相澤先生に落とされる(if相澤)
※卒業から3年後くらい、プロヒ
現場終わり、飲み会。参加する率は実はあんまり高くないんだけど、明日は休みなのと、なにより、久しぶりに姿を見る先生が、もしかしたら、望み薄でも参加するかもしれない、と希望をかけて、少し眠気を訴える身体を引き摺って参加した。なんせ、新人ヒーローは馬鹿忙しいし、先生に合う機会もなかったので、久しぶりなのだ。好きな人に久しぶりに会えると嬉しいよね。見れるだけでも。乙女じゃん? 私かわい〜。
「えー! ビアンカちゃん今フリーなの!?」
「そーですよ〜」
「じゃあさ、俺とかどう?」
「あー、ちょっと微妙っすね〜」
「うはは! フラれてやんの!」
「えー、駄目ぇ? 俺結構条件いいよ?」
「はっはっはー私もめちゃくちゃ条件いいんだもん」
「完敗だな!」
「諦めろー」
お目当ての人、先生がなんと! 奇跡的に! 参加していると言うのに、私は誰かも知らない男に熱心に口説かれてる。誰だコイツ。3回くらい自己紹介してもらったけど知らん知らん。離れた場所に座っている先生の周りは、なんかしっぽり飲んでるし。昔からそんなに変わらない長さの髪を、ハーフアップにしている先生。髭も相変わらず。うわ、しかも隣に女いる。誰よその女! 私と代わりなさいよ! って、昔の私なら言えたのになあ。元生徒の私から言い寄られても、優しい先生を困らせるだけかもしれない、と思うと、昔のような距離感で接することが出来なくなった。悲しい。悲しみの海だ。涙の海で溺れるぞ。悲しみは通り越したら理不尽な怒りになるし、周囲に当たり散らしたくもないので、お酒も入っていることだし早めの撤退を決心した。これは断じて逃げたのでも負けでもない。もう少し、心の準備を決めてかかろう、っていう、言わば戦略的撤退ってやつだ。あと先生の隣に知らない女が居るの、見続けるとぎゃー! って泣き出しちゃうかもしれないからやだ。
「え、もう帰るの!?」
「帰ってポケモン捕まえないといけないんで」
「あー、それは仕方ないね」
「ポケモンに負けた俺たち」
「そりゃポケモンの方が勝つわ」
物分りの良い人達が多くて助かった。うう、立ったらアルコールが足にくる。フラついた身体を、熱心に私を口説いていた男の人に支えられる。あわよくばが透けてるけど、今のは仕方ない接触だし、必要以上に触れてこないところ、いいね。紳士じゃん。幸せになれよ、私以外と。
参加費は払わなくていいらしい。やったね。経費バンザイ。お疲れさまでした〜、と声をかけて、完全個室の宴会会場から抜け出した。うわ、靴履くの面倒くさい。1回しゃがむ作業挟むのだる〜い。
「もう帰るのか」
「うん。……ん?」
しゃがむのが面倒くさくて、靴も出さずにぼーっとスマホを見ていると、後ろから声をかけられた。反射で返事をしたけど、声が。耳に馴染む、落ち着いた低音。学生時代、いっぱい聞いた声。
「せんせ〜……」
「……酔ってんのか」
「ううん、わりと普通」
「そうか」
わあ、会話出来た。うれし〜。普通にちゃんとお話出来たじゃん。ラッキー。かちゃん、と靴箱の鍵を開けて、パンプスを取り出す。あ、落ちた。まあいいか。
「珍しいね、先生がくるの」
「おまえがくると思ったからな」
「うん。……ん?」
同じような反応してしまった。え〜先生も私と話したいと思ってくれてたのかな。雄英時代、自分で言うのもなんだが先生と仲良かったし、先生もそれなりに可愛がってくれてたしね。私のこと大好きかよ。
「へへ、私目当てみたいなこと言うじゃん」
「そうだよ」
「え〜? 先生私のこと大好きじゃん」
「そうだな」
「……そうだな?」
何回もこの台詞を言った記憶があるけど、この返しは初めてだ。だいたい、デコピンか頬を潰されるか後頭部を軽く叩かれるかとかだった気がする。バイオレンスだ。すぐ隣に来た先生が、立ちっぱなしの私の足元にしゃがんだ。先生も帰るのかな。靴履いてる。
