69
「先生」
連れて来られた大きめの車の前。人目に付かないように待っていたのは、相澤先生だった。迎えって、この人か。確かに、プロヒーローが護衛に当たるのは理にかなっている。
「緩名、帰るぞ」
「……先生、スーツ似合わないね」
テレビで見た姿のまま、いや、テレビで見たのよりはくたびれたスーツ姿で、先生が立っている。髭ないんだけど。顔もフルオープンだ。うわ、めちゃくちゃ新鮮。驚いて目を見開いてしまった。先生も、保護してくれた警察の方も、私の第一声を聞いて拍子抜けといった表情をしている。
「お前な……」
「まあまあまあ、とにかく移動しましょ」
どうせこの後事情聴取とか、色々あるのだ。感動の再会をここで繰り広げる訳にもいかない。さっさと中に乗り込むと、私の両脇を先生と警察官が固める。でっかい男に挟まれるの、窮屈で仕方ない。ちなみに車はパトカーではなかった。残念。乗ったことないから乗ってみたかったかも。
車の中は終始無言だった。街が壊滅するほどの被害者だ、パニックで少し渋滞はしていたが、署までは10分もかからず到着する。案内された通りに、取り調べ室に入る。ドラマで見るようなガランとした感じかと思えば、武骨だが意外と綺麗で、置いてあるソファや机も暖かみのある色調だ。観葉植物まである。犯罪被害者を案内するんだから、確かにこう言った内装の方がいいか。二人がけのソファも、ふかふかとまではいかないが、敵連合のアジトにあったものよりは大分座り心地がいい。最も、座っているのは私だけだけど。
「怪我は」
「……ん、あ、私か。全部治ってるよ」
物珍しい室内を観察してぼんやりしてたせいで、誰に話しかけてるのか一瞬分かんなかった。室内には私と先生しかいないのにね。
「痛みや違和感、不調を感じるところはないか」
「大丈夫。むしろ、頭がスッキリしてて調子がいいくらい」
私の身体には傷一つ残っていない。見えないところは分かんないけど、多分。数本折れていた骨も、完治している。個性様様だ。
「爆豪くんは、無事?」
「……ああ。あいつもちゃんと保護された」
「そっか。良かった〜」
学校の皆も、意識不明者はいても、命に別状はないらしい。よかった、のかは分かんないけど、不幸中の幸いだ。ひとつひとつ、確認するように口にする先生。座ればいいのに、と隣を薦めようとしたら、コンコンとノックの音が響いた。びっくり。
「どうぞ〜」
「すまない、待たせたね」
「あ」
入ってきたのは、さっきまで一緒にいた警官さんと、見覚えのある刑事さん。警部さん? なんだっけ、名前出てこないや。USJの時にいた人。井伊直政みたいな名前だった気がするんだけど。猫の人の印象強すぎる。
「猫の人の隣にいる刑事さん、おはようございます」
「はは、おはよう。塚内直正だ、よろしくね」
