王子さまならキスをして(轟/10万打)



「うあれ、」

 グラついた視界に頭を抑える。パタ、と真っ白なヒーローコスチュームに鮮血が散った。ぽた、ぽた、と止まることなく落ち続ける鼻血だ。うわ、鼻あっつ。頭もあっつい。強めの眩暈に、膝から力が抜けて、崩れるようにそのまま座った。
 今日の基礎学は、お互いを敵に見立てた森林地域での戦闘、それから人質ロボの救助訓練だった。人質ロボは両チームに一つずつ。守ってもよし、隠してもよし。ただし隠してしまうと広い森で見付けるのは困難なので、数分置きにビービー泣き喚く。これがまたうるさいんだよねえ。三人一チームで、チームのメンバーは私以外に轟くんと梅雨ちゃん。寒さに弱い梅雨ちゃんの側で派手に氷は使えないぐらいで、索敵、近接、遠距離とわりとバランスのいいチームだったけれど、相手が爆豪くん、響香、瀬呂くんなんていう鬼のバランサーチームだったので、めちゃくちゃド派手に拮抗したのだ。私もいくらか……期末試験の時の要領で、結構大規模に森を荒らした。それから制限時間の25分が来て、結局勝負はドローとなかなか煮え切らない結末に終わった。まあ、負けないだけまだいいでしょ。でも、なーんか今日はテンションがノリノリだったというか、いつも以上にこう、パワー! って感じだったので、久しぶりに個性を使いすぎた感がある。シンプルに調子悪かった……良すぎた? いや悪かった? のかも。ひんやりする地面に頬を付けた今更気付いたところで、後の祭りというやつだけど。

「磨ちゃん、立てるかしら」
「鼻血やべぇな」

 チームメイトの梅雨ちゃんと轟くんが寄ってきてくれる。試合が終わってこれから講評だって言うのに、少々情けない。梅雨ちゃんが目の前にしゃがんで聞いてくれた。梅雨ちゃんの大きなグローブと、轟くんの付いた片膝がブレブレの視界に映る。

「つゆちゃあ゙ん」
「顔色もよくないわね」
「力抜けきってんな。……緩名、立てねえだろ」
「んんん〜……」

 ズキズキと痛む頭を抑えたまま返事をする。立ちたい気持ちはティースプーンひと匙分くらいはあるんだけど、脱力した身体は言うことを聞いてくれなかった。地面が冷たくて気持ちいいのが悪い。そして気持ちは悪い。

「なにしとンだ雑魚」
「えっ、磨グロッキーじゃん」
「珍し、おーい緩名、大丈夫か?」
「のー……」
「おっけ、大丈夫じゃねえんだな」

 相手チームまで集まってきた。わらわらだ。ひー、目が回る。回って回って回って回ってる。みんな結構ボコスカ怪我してて、怪我の具合で言うと私が一番軽傷……と言うかもう完治しているはずなのに立てずに囲まれてるの、支援職としてまあまあまずい。たぶん無意識にブッパしてるの、改善策考えなきゃなあ、と考えていると、チッ、と鳴った舌打ちと一緒に不意に身体が浮いた。

「わあ」
「汚ンだよ」
「ちょ、爆豪、雑、雑」

 グイ、と腕を引っ張り上げられて、伏せていた身体を座らせられる。ワー、視界が余計に回る〜。頭がなんかめっちゃ重いし吐きそう。首が座らずぐらんぐらんしているせいか、また一つ舌打ちをした爆豪くんが今度は隣にしゃがんで肩と顎を支えてくれた。雑だけどやさしい。

「顔色やっば」
「血まみれじゃん」

 そうだ、鼻血。たぶん今、個性が昂りすぎて感覚も薄くなってるから忘れてたけど、鼻血も出てるんだった。唇に垂れた血を、いつの間にかグローブを外した素手が拭っていった。え、それはまずい。血つく。反射的に力の入らない腕を、爆豪くんの手にかけた。