今日の先生、よく見たら、いつもの黒づくめな服装じゃなくて、カジュアルだけどシックでオシャレな服を着ている。……なにそれ、女の趣味? ハットとか、絶対先生が選ばないやつじゃん。女の趣味か!? 引きずり出してやる。
「足、出せ」
「あし? 足の匂い嗅ぎたいの?」
「それは行く行くな」
「え〜変態だ、おわ」
ゆっくりと足を浮かせたら、先生に浮かせた足を取られて、危うくなったバランスに、思わず先生の肩に手をかけた。急に何を。と思ったら、パンプスを履かされて、足首でパチンとストラップが止まる。なになに、まじで急に何。逆、と言われて、言われるがまま反対の足を差し出すと、そっちも同じようにキチンと履かされた。
「……ヒール、高いな」
「ん、やだ?」
「嫌じゃねえよ。歩けるか? 送ってく」
「ほんと〜!? やったやった」
「こら、危ないだろ」
「ひえ〜!」
チャリ、と見せられたのは、何度か見た事のある車の鍵。先生は飲酒していないようだ。送っていく、と言われたことが嬉しくて、テンションが上がる。例え生徒だから、って理由でも、ちょっとでも特別扱いされると嬉しくなっちゃうじゃんね。ぴょんぴょんと飛び跳ねたら、軽く注意されて、先生に腰を抱かれた。支えるためだろうけど、もうこんなんテンション振り切れてグッピーなら死んでる。
「顔見えるとやばいだろ。これ被っとけ」
「ん?」
ポス、と被せられたのは、先生の持っていたハット。女のチョイスかもしれない、ハットだ。急にテンション下がる。はい死んだ〜。私の中のグッピー大量殺人事件。人じゃないか、殺グッピー事件。先生、罪深い男。ムッとするけど、腰に回る腕はそのままに先生が歩き出すから、距離が近くなって一気に胸が高鳴る。
「むんううう」
「どうした、気分悪いか?」
「ちがう〜。もう、なんなの先生、私をどうしたいのっ」
さっきから先生に振り回されてメンタルジェットコースターが酷い。ドドンパより速いしスチールドラゴンより長いよ。アルコールも入っているせいで、普段より感情が隠せない。普段から隠してないだろって言われそうだけど、私だってそれなりに自制してるもん。
「ん〜、はだざむ」
「……分からないか?」
「んえ? なにが?」
店を出ると、冷たい風が肌を刺す。お酒飲んでても寒いもんは寒い。分からないか、って何が。今なんの話してた? 先生の顔を見ようとするけど、鍔の広いハットが邪魔で、よく見えなかった。
「わあい、私助手席〜」
ロックを解除して、先生が開いてくれた扉へ乗り込む。懐かしい、何度か乗ったことのある、先生の車だ。高3ぶり? まじで懐かしい。エモ。青春詰め込んでるわ。
「緩名、シートベルト」
「ん〜、んん? なんか位置が」
「あ? ああ、そうか」
座席の位置がなんか変で、シートベルトが探せない。指先をゴソゴソしていると、運転席に乗り込んだ先生が、身を乗り出してきた。
「ひ、なに?」
「腕上げてろ」
「あい……ぅわっ」
先生がレバーを押すと、ガチャン、と座席が少し前へ。あ、誰かが乗った名残。うう、と思うけど、先生がそのままシートベルトを付けてくれて、間近に迫った先生から、懐かしい匂いがする。待ってもう意味分かんない。この状況なに? 先生は車を発進させ、車は駐車場を出て、夜の街を走る。もう、この不快なハット、取っていいかな。取っちゃえ。
「……彼女、怒んないの?」
「は? 彼女?」
「……ん」
「ンなのいねぇよ」
「……いないんだ」
なーんだ、早とちりか。良かった。ハットや服の趣味も、誰かを乗せた後の車も、彼女ではないようだ。つまり。
「……彼氏?」
「なんでそうなる」
「ちがうの?」
「違うな」
「そっか」
またも違ったようだ。ふぅん。恋人関係ではないのかな、少なくとも。うん、まだ安心かもしれない。や、安心か?
