甘く馨しい香りがしました。(モブ視点/10万打)



 朝、登校してくる生徒が多くなる少し前。大体それがいつもの登校時間だ。同じように早め登校仲間の同クラスの友達と靴箱に差し掛かった時、この一年なにかとお騒がせな、トップアイドル級の美少女の姿を見かけた。それなりに朝も早いと言うのに、変わらず彼女はかわいらしい。

「緩名さんだ」
「うおー、朝からかわいいな」
「ラッキーじゃん」

 彼女本人は気付いても気にしていなさそうだが、人目を引く容姿のためかやはりとても注目されている。緩名さん、にわかに信じられないくらい整った容姿で、気まぐれのようにファンサを振り撒いているからなあ。なにやら両手に荷物を抱えて、お騒がせクラスの友達だろう生徒と笑い合っていた。いいなあ、自分も同じクラスなら仲良くなれていただろうか。……高望みはせん。自分の友人達も彼女にゾッコンで、直接フラれてもめげないやつまでいる。

「あ、靴とれない」
「持つか?」

 靴箱に差し掛かると、同じように下足を履き変えようと緩名さん達が向かいの靴箱に。荷物で手を塞がれているから、履き替えられないようだ。手が必要なら今すぐ手伝いたい、と思ったがそれよりも早く彼女の友人達が反応していた。

「障子くんありがと〜、ん、轟くん」
「ここだよな」
「うん。……わあ、ありがとう」

 体格の良い多腕の男子生徒が緩名さんの荷物を代わりに持ち、あの女子の視線を独り占め雄英王子様ランキング(裏調べ)NO.1の轟焦凍が、ひとつの靴箱に手をかけた。そこからの行動に、チラ見をしている自分も友人達も、エッ? という声がハモってしまった。あぶない、聞こえていなかっただろうか。

「ふふ、これくすぐったくない?」
「そうか? ……緩名足ちっちぇな」
「そりゃ轟くんとか障子くんに比べたらそうだよ」
「緩名は手もかわいらしいサイズだな」
「障子くんはおっきすぎるの〜!」

 彼女の足元にしゃがんだ轟焦凍が、緩名さんの足を包む靴を外して、学校指定のソックスに包まれた足を一度自身の膝に置き、内履きへと履き替えさせている。バランスが難しいのだろう、ふらつきは見せないが隣の障子と呼ばれた男に緩名さんが凭れて、そのまま両足とも履き替えていた。
 三人がナチュラルに受け入れていたが……いやいやいや、なぜ靴を轟焦凍の手ずから履かせる必要があるのか!? 荷物は既に預けているのだから、緩名さんは自分で履き替えられるわけで……あれ? これ自分がおかしいのか? あっちが常識? いやでも、緩名さんの靴を履き替えさせる轟焦凍はさながらシンデレラにガラスの靴を履かせる王子の様だったな……いや、そんなことはどうでもよくて。隣にいた友人と目を合わせると、友人も同じように鳩がマメ鉄砲の表情をしていて、だよな、と頷きあった。

「今日なんかあったか?」
「朝から大荷物だな」
「ん? ああこれ、なんか貰ったの」
「誰にだ?」
「サポート科の先輩。サポートアイテムのお手伝いしたからお礼だって」

 緩名磨、おそろしい女である。



 運悪く担任に見つかり、クラス人数分のノートの回収を頼まれてしまった。せっかくの休み時間、当然友人が手伝ってくれるわけもなく、愚痴りながら担任の机にノートの束を置くと、なにやら楽しげな声が聞こえてきた。

「ね、めっちゃ先生に似てるでしょ〜」
「確かに先輩にそっくりですね」
「どこがだ」
「目付きの悪さとか……あっ、暴力反対〜!」

 自身のスマホの画面をイレイザーヘッドと13号に見せつけている緩名さんがいた。イレイザーヘッドが緩名さんの小さな頭を片手で締め上げている。もちろん加減はしているんだろうが、はたから見たらなかなか恐ろしい光景だ。ブンブンと頭を振ってイレイザーヘッドの手から逃げた緩名さんは、13号を盾にしている。