「ンだよ」
「よごれるよお……」
「洗えば済むわ」
「んえぇ……」

 そうだけども。気持ち的なアレであれじゃん。っていうか鼻血まみれの顔面見られんのちょっとアレなんですけど。乙女のポリシー的に。んんん、と顔を逸らそうとしたら、今度は爆豪くんとは逆から伸びてきた手が鼻に触れた。

「鼻冷やすぞ」
「血ぃ、つくって」
「大丈夫だ。……ちょっと抱くぞ」
「んん……っ、わ、」

 轟くんが私を左手で抱き上げて、右手を未だ血の止まない鼻に当てて、ひんやりと個性で冷やしてくれた。あ、冷たくて気持ちいい。チッ、と下から本日何度目かの舌打ちが聞こえたけれど、ご機嫌が斜めみたいだ。爆豪くんはわりといつもか。王子様みたいね、と梅雨ちゃんが一言。わかる。

「……熱いな」
「……そ?」
「ああ。結構高ぇな」
「ありゃあ」

 熱が出ているようで、ああ、なるほどね。熱暴走って感じか。通りで。神野以降、個性のキャパがえげつなく増えたのが原因らしく、こうしてたまにショートすることがある。まだ身体が慣れきっていないから、次第に順応していくでしょう、とお医者さんは言っていたけれど、暴発してぶっ倒れてたら現場では役立たずだ。

「おまえ、回復役が重症でどうすんだ」
「めんぼくなしです……」
「おまえの個性は特に体調に影響されんだから体調不良には人一倍気を付けろよ。次までに改善策考えとけ」
「ふぁい」

 轟くんに抱えられたまま集合場所に戻ると、先生に注意された。ほんとそれな。

「……熱ィな」

 先生の手が首筋に触れて、熱を確かめる。そのまま保健室行ってこい、とのこと。講評は後にするようだ。

「轟、頼めるか」
「はい」

 相澤先生に任された轟くんが、再び歩き出した。ふわふわと揺れる感覚に、眠気が襲ってくる。キツめに個性使ってしまったから、まあそりゃあそうだ。瞼が重くてくっついてしまう。

「眠ィか?」
「うん……」
「お、血止まったな」
「うん」

 鼻血特有の、鼻の付け根あたりがジンジンツンツンする感覚がなくなっている。代わりに、こめかみがキリキリと痛み出した。轟くんの手が再び額に当てられて、その冷たさに頭痛が和らぐような心地がした。薄く目を開くと、轟くんの手には血が結構べっとり、付着している。わあ、スプラッター。

「ん、ごめん、血……」

 声をかけると、ああ、と自分の手を見た。

「爆豪も言ってが、洗えば落ちるだろ。そんな気になるか?」
「んー……きになるよ……」
「なんでだ」
「だって……汚いし」
「そうか?」
「そ〜だよ……」

 鼻血だよ。鼻からの血。服ならまだしも、直接手に着くのなんかいやじゃない? いや服は服で落とすの大変だから嫌だけど。

「緩名のなら汚くねえよ」
「なにそれえ」

 血なんて、誰のでも汚いと思う。感染症とか気を付けないとだし。へんなの、と笑おうとしたけれど、熱い吐息が喉を掠めただけだった。

「熱、上がってんな」
「ん……」

 自分でも、行き場のない篭った熱気が身体の中を暴走しているのを感じる。急ぐ、と一言だけかかった声に、ゆっくりと目を閉じた。



「リカバリーガール、いねえみたいだな」
「んぅ」

 保健室は無人だった。最近のA組の基礎学では、練習も兼ねて私が治療をする機会が増えたからか、リカバリーガールが離席していることも多い。余計に回復役がぶっ潰れたら意味がないよね、と自分に呆れてしまう。反省。
 シャッ、とベッドのカーテンを開いた轟くんが、私の身体をその上にそっと座らせた。自立できるほど回復していないせいで、前に倒れそうになった身体を轟くんに支えられる。ぽすん、と轟くんの肩に頭を預けていると、下の方からパチパチボタンを外す音がして、脚に開放感。靴を脱がしてくれてたみたいだ。また少し抱えられて、今度は丁寧にベッドに横たえられる。轟くんって、ナチュラルに王子様みたいなことするよねえ。ズキズキする頭がドキドキに塗りかけられてしまう。