「緩名」
「んー」
「明日休みだろ」
「うん。あれ、先生に言ったっけ」
「さっき大声で宣言してただろ」
「ああ、あはは、そういえばそうだわ」
明日休みなの嬉しくてみんなに自慢しまくってたのは私だったわ。忘れてた。
「この車は、俺の家に向かってる」
「うん。……ん、ん?」
「今から連れてくけど、いいな?」
「え……う、ん? んん?」
なんか混乱してきた。駄目だ。先生が何言いたいのか全然分からん。先生の家行くの? 今から? 私が? なんで? 数学の文章問題解いてる気分。よく爆豪くんに「おまえは文章題を理解する気がねえ」とキレられていたのを思い出してきた。つまり?
「緩名」
「いまね、混乱してる。なあに?」
「……本当に分からないか?」
信号で車が停車した。ふと、顔を上げて横を見る。先生の横顔が、都会のネオンに染められている。真剣な表情。分からないか、って、言われても。
「わかんないよ……」
分からない。本当に。嘘、ひとつだけ、思い当たることがあっても、それが外れてたら悲しいじゃん。うえ、と声に涙が滲んでくると、先生がふ、と笑いを零した。は? なにわろてんねん。
「おまえ、嘘下手」
クツクツと先生の喉が鳴っている。ねえ、すんごい珍しくガチ笑いしてるんだねど。ねえ! 段々と怒りが湧いてくる。なにわろやぞ! ばかばかばか、と声を上げようとした、瞬間。
「好きだ」
鼓膜を揺らす、声。青信号に変わって、車が発進する。先生は、こっちを見ない。好きだ、と聞こえた。信じられない、けど、先生の行動に、納得がいく。なんでこのタイミング? 逃げられない車の中で、なんてめちゃくちゃ意地悪じゃない? ねえ、先生。
「ずるい゙ぃ゙〜……」
顔を手でおおって項垂れると、耐えきれない、と言うようにぶは、と先生が噴き出した。
停車した車から、手を引かれるまま先生の家へ。上がり込んだ玄関では、履いた時と同じようにしゃがんだ先生が私の靴を脱がせていく。男物の革靴の横に、ピカピカのパンプスが並んだ。
「おいで」
「お、じゃまします……」
先生の家、先生の家だ。少し手狭な1LDK。物が少ないのはなんとなく想像通りだけど、生活感がないわけでは無い。立ったままキョロキョロと見渡していると、緩名、と名前を呼ばれた。
「ひゃい」
「こっち」
「ふぁい」
「っ、ふふ」
ダメだ、声が裏返る。だって、え? だってさあ、緊張するじゃん。こんなの。それを聞いた先生は楽しそうに笑うし。なんで今日そんな笑うの? 好きになっちゃうじゃん。もうなってた。未だに私は現実を受け止めきれていないし。手招きされるままにソファに座った先生の隣に座る。ストッキングしか纏っていない足先に触れるフローリングが冷たかった。
「せ、んせいも、家にソファとかあるんだね……」
「俺をなんだと思ってるんだ」
「寝袋しかないと思ってた」
「おまえな」
先生は凄い人だし尊敬もできるけど、まともな人間生活送ってなさそう感強かったんだもん。
「緩名」
「な、に……」
「こっち見ろ」
「やだ……」
「こっち見て?」
「いやあぁ……」
もうギブ。ギブアップ、許してタンマ。顔なんて見れない、この状況で。甘い声を出すな相澤消太。マジ無理、テクニカルタイムアウト。手でTを作って先生に見せると、その腕を取られて引き寄せられた。ヒィ、と声が上がる。これは最早怯えなんよ。ぎゅっと目を閉じると、頬に触れる指の熱。
「緩名」
「んっ」
「返事は?」
「返事……? なんの? 分かんない、やばい」
返事ってなに? やばい私もしかしてポンコツになってる? やばいやばい、ヤバいしか出てこない。
「好きだ」
「ひえ」
「って言っただろ」
「い、言われた」