「ね〜、でもかわいくない? 先生知り合い?」
「……見たことねェやつだな」
「あ、じゃあ新入り猫じゃん」
「どこから来たんでしょうね」
「校長に報告しとくか」

 どうやら見せていたのは猫の写真らしい。猫というのはイコールでかわいいが結び付く存在だ。それがあの、同学年の生徒まるまる除籍したイカレイザーヘッドと似ている……だと? 該当の写真を見えていないので想像が付かないが、よっぽど人を殺しそうな見た目の猫だったのだろうか。

「どこにいたんだ、コイツ」
「せんせーといつも逢瀬してると〜こ、っ、いた〜!」
「紛らわしい言い方すんな」
「まあまあ先輩」

 パコンっ、と小気味よい音が鈍く響いた。イレイザーヘッドが手に持ったファイル……緩名さんのだろうか? で緩名さんの頭を軽く叩いたのだ。信じられん。ヒーロー科ではあれが普通なのだろうか。緩名さんも他の教師たちも特に気にする様子なく平然としていた。……逢瀬? そういえば、緩名さんは逢瀬と言っただろうか。イレイザーヘッドとあの雄英トップクラスの美少女が逢瀬……そこはかとなくイケナイ響きを伴っている。いや、紛らわしい言い方するな、と言っているからきっと健全な逢瀬なのだろうけど。……生徒と教師の健全な逢瀬ってなんなんだ。補習とかだろうか。

「さっさと教室もどれ。チャイム鳴るぞ」
「はーあーい」
「伸ばすなハイだバカ」
「はい……バカっつった!? 今私のことバカって言った!?」
「さァな。聞き間違いじゃねェか。いいからさっさと戻れバカ」
「……言ってるじゃん〜! 先生のばーか!」
「小学生か」

 イーッ、と舌を出してイレイザーヘッドに威嚇しながら緩名さんが職員室を出た。凄いな、かわいい子はどんな顔しててもかわいいんだな……。ああ、今の表情、写真に収めておけばよかった。くそう、惜しいことをした。時計を見ると確かにもう休み時間も終わりそうで、自分もさっさと教室へ戻らなければ、と踵を返した。
 職員室から去る緩名さんを見るイレイザーヘッドが、少しだけ口元を緩めた気がして。えっ、笑顔……? あの除籍魔で鬼のように厳しい合理的だと授業の受け持ちのない他科まで噂を轟かせているイカレイザーヘッドが? 直接話したことはないが、殆ど厳しい顔をしているところしか見た事の男の笑顔に、背筋がヒンヤリと冷えた。
 緩名磨、なかなかおそろしい女である。



 混みあった食堂。出遅れた。四限の授業を長引かせる教師は言語道断すぎる。生徒の腹事情も授業の換算に入れて欲しいところだ。キョロキョロと見回してみるが、なかなか空席が見付からない。

「席あっかな〜」
「空くの待つしかないかもな……あ」
「ん? あ、ここどうぞ〜ほら爆豪くんどいたげて」
「ア゙ァ?」
「ヒッ」

 混雑した食堂内をさ迷っていると、二つだけ、長机の中腹に空いた席を見付けた。その傍には、パッと目を引く存在が。ヒーロー科一年A組、緩名さんと並んで最も有名だろう生徒、爆豪勝己だ。
 緩名さんと並んで座っているその爆発頭の男がギラッと瞳を光らせてこっちを睨みつけるのに、思わず友人と怯えた声を出すと、威嚇しなーい! なんて緩名さんに甘えられていた。……いや、甘えられていた、という表現はどうかと思うけれど、爆豪勝己に注意する緩名さんはどこからどう見ても、こう、甘えているように見えるのだ。すみませんありがとうございます、とこちらの方が先輩なのに腰を低く挨拶して、爆豪勝己のはみ出た脚が退かされて空いた席へ腰を下ろした。

