心操くんと先生と髪



「しぬ……」
「……ハァ、なんで、俺より、ハ、へばってんの……」

 ぐったりと地面に倒れ込むと、床が冷たくて気持ちが良かった。死ぬ。まじで死ぬ。心操くんと先生の特訓に、久々に顔を出して見れば鬼のように働かされて、個性のおかげで疲労の蓄積しにくい体質であるとはいえ、いや、だからこそあと一回でも跳躍すれば爆発四散する! と身体が訴えかけてくる程度には疲れきっていた。筋肉痛なのか打ち付けた痛みなのかもうわからないくらい全身が痛い。隣でなんとか膝を付いて耐えている心操くんも、息切れが酷いことから、激しさがわかるだろう。

「体力がねェのは課題だな」
「ふっ……ふぅ、いや、はあ、ふう、あのね、ある! っはあ」
「まだ足りてないよ」
「おにざわせんせい……」

 鬼である。グレートティーチャーおにざわ。キッ、と睨み付けると、床汚ェぞ、と興味なさげに見下ろされた。キ〜ッ! さっき何回も汚い床に転がしてきたくせに〜!

「ふ〜……はあ、汗やっばいんだけど」
「俺も……これは先に風呂だな」
「ああ、ね。まじそれ」

 もうとっぷり日も暮れて、外は真っ暗。寮に帰れば今頃晩ご飯が運び込まれていることだろう。食事を取るタイミングは、食器類の回収の時間までなら自由なので、先にシャワー浴びなきゃ。さすがにこれでご飯は食べれない。心操くんもどうやら同じようにするらしい。……あ、いいこと思いついた。ようやく息切れの収まってきた身体を、すくっ、と起こす。

「ねえねえねえ」
「元気だなおまえ。まだやるか?」
「ぎゃあ! なんで!?」
「いや、おまえがそういうテンションの時はだいたいめんどくせェからな。潰しておこうかと」
「めちゃくちゃはっきり言うじゃんウケる」

 冗談だよ、と先生が低く笑う。なんかご機嫌だ。いいことあったのかな? ……は、置いといて。

「心操くん、もうこのままお風呂入るんだよね?」
「ハ? あー、うん、まァそうだけど……何」
「髪の毛わしゃー! ってしてい?」
「ハ?」

 心操くんの髪の毛は毎日ちゃんとセットされていて、つんつんと元気に立ち上がっている。流石に長時間の鬼扱きで、今は若干力を無くしてるようにも見えるけれど。どうせこの後すぐお風呂に入っちゃうんだったら、今私がわしゃっとしたところで問題ないよね。ね。とゴリ推したら、エエ……とこれまた微妙そうな顔をされた。

「なんで? いやなの? いやじゃないでしょ!」
「アンタのその謎の自信どっから来んの?」
「ここ、かな……」

 フ、とアニメのキャラクターになりきって胸をトントンと叩いてみせる。

「ヒーロー科ってどういう教育してるんですか?」
「知らん、こいつは元からだ」
「え? ド失礼」

 この師弟、私に対してわりと辛辣なんだけど。

「で、いいよね?」
「ハア……まあ、好きにしたら」
「えいっ」
「いや早」

 許可が出た瞬間膝立ちになって、わしゃっ、と紫の髪の毛に指を突っ込んだ。

「パリついてる」
「パリついてる……?」
「ワックスでパリパリし申し上げている状態の動詞」
「適当に喋んな馬鹿。エリちゃんがおまえ語喋るようになってンだぞおまえ」
「いいことじゃん」

 てかわたし語ってなに? と聞けば馬鹿の喋り言葉、と返された。ハ? ひど。非道。心操くんと、個人的な訓練の場だからか相澤先生の口の悪さが絶好調だ。バカって言った方がカーバ!

「心操くん結構毛かためだね、柔らかい」
「「どっちだよ」」
「てへへ」

 わしゃわしゃと手を動かして、長めの髪を乱していく。でもほんとに、硬いけど柔らかい感じ。どっちだよ。なぜか三人とも無言のまま髪の毛を撫でていると、心操くんの視線が泳ぎ出す。ん〜? つい。と指を下げていき、耳の縁に触れると心操くんの肩が小さく跳ねた。

「……いつまでそうしてんの」
「んふふ」

 赤い頬をした心操くんに睨まれてしまったので、いい感じのみだれ髪になったところですっと手を引いた。
 うん。爽やかなアングライケメンが、ちょっとセクシーと気怠さを増したイケメンになった。

「できました」
「なにがだ」
「イメチェン。よくない? めちゃかっこよくない?」
「そうだね」

 あ、先生絶対めんどくさくなってる。私の相手するの。いや許さん。

「じゃ次先生!」
「は? 俺もか」
「おれもです」
「遠慮しとくよ」
「いやいやいやご冗談を……」

 逃げようとする先生の腕を掴むと、反対側の腕を心操くんが掴んだ。曰く、「イレイザーだけ逃げるのは許さない」らしい。同じ辱めを受けろ、って別に辱めのつもりはないんだけど。まあそんなこんなで、座ってもらう。

「ん〜……ツインテール」
「やめろ」
「じゃあ脹相おにいちゃん」
「……? なんか分からんがやめろ」
「ええ〜? じゃあオールバックにする」

 ふん、と鼻を鳴らしただけで済んだので、オールバックならいいんだろう。脹相おにいちゃんの先生、ちょっと見たさあったな。今度エリちゃんと一緒に頼みこも。
 しゅる、と結んでいた自分の髪を解いて、ゴムを外す。そのゴムを使って、前からぐわっと持ってきた長い前髪を後ろへ持ってきた。あ、これハーフアップっぽくなるな。……まあいっか。ギュッ、と小さくお団子を作る。

「あっ」
「なんだ」
「イレイザーの全顔出てるの、レアですね」
「そうか? で、なんだ、どうした」

 この髪型、なんか既視感あるんだけどなんだっけ、って思ったら、オフの日のマイク先生っぽいんだ。

「いや、マイク先生とおそろっちになっちゃったなって。……無言で外そうとしないでよお」
「オッサンのお揃いキツイだろ」
「そーでもない。ねえ?」
「……んん、まァ」
「ほら!」
「明らかに言わせてんじゃねェか」

 はあ、とため息を吐いた先生が、それでも結び目にかけた手を外してくれるあたり、教え子に甘いなあ、と思う。優。

「……見慣れんな」
「ですね」
「写真撮ろお〜」

 お互いをまじまじ見ている師弟は放っておいて、カメラアプリを立ち上げると、ドアップで自分が映る。油断してたけど耐えうる顔面でよかった〜。先生と心操くんが収まるよう画角を調整すると、パシャシャシャと連続でシャッターを押した。よし、これでおっけーでしょ。

「やっぱイメチェンいいよね。かっこいい」
「へェ」
「そりゃドーモ」
「うわ、興味なさそ〜」

 マイク先生に、イレイザーマイク、という文言と共に写真を送って、スマホをポケットへ閉まった。ぐっ、と伸びをすると、さっきまで浸かっていた疲労はだいぶ抜けている気がする。

「さっさと帰んぞ」
「は〜い」

 体育館を出ると、もう夜が深まって、頭上で三日月が眩しいくらい輝いていた。



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