「その返事は?」
言った。言われた。返事? してなかったっけ。いや、でももう絶対先生分かってるよね。分かってて楽しんでるよね。ドSじゃん。同意のない相手にガッツリ行くタイプじゃないじゃん。え? いつからバレてたんだろ。
「せ、先生」
「ん?」
「いつから知ってたの……ぎゃ!」
「いつからって……」
目を開けたら思ったより顔が近くて仰け反った。なんともないふうに先生は私の背中に腕を回して支える。
「おまえ、逆に隠せてると思ってたのか」
「ハーン、喧嘩売られてる? もしかして」
買うよ、高値で。え〜、わりと隠せてる方だったのになあ。ほとんどの同級生にはバレなかったし。まあ、三奈とか百とかにはなんとなく知られてたけど。まさか本人に知られているとは思わなかったけど。
「知ってるなら、改めて聞かなくてもいいじゃん……」
「聞きたいだろ、こういうのは」
「そ、だけどお」
「また泣く」
滲んできた涙を、口元を緩めた先生が指先で拭った。泣きたいわけじゃないけど、いっぱいいっぱいすぎて涙出ちゃうんだよね。グズっと鼻を啜りあげた。先生。
「好き」
好きだ。先生の事が。高校の時から。いつ頃からかなんて忘れたけど、気付いたらもう好きになっていた。
「好き、」
「知ってる」
「先生、好きぃ、」
「知ってる。俺もだ」
一度言葉にしてしまうと、止まらなくなった。涙と一緒に、溢れ出てきてしまう。頭を撫でられて、暖かいその腕の中に閉じ込められた。力強く抱き締められる。鼻先に触れる先生の匂いは、昔から全然変わっていない。そのことに、少し安心した。
「泣き止んだか泣き虫娘」
「……先生が泣かせたのに」
「あんまり泣くと明日熱出るぞ」
「せんせ、私のこと何歳だと思ってるの」
久しぶりに大泣きした。絶対アイライン取れてるしマスカラは滲んでる。昔からだけど、先生たまに私のこと幼女みたいな扱いするよね? もう大人なんだけど。
「おまえ、男にほいほい着いていくなよ」
「なにが?」
「今日、俺にされるがままだったろ」
「……ああ」
手渡されたティッシュで目元を拭っていると、私の髪でずっと遊んでいる先生が、注意するように言った。
「先生だったからだもん」
「……そうか。それでも、だ。心配になるだろ」
「お、っう……ん」
素直澤やっべ〜! 負荷がかかる。私の心臓に。グッピー蘇生されたかもしらん。
「先生も、」
「ん?」
「ふぐぅ」
「おい、待てなんで泣くんだ」
「や、らって、せんせの声が優しくてえ、ええ」
ん? と聞き返す声が、この上なく優しくて、先生私のことめちゃくちゃ好きじゃん、って実感するとまた泣けてきた。焦ってる焦ってる。困ったな、って顔をする先生が、もっと私のことで困ればいい、なんて思った。
「悪いが慣れてくれ。これからもっと聞くことになるんだから」
「……ん、ん」
すんっ、と鼻を鳴らすと、髪から降りてきた大きな手が私の頬を支えた。潤んでボヤけた視界で、近付いてくる先生の顔をとらえる。目を閉じると、弾かれた水滴が頬を伝うのを感じた。唇に、触れるだけの熱。何度も角度を変えて落とされる、先生のくちびる。あつい。脳が茹だっていく。嬉しい。先生、先生、好き。
「ん、ぅ、」
鼻を抜けていく自分の声が甘くて、少しだけ恥ずかしくなる。軽いキスしかしていないのに、やばい、腰抜けそう。うっすらと目を開くと、先生もそっと目を開いた。
「……髭、チクチクする」
「好きだろ、おまえ」
「うん、好き」
チクチクと肌に当たる髭の感じ。先生とキスしてるんだなって実感出来て、嬉しくなる。先生の髭は、凄く好きだ。両手を先生の頬に添えて、指で髭を擽ると少し痛くて、それすらも幸せに思えた。あー、と先生が軽く頭を抱えた。