「あ〜、上鳴くんいーもんもってんじゃん」
「出たかつあげ」
「げぇっ、バレた?」
「ばれたばれた、よこせー」
「自分の食えやデブ」
「ンだと? スーパーモデル体型だわ」
「自信過剰かよ」

 緩名さんの隣には爆豪勝己と黒髪のひょろっとした男、爆豪勝己の向かいにチャラついた男、その隣緩名さんの向かいに耳たぶの特徴的な女子、隣にピンク肌の陽キャっぽい女子、さらにその向こうに赤髪の男が座っていた。なかなかの大人数である。緩名さんはどうやらチャラい男のメロンパンを狙っているようだ。一口ギブミー、と笑顔で差し出している。緩名さんの前には普通の定食、からあげの甘酢あんかけだろうか? いいな、自分もそれにしよう、と並んでくれている友人へメッセージを送った。ご飯のサイズは小さいけれど、女子としては平均なのではないだろうか。他の量が凄いので比べると大分少なく見えるが……ヒーロー科は身体が資本だからな。食事の量も結構驚くぐらいだ。

「同じの食べてるとなんかほら、おいしいけど、飽きがくるじゃん」
「来ねぇよ」
「緩名の気持ちはわかるぜ! だから俺ァ毎回違うの頼んでるしよ!」
「ありがとう、切島くんは食べすぎだから多分違うんだけどね」
「フォローに入ったのに哀れ切島」
「ということで味変メロンパンちょうだい」

 横暴だ……。俺様? いや、女子の場合姫様だろうか。とりあえずなかなかに暴論を振りかざす緩名さんによって、チャラ男子のメロンパンは一齧り分奪われていた。といっても、双方気にしていなさそうだが。
 二人分のトレーを持ち帰ってきた友人に礼を言って、自分もさっさと昼にありつく。視線は少し逸らして、耳だけは隣のグループの会話を盗み聞きだ。良くないことだとは分かっていても、気になって仕方ないので許して欲しいところだ。

「ねー、マーボーも一口、一口」
「アタシもいきたい!」
「俺も俺もー!」
「なんでおまえらそうチャレンジャーなの?」
「ッセ誰がやるか」

 アッツアツのあんかけを吐き出しそうになった。緩名さんがあろうことかあの! 悪鬼羅刹の如き形相を見せた爆豪勝己にまで一口ちょうだいの圧をかけていたのだ。それに乗っかるのまでいる。正気か? 意外と爆豪勝己は教室内では大人しいのだろうか。いやそんなわけがないな。二秒で分かった。

「緩名も芦戸も上鳴も、毎回よくやるよなぁ」
「学習能力ないバカだからね」
「バカじゃないも〜ん、成績いいもーん」
「これで頭良いのズルだよなー」
「磨はアタシと同じで頭の良いバカでしょ」
「いや、芦戸成績ほぼ最下位だろ」

 どこからだしたのかあーんして! と書かれたミニうちわまで取り出している。緩名さん、そういうキャラなんだ……。今日一日で彼女についてなかなか知見が深まったような気がしている。そうか、凄いな。なんというか……綺麗な見た目に反してこう、強烈かもしれない。でも可憐だ。

「もー、じゃ交換ね、はいあーん」
「んぐっ……ってめェ! 毎度毎度突っ込むんじゃねェっつってんだろォが!」
「美味しかったでしょ?」

 ずぼっ、という勢いで爆豪勝己の口に自身の皿からからあげをひとつ突っ込んだ緩名さん。……彼女は本当に正気なのだろうか。いや、大分クレイジーだ。隣で烈火のように怒鳴り散らしているにも関わらず何処吹く風で呑気に談笑している。精神がタフすぎないだろうか。