「ちょっと待ってろ」
「ん……」

 パチャパチャと水の音がする。おそらく、付いしまった血を落としているのだろう。

「顔拭くな」
「……んあ? うん」
「ちょっと冷てェぞ」
「ぅい……ん」

 固く絞った濡れタオルで、顔に付いた血や汚れを拭われる。イケメンに鼻血拭かれるの、流石にちょっと恥ずかしいな。言ってる場合ではないんだけども。ほぼ介護なんだもん、だって。優しく動くタオルが冷たくて、火照った頬に気持ちいい。少し身動いでしまったからか、首の後ろに轟くんの手が差し込まれて、支えられた。ぐらんぐらんだったからね、仕方ない。救助訓練で学んだことをよく生かせてるじゃん、なんて、何様だよ、みたいな考えがチラつく。頭を支えてくれる轟くんの手も冷たくて、気持ちがよかった。

「わ」
「……ン、どうした」

 だいたい拭き取られたようなので薄く目を開けると、整った顔が思っていたよりもずっと近くにあって、ちょっとびっくりした。ぼやけていてもハッキリ見える距離だもん。びびるよね。

「んぁ、なんか、ちかくて」
「そうか?」
「んー」

 近い。だって、轟くんの、男性にしては長いまつ毛が、下まぶたに影を落とすのすら見えている。あ、これあれだ。あれじゃん。

「キスするときみたい」
「……は」

 茹だった頭で思い付いた言葉を、無意識にそのまま呟くと、色の違う双眼が、パチリ、と長いまつ毛をはためかせた。ぱちぱち、と驚いたように短く瞬きして、至近距離で見つめられる。え、なに? 轟くんのあまり色の変わらない頬が、うっすら朱を帯びていった。

「ぇ、」

 それから、もうほんの少し、小指の先程くらい、轟くんとの距離が近付いた。ちか、近い。え、なに、なんで。濡れタオルを持っていたせいで湿った手が、頬にかかる。……え、これ、ちょっと待って。キスのやつじゃん。細く高い整った鼻の先っぽが、私の鼻にちょんと触れた。……あ。
 ぎゅ、と固く目を閉じて、覆い被さるようになっている轟くんの腕を握った。触れる予感に、息を潜める。額にサラリと触れた髪の感触に、ビクリと身体が揺れた。
 ゴチン。

「……いたあ」

 デコにぶつかる衝撃に、目を開く。と、本当に触れてしまいそうな距離にいた綺麗な顔が離れていって、支えてくれている腕にゆっくりと降ろされた後頭部が枕に触れた。……? 今のなんだったん?
 流されそうになったけど、なんで急にキスの流れになってたんだ? 未遂だけど。未遂だけども、発熱でボヤボヤの頭では原因が掴めない。えっ、なんで? 困惑顔で傍らに立つ轟くんを見上げると、クソ、と一つ吐き捨てられた。えっ。

「……あんま、そういうこと言うのやめてくれ。本当にしちまう」
「えっ」

 そういうこと……? なに言ったっけ、私。……あ、思い出した。数行前を。あ、ああ〜いや、今の私だな。私が悪いわ。うん。おまわりさん、私です。
 轟くんは、ぽやぽやしてるし、天然だし、俗物的なものとあんまり関わりがなさそうに見えるけれど、でもちゃんと健全な男子高校生だ。思春期の男の子なんて頭の中八割エロらしいから(峰田くん談)、そんな相手に私の発言は、キスをねだってる、って取られてもワンチャン仕方ないまであった。もうね、頭がバカになってんだ。発熱で。仕方ない、けど轟くんにちょっとだけ申し訳ない。あと、普通に恥ずかしい。
 さっき一瞬、目の前に迫った轟くんの顔が綺麗すぎて、目にも脳裏にもしっかりと焼き付いてしまい、忘れられない。くそ、イケメンって罪だ。