「おまえが素直なのは知ってるが、」
「うん?」
「素直すぎるのも勘弁してくれ。俺が持たん」
「……理性てきな?」
「そう、理性的な」
「ん〜……ん、無理! 好きなのは好き、ん、」
喋ってる途中なのに、またキスされた。なんで。先生ってたまに強引だよね。今度のキスは、少し深いやつ。唇を舐められて、従順に口を開くと、ゆっくりと舌が入ってくる。やわく吸い出されて、絡め取られる。ちゅく、と立つ水音。絶対わざと。
「んぁ、は、」
「えろい声」
酔ってるし、呼吸もつらくて緩く首を振ると、カサついた指の腹で耳を擦られて、肩が跳ねる。やっと離れていった唇が、私の唾液でテカっている。先生にえろいって言われたくない。エロいのはどっちだ。
首元に擦り寄って、喉仏にちゅ、と唇で触れた。くすぐったそうに上下する、太い喉仏。息を飲む動き、良いよね。首を傾げて上を見ると、先生はジッと私を見下ろしていた。優しい顔、解釈違いです。……嘘だけど。
「ねえ、」
「ん?」
「先生はロリコンなの」
「馬鹿言え。おまえ自分いくつだと思ってんだ」
「だってえ……」
先生と私の年の差は、まあまあ、まあまあまあまあある。私がちょっと、良いのかな〜って躊躇する程度には、年齢の壁は大きい。今私が21歳だから……36歳。いいね、食べ頃の男の年齢だ。煩悩出る。
「私のこと、いつから好きだった?」
「あー……ナイショ」
「やっぱりロリコンじゃん」
「……おまえが遅く生まれてきたのが悪い」
「あは、なにそれぇ」
すごい責任転嫁だ。ウケる。いつからだったのか、分からないけど、高校の時なのかなあ。卒業してからはそんなに会う機会多くなかったし、多分そうだろう。今度マイク先生にでも聞いてみよう。あ、そういえば。
「この服、マイク先生チョイス?」
「……ああ」
「やっぱり」
「そんな分かりやすいか」
「んー……先生っぽくはないし、最初彼女とかかなあって思ったんだけど、恋人じゃないならマイク先生かなあって」
「凄いな、正解だ」
私のことめっちゃ好きみたいだし、だとしたらマイク先生ぐらいしか思い付かなかった。当たりみたい。
「これ、予想するんだけど……私のためだったりする」
「……ウン」
「あっは、え〜! かわいい」
「かわいいはやめてくれ……」
なんせ、今をときめく若手人気美女ヒーローなもんで、私。自分で言っていくスタイルだ。少しでも、私によく見せようと思ってくれてたのかな、って思うとめちゃくちゃかわいい。かわいすぎて上機嫌になってきた。
正面からぎゅっ、と飛び付くように先生に抱き着いた。軽々と受け止めてくれるところ、昔から大好き。そのまま、ハーフアップしている結び目に手をかけて、髪を解いた。少し癖のある、長めの黒髪。やっぱり先生はこっちの方が見慣れてるし落ち着く。
「せんせ、好き」
「うん」
「すき、大好き」
「ああ」
「超すき、ずっとすき」
「うん、俺も」
ぽん、ぽん、と背中を優しく叩かれる。言っていいんだ、って分かったら、抑えきれなくなっちゃった。
「……先生は言ってくれないの?」
「好きだ、愛してる」
「お、っふふ、」
「ん、どうした」
「や、急に愛してるは重い」
嬉しいけど。ギャップがさ、あるじゃん。めちゃくちゃ嬉しいけど。くすくすと笑っていると、額に柔らかくキスが落とされた。
「だめだったか」
「んー、私以外なら引いてるかも」
「じゃあ大丈夫だな」
「え?」
「お前以外にこの先言うつもりねえよ」
ひ、ひゃあ〜! 死んだ。グッピーどころかマンボウも死んだ。むり、つら、好き。やばい。思わずひゃあ、と叫んでしまった。先生、好きな人相手だとこんなんなるの? 聞いてないんだけど、ちょっと。ひゃあ〜!