「っつたく……オラ、口開けろ」
「えっ、爆豪くんラブ〜!」
「えー爆豪ずるーいアタシのは?」
「かっちゃんズリィ〜」
「るせェ死ね」

 言いながらも、レンゲで掬った麻婆豆腐……にしては少々色が見慣れたものよりドス黒いが……を緩名さんに差し出していた。マジか、マジなのか爆豪勝己。おまえも流石に緩名さんの美少女フェイスの前には屈するというのか。

「あー……んぐふっ、ごふっ、おふっ」
「フッ」
「あーあーあー」
「ほらもー、絶対そうなるのわかってたじゃん、バカ磨」
「やーいバカ〜」
「いや、おまえらもだからね」

 変色した麻婆豆腐を緩名さんが小さな一口で言った瞬間、ゴフッ、と噎せていた。いや、そりゃそうなるだろうよ、と外野として言わせて欲しい。爆豪勝己の食しているものは、なんと言えば良いのか……混沌を煮詰めてひとつなぎの刺激を振りかけたような見た目をしているのだから。隣に座る黒髪の男が緩名さんのか細い背を撫でて、黒髪の女子が水を差し出していた。やけに手馴れているが、これが日常なのだろうか。だとすれば、ヒーロー科と言えども自分達と大して変わらないんだな、と印象が少し変わった。もっとピリピリしているかと思っていたが、緩名さんの雰囲気はなんというか……緩い。

「さ、山椒系はキツかったかも……」
「や、磨それカレーの時も言ってたからね」
「ラーメンの時も」
「あー、ピザの時もか?」
「逆になんならいけんだよ」
「今日はいけると思ったの!」
「だっせェ」
「なんだと〜」

 むっ、と頬を膨らませる緩名さん。かわいすぎる……なぜあの、少し蒸気した頬に潤んだ瞳で上目遣いの、狙ったかのようなあざとい、いやわざとだと分かっていてもやっぱりかわいいの最上級な顔で睨まれて平気なのだろうか。慣れか? 慣れって怖いんだな……いや、よく見るとうっすらと顔を赤らめている男も多いな。なるほど、慣れてもやっぱりかわいいと思う気持ちは抑えられないんだな。ああ、こんなことなら留年して転科して一年A組に入ればよかった、と悔いたけれど、そもそもヒーロー科に入れるようなポテンシャルがなかった。無念である。

「まだ舌ピリピリする……」
「おーおー水飲んどけ」
「オレンジジュース飲みたい」
「強欲な壺かァ?」
「かっちゃん買ってきてえ」
「ハン、やなこった」

 鼻で笑われた緩名さんは、黒髪の男に爆豪くんがいじわるする、と訴えかけて、飲みかけの野菜ジュースを奪っていた。全員緩名さんに甘くないだろうか? いや、彼女にあんなふうに甘えられたら誰でもそうなるか。反語である。その後、緩名さんは女子二人の腕にくっ付いて教室へ帰って行った。
 緩名磨、かなりおそろしい女である。



 六限での体育はやる気がなくなるものだ。そのおかげか、友人がドジって怪我をしていた。もう下校だが、仕方ないので保健室へ付き添ってやる。と、本日四度目の眩しい存在がいた。稀に臨時でリカバリーガール代理をしていると聞くが、それだろう。ものすごいレアだ。なんという僥倖。今日一日の緩名さん遭遇率だけで、彼女のファンクラブに潰されるのではないかとヒヤヒヤものだ。

「あちゃ、めっちゃ擦りむいてますね〜」

 見事にズベシャと転んだ友人は、なかなか見るも無惨な肌をしていた。痛そうだ。いてぇ! と喚きながら水でよく洗ってきたが、緩名さんを見つめる熱に溶けた瞳を見るに自身の不幸に感謝しているに違いない。緩名さんが友人の前に屈んで、消毒をしているけれど、あまりにも近い緩名さんに昇天しかけている友人はなぜか呼吸を止めていた。分かる、分かるぞその気持ち。

