羞恥心ってモンは、」
「はいはい、あるある〜」
「ないよねェそれ!?」

 頭上で喚かれるとめちゃくちゃうるさいな。見たところタイマーは動き出していないし、双方がぎゅっといかないとダメみたいだ。まあ抱き合うだもんね。抱き着く、では条件に沿っていないか。

「物間くんも抱き返してよ」
「だき……ッ、!」
「照れんなって〜」

 モテそうな顔をしてるのに、物間くんって意外と純情だよね。純情ロマンチカだ。あ、でも物間くんって私の顔が超スペシャルどタイプっぽいし、そりゃ照れるか。純情ボーイめ、と顔を見上げようとすると、あぁもう! と苛立ちか羞恥か、分からない声を上げて、そろそろと私の背中に腕が回った。カチッ、と音がして、タイマーの時間が減っていく。

「……後で文句言うなよ」
「言わないし〜! ……物間くんってさあ」
「……なんだい」
「いい匂いするよね」
「変態バカ最悪女」
「いいすぎ!」

 いつものように歯を剥き出しにするでもなく、声を荒らげるでもなく、静かにお経のように罵倒された。言い過ぎ〜。でも、物間くんってまじでいい匂いするのだ。前カーディガン貸してくれたことがあったけれど、今は直接ゼロ距離にいるから余計に香る。

「だいたい、君の方が……ッ、!」
「ん? なんて?」
「なんでもないけどォ!?」

 しまった、と言うように口ごもる物間くん。逃してあげるような、迂闊でふえ? 顔赤いよ? 風邪ひいちゃった? みたいな鈍感系美少女ではない。見た目は美少女、中身は大人、名探偵な美少女なのだ。

「なんて〜? 君の方が甘くて優しい女の子のいい匂いがして思わず欲情してしまいそうだって?」
「最ッッッ悪! 君っ、君ってほんと! 恥じらいを知れ!」

 怒られた。その拍子に、ぎゅうう、と強めに抱きしめられる。ぐええ、ギブギブ。中身出る中身出る。これもうハグって言うかベアハッグなんよ。ごめんごめん、と謝ると少しだけ力が緩んだ。全く……、と嘆く声が聞こえてるくる。ごめんて。
 そのまま暫く無言で過ごす。と、密着している胸から、物間くんの心音がめちゃくちゃに聞こえてきていた。ドッ、ドッ、ドッと物凄いビートを刻んでいる。微笑ましくて、思わずふふ、と溢すと、なに、ととげとげした声が降ってきた。

「いや、物間くんとこうして二人でいるの、レアだなって」
「まあ、クラスが違うしね。親しくもないし、君と親しくする気もないから」
「そんな即落ち二コマしそうなツンデレ台詞吐かれても……」
「……君の語彙は特殊なんだよ」
「ええ? そんなことないよ」

 吹出くんはだいたい理解してくれる。彼も、“理解ってる”人だから。

「なんか、こうやってさあ、話すのも、たまにはいいね」
「……そうかい」
「そうだよ」

 少しだけ首を伸ばして、首筋に頭を擦り付ける。

「またさ、たまには二人で、話してね」

 タイマーがゼロになる直前、伝えれば、小さくもうごめんだね、なんて、思ってもない声色で返ってきた。素直じゃないやつ。




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