「せんせ、マジやばい……すき……」
「それなんだが」
「それ?」
「俺はもうおまえの先生じゃないよ」
「え……急に悲しいこと言う……」
たしかに卒業してそれなりに経ってるけど。しゅん、としたら、あ〜、と先生が唸った。
「じゃなくてだな……」
「なあに〜」
見つめ合う。わ、やっぱり目付き悪。右目の下の傷痕を、指の先でなぞる。今日の先生、全然合理的じゃないな、って気付いた。それぐらい、なんか、必死なのかもしれない。照れる。
「名前、」
「名前?」
「名前で呼んでくれ」
「ほわ」
なるほど。先生じゃない、イコール名前で呼べってことね。なるほど。いや、なるほど。心なしか、先生の顔が赤くなったのを見て、ぶわわ、と自分の頬に熱が集まる。名前なんて、高校の頃ならふざけていくらでも呼べてたのに。大人って照れる。
「しょ、うたさん……」
「……磨」
「ひ、」
私の名前も呼ぶんかい。聞き慣れた先生の声から、聞き慣れない響き。頬をなぞっていた手を取られて、ゆっくりと指を絡め合う。傷痕のいっぱい残った、大きくて無骨な手。
「磨、もっと」
「……消太さん。消太さん、すき」
「磨……磨、磨」
「消太さ、わっ」
指を繋いだまま引き寄せられて、再びその腕の中に逆戻り。私の頭に顔を埋めて、スン、と鼻を鳴らした消太さん。匂い嗅いでるでしょ、ねえ。
「はあ、磨」
「っふふ、どんだけ呼ぶの」
「ずっと呼びたかったんだ。許してくれ」
懇願するように囁かれたら、そんなん許しちゃうじゃん。笑ってからかうことも出来ない。ずるい。
「……ん、許した」
「ありがとう、磨」
「隙あらば呼ぶじゃん……」
「……おまえを、俺だけの物にしたかった」
少し照れたような、言い淀みながらも落とされた告白。え、照れてしまう。どんな顔してるんだろ、先生も照れてるのかな。顔見たい。キツく抱き締められたままで顔を上げられないから、少しだけ距離を取ろうと先生の胸元を押すと、嫌だとでも言うように無言で腕の力を強められた。わがままか。
「顔、見たいの」
「……」
「おねがい、消太さん」
お願いすると、ほんの少しだけ腕が緩んだ。んふふ、かわいいかよ。やっと見れた先生の顔は、ちょっとバツが悪そうな、照れているような。かわいい。
「ね」
「ん?」
「……意外と独占欲強い?」
「ああ、俺も今知った。こんなんになるの、おまえにだけだ」
「そ……うですか、それはそれは……」
「照れるタイミングが分からん」
いやこんなん照れるじゃん。アンケート取ったら90%照れる支持されるよ。取ったろか!? これは照れ隠しです。座ったまま、ちょっと背伸びしてちょんっ、とキスをした。
「……一緒に住むか」
「えっ! はや!?」
「駄目か?」
「だ、めじゃないです……」
「そうか、よかった」
ゴリ押しである。この男、自分が好かれてることをめちゃくちゃ利用してくるじゃん。両思いハッピーになって数時間も経たない内に同棲持ちかけられることある?
「ショウタサン、手はやい……」
「んなことねぇよ。3年、待っただろ」
「3年?」
「卒業してから」
「ああ、たしかに3年……」
なんで3年?
「在学期間と同じだけ逃げる猶予は与えたからな」
「……猶予だったの?」
「ああ。その間におまえが別のとこ行くなら逃がしてやろうと思ってた」
「そうだったの!?」
「まァ、今日顔見た瞬間そんな考え消し飛んだが」
衝撃の事実発覚だ。そうだったんだ。卒業してから、先生のことは好きだけどそれなりに彼氏作ったりしてたんだけどなあ。若さ故の過ちっていうか、なんかほら、流れで。ね。
「彼氏、いたりしたよ?」
「知ってる。芦戸から逐一報告を受けてる」
「三奈……!」
「正直ムカついた」
「す、すなお〜……」
ストレートすぎると私の心臓バックバクになるからやめて。ていうか三奈も噛んでたのか。くそ、ありがとう。愛してる、三奈。マイラブベストフレンド。
「もう逃がさんから安心しろ」
「くわれる……!」
「今日は手出さないよ」
「今日は、って言った〜!」
本気の相澤消太、ヤバすぎる。こんなのまだまだ本気の一端だったと、この後、丁重に分からされることになるとは、この時の私はまだ知らなかった。
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