「はい、ちちんぷいぷい〜」
「……? あの、」
「へへ、魔法みたいでしょ? だから、魔法っぽくしてみたの」

 しなやかな手を患部に翳した緩名さん。いたずらっぽく、でもちょっと照れたように笑う緩名さんを前に胸を抑えないでいれる人間がいるだろうか? いや、そんな人間は存在するはずがない。

「グッ……!」
「ウッ……!」
「えっなに撃たれた? スパイファミリーいる?」
「いえ……お気になさらず……」
「ええ?」

 二人揃って心臓を抑えた我々に、柳眉を顰めて心配げな顔をした。ふ、不審者にも優しい……女神か? 天使だった。オタクに優しいギャルはここに存在したのだ。いいや、緩名さんを言い表すには規模が小さすぎる。言い換えよう、人類に優しい女神である。

「大丈夫〜? めちゃくちゃ心音やばいけど」
「い、いつもです」
「いやそれ逆にやばいって」

 へんなの、って不思議そうに笑う顔が可愛すぎて、キュンと胸を鷲掴まれる。俳句にしてお茶のラベルに応募しそうになった。かわいい(かわいい)(カワイイ)(KAWAII)。五分にも満たない短時間だが、ここに緩名さんのリアコが二人誕生したことをご報告しよう。
 高鳴る鼓動を抑えようと脳内で方法を模索していたところに、ノックが二つ、それからガラッと保健室のドアが開いた。

「……あれ、緩名だけか」
「あら、心操くん。どうかした」
「いや、ちょっとね。包帯貰いに来た」
「ん、ちょっと待ってて」
「いいよ、自分でやるし。緩名はやることあんでしょ」
「ん〜?」

 どうも知り合いらしい、入ってきた気怠げイケメンと会話していた緩名さんがこっちへと向き直る。それから、擦りむいていたハズの友人の足を見る。……気付かなかったけれど、綺麗さっぱり、痕すら残らず傷は治っていた。緩名さんの個性を近くで見るのは初めてだが、なるほど、めちゃくちゃに凄い。

「もう違和感とか痛みもないですか?」
「あっ、あ、はい、あ、え、すげえ」
「んふふ、すごいでしょ」

 そう言って、小首を傾げた。小悪魔ageha〜! じゃあ一応これ記入して、書けたら教室戻って大丈夫です、と言う緩名さんに頷いて、保健室利用ノートへ友人が名前と時刻を書いていく。その間に、緩名さんはイケメンくんと仲睦まじげに話していた。……うわ、イケメンくんの手、凄いな。ボロボロだ。なにか……分厚い布とかで擦れた物だろうか? 見たところヒーロー科ではなさそうだけれど、なにがどうしてそうなったのか。緩名さんは少し怒った様子で、擦り切れて血のにじむ手を取っていた。

「も〜、治すから言ってよ」
「いちいち治してたらキリないでしょ」
「怪我した状態でやるより万全の状態で訓練した方がいいもん」
「それはそうだけど、緩名に面倒ばっか、」
「てーい!」
「……」

 緩名さんに負担をかけないように、と気遣ったイケメンくんの口を黙らせるように、緩名さんが飴を放り込んだ。びっくりした顔をして黙った少年に、勝ち誇るように笑っている。かわいい。それから、くるっと向き直って、ててっと小走りした。すごいな、美少女は擬音も行動も全てがかわいくなるのか。

「ね、先輩たちにも」

 ナイショね、と人差し指を口元に立てて小さく笑う緩名さん。手元には、ころんとカラフルな飴が落とされた。あまりの可愛さに、再びガアッ! と心臓を撃ち抜かれてしまい、異常な速度で生命を刻む胸を抑えながら、なにやらちょっと良さげな雰囲気を醸し出す二人を残して保健室を後にした。
 緩名磨、本当にげにおそろしい女である。