「……あー、熱、計っといた方がいいよな」
「う……ぅん」

 探してくる、と気まずそうにカーテンの向こうに行った轟くんを見送って、ぶつけられた額を抑えた。別に、めちゃ痛いとかではなかったけど、轟くんにしては手荒な手法だったな。気恥ずかしさをかき消すように、もそもそと掛け布団に潜り込んだ。肩までくるまったまま、寝るには邪魔なコスのコートを脱いだ。ぐちゃぐちゃになっちゃう、とは思うものの、今から起き上がってハンガーにかける気力はない。ふう、と吐き出した呼気も熱くて、目をつぶるとふわふわ浮かんでいくような感覚に襲われた。あー、悪夢見そう。熱出た時ってなんか変な夢見がちだ。

「緩名、体温計挟めるか」
「ん」

 いつの間にか戻ってきていた轟くんが、体温計を差し出してくる。電源の入ったそれを、のろのろと脇に挟んだ。うう、先っぽのところがヒヤッとする。
 挟んで数秒で、ピピッ、と電子音が鳴った。今の体温計鬼早いんだけど。眠くて目が開かないまま手渡すと、轟くんが高いな、と呟くので、たぶん高いんだろう。

「リカバリーガールが来るまでもう少しかかるみてぇだ」
「んあ〜」
「緩名、寝ていいが、水だけ飲んでくれ」
「うーん」

 水分補給、大事だ。手だけを伸ばすと、轟くんが手首を掴んで引っ張り起こしてくれる。それから、お、と一言。

「脱いだのか」
「んぁ? ……うん、さむい」
「着た方がいいんじゃねえか」
「え、やだ〜」
「嫌か」

 剥き出しの肩を抱かれて、飲み口を下唇に宛てがわれた。介護されてる。経口補水液は常温のはずだけど、私の身体が熱いからか、冷たく感じた。さむい。ゾワゾワする。寒いけど、服を着るのは嫌で、轟くんに擦り寄っていく。

「緩名」
「さむい」
「だから着た方が……って、ああ……」
「さむ〜い」

 中腰の轟くんの腰に手を回して、ベルトの少し上をぎゅっと掴む。あったかい。そのまま微睡むと、ちょっとだけ抵抗していた轟くんもまあいいか、と諦めた。肩に回る左手がぬくい。あったかく調整してくれているんだろう。優である。

「緩名、ちょっと体勢変えるぞ」

 このままだと俺の腰が死んじまう、と轟くんが私の膝裏に腕を回して、抱き上げたままベッドに座り直した。膝の間に下ろされて、抱き込まれる。轟くんが引き寄せた薄めのシーツが肩に巻き付けられて、安眠体勢がバッチリになってしまった。おそらく乱れているだろう髪を轟くんが柔らかく梳いて、その心地良さにますます睡魔は加速する。やば、ガチで寝る。よだれは垂らさないようにしたい。うっすらと目を開くと、意外と太い首筋に浮き出た喉仏、それからツンとした顎の先。男性らしい薄い唇は、よく見ると少しだけ荒れていた。それでも、整っているんだからすごい。薄い唇って、キスしたときの触れ合っている感がよくて、気持ちいいんだよねえ、なんて、眠気と頭痛と発熱で平素の轟くんよりもぽやぽやする頭で考えた。

「お、どうした」
「……」
「緩名? 寝てんのか?」
「……」

 指先にまで熱が灯ったような心地がする。重だるい腕をもたげて、緩慢にその薄い唇に触れた。緩名、と戸惑う声が、どこか遠い世界に聞こえている。人差し指の腹でなぞって、ぷに、と押し込む。唇は、見た目よりもずっと柔らかかった。ふああ、とあくびを一つ零して、全身から力を抜く。眠いわ。

「べつに、轟くんとならいいんだけど」
「……ハ、」

 ちょっと待て、と怒っているのか、混乱しているのか、戸惑っているのか。そんな声を上げて身体を強ばらせる轟くんを無視して、おやすみぃ、と今度こそしっかり眠るつもりで目を閉じた。



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