 遅れて行ったホームルーム後。今日は委員会があったので、下校がかなり遅れた。とはいえ雄英だ、サポート科は居残りで篭っていることが多いし、経営科や普通科も部活や委員がそれぞれある。なにより、ヒーロー科なんて毎日七限授業である。六限でも授業のペースが早すぎてヒイヒイ泣き言を言っているのに、それ以上且つ課外活動も多いヒーロー科は、本当に尊敬の存在だった。
 茜色に染まる校舎の玄関前。誰かの話し声が聞こえる。少しばかり耳のいい個性柄、こういった物音を拾うのは常だった。少し潜めた男の声と、同じように潜めた、天から降り注ぐ慈雨のように尊く優しく甘く人類を照らす光のような声が。間違いない、緩名さんだ。今日の遭遇率は本気で異常だ。ここまできたら今日一日の緩名さんレポートを纏めあげよう、その為にもどれ、と校舎裏を覗くと、思わず悲鳴を上げそうになって、咄嗟に手で抑えた。

「え〜、それでわざわざ?」
「まァ、磨ちゃんに会いたかったからね」
「私は別にそんなことないけど」
「手厳しいなァ」

 ほほほ、ホークスだ。何故? No.2ヒーローがなぜこんなところに……ホークスは雄英出身ではなかったはずだが。いや、一つだけあるな。緩名さんだ。以前、緩名さんはホークスと熱愛記事が出ていたはずだ。間違いない。ホークスの方から否定のコメントが出ていたし、あの時の緩名さんは、詳しくは知らないがなかなか痛ましい状況だったから、噂も直ぐに鎮火したが。……そもそも、緩名さんが誰かと付き合っている噂なんて入れ替わり立ち替わりで湧いてくるので、噂が静まるのもわりと早いのだ。とはいえ、こんな人目の付きにくい場所での逢瀬だ。火のないところに煙は立たないと言うが、はたして。

「まっ、ありがと」
「いえいえ、どういたしまして」
「これおいしいんだよね」

 影になっているのでよく見えないけれど、なにかを渡しているようだ。プレゼントだろうか。

「磨ちゃん」
「ん?」
「ちょっとこっち見て」
「なにぃ……わ」
「!」

 手で口を抑えていてよかった。でなければ、叫び出すところだった。だ、抱き合っている……? ホークスが緩名さんを呼んで、顔を上げた彼女の腰を引き寄せた。……え? 学校でなにを……え? やっぱりそういう関係なんだろうか。少し驚いたように見える緩名さんの耳元で、こっそりとなにかを囁いている。……流石にこの距離では聞こえない。ちょっとの時間そうしていたかと思うと、ス、と伸びた白い手が、ホークスの頬をぺち、と挟んだ。

「よけいなことしないっ」
「あら、怒られちゃった」
「いたいけな高校生をからかっちゃダメでしょ〜」
「別にそれだけが目的じゃないんやけどね」
「うそつきめ」

 ハハハ、とホークスの笑う声が聞こえる。なにがどうなっているのか、分からない。分からないけれど、鋭い鷹の目が、ゆっくりとこっちを見て、細められた。……ひえ、これは見付かってる。緩名さんは分からないけれど、ホークスには確実に見付かっている。プロヒーロー、若きNo.2の気迫は凄い。ジリ、と後ずさって、そのまま視線から逃れるように尻もちを付いた。

「こえぇ……」

 まじでおっかない。視線に悪意を感じたわけではないけれど、訝しげな雰囲気はそりゃもう、鈍い自分でも気付くくらいには醸し出されていた。ダメだ、なにかトラブルが起こる前にもう帰ってしまおう。気付けば夕日もとっぷりと落ちかけて、もう空はオレンジより紺が濃くなっていた。今思うと、ホークスもおっかないけれど、それに対して平気で対応していた緩名さんもすごいな。
 いやはや、緩名磨、まっことおそろしい女である。



「ねえ、なんか落としましたよ」
「ひいっ!」
「?」

 教室へ忘れ物をしていたので取りに帰って帰路に付いた。もうあと少しで寮の建ち並ぶ空間へ差し掛かった時、今日何度も聞いた声が、背後から愛らしく響いて、先程の背筋が凍るような視線を思い出して飛び上がってしまう。

「驚かしちゃった」
「敏感な人なんだな」
「キメェ言い方すんなボケ」

 緩名さん意外にも二人いる。ぎ、ぎ、ぎ、と錆びたブリキの人形並にゆっくりと振り向くと、パスケースを手に持ち自分へと差し出す緩名さんに、轟焦凍、爆豪勝己が両隣りに並んでいた。

「? おーい、大丈夫?」
「放っときゃいいだろォが」
「そういうわけにもいかねぇだろ。大丈夫ですか?」
「あ……あ、っはい、大丈夫ですすいません……!」

 挙動不審になっている自覚はある。なるべく三人から顔が見えないよう、差し出されたパスケースを受け取った。あっ、なんか一瞬いい匂いした気がする。緩名さんの匂いだろうか。

「あ!」
「っはははい!」

 やばい、キモイ思考をしていたのがバレたかもしれない。いやでも本当に美少女臭がするんだ。言い訳にはなるけれど、一度意識すると嗅ぐのを止められないというか、……本格的に自分気持ち悪いな。

「さっきの人? ごめんねえ、大丈夫でした?」
「あっあっあっ、はい、え? っあ、あー……なんのことでしょ、ッヒィ! ごめんなさい!」
「あっ、もー、爆豪くん威嚇しない」
「ア? この挙動不審なモブが悪ィだろ」

 さっき……思い当たることがありすぎて、でも出来れば忘れて欲しくて、アタフタとしていると爆豪勝己にド睨まれる。怖すぎる。雄英七不思議よりもだいぶ怖い。冷や汗が止まらない。

「アンタ、大丈夫ですか」
「ねえ、顔色悪いよね」
「あっ……の、あの、大丈夫です、はい……」
「ほんと?」

 轟焦凍と緩名さんに心配されてしまった。顔面の圧が凄い。よく見ると(見れないが)爆豪勝己も整った顔立ちをしていて、この場の顔面偏差値だけで言うとえげつない事になっている。一刻も早くこの場を去りたいと、並のメンタルの人間ならそう思うだろう。自分も例に漏れず、である。逃げたい。緩名さんが首を傾げると、サラサラの髪が流れるように肩からこぼれ落ちた。絵になる。うう、いい匂いがする。

「ありがと、っございます、あの、ふひ、」
「うん?」
「緩名さ……っ、いい匂いが、しますね、へへ……」
「は?」
「ア゙?」

 終わった。なぜそれを口に出した? 終わった。キョトンとした顔の緩名さん(顔がかわいすぎる)を爆豪勝己(面が良い)と轟焦凍(面が良い)が庇うように一歩前に出た。アッ、次はイケメン臭がする。いや、ちょっと待て、混乱のあまり口をついて出た言葉、思考しているだけでも気持ち悪いのに、面と向かって、面識ほぼゼロの人間に言われていい言葉ではない。その証拠がイケメン達の警戒である。絵画のタイトルにありそうだ。駄目だ、混乱している。目付きの鋭くなった爆豪勝己と轟焦凍を前に、緩名さんは特になにもなさそうである。自分が言うのもなんだが、もっと警戒心を持った方がいい、とアドバイスさせてもらいたい。

「あのねえ」
「緩名、あんまり近付くな」
「なんで、大丈夫だよ」

 大丈夫じゃないと思うなあ……。我がことだけど。轟焦凍の警告を緩名さんは受け止めた方がいいと思う。誰が見ても自分は不審者だ。下級生の女子に、「いい匂いしますね」は普通にアウト。アウト度数高すぎである。にも関わらず、緩名さんは自分の両手をひらひらと眼前で振っていた。

「最近ボディクリーム変えたの〜」

 いい匂いするでしょ? そう言ってふにゃっと微笑む顔が眩しすぎて、グワアッ! と浄化されてしまった。南無三。
 緩名磨は、最高の美少女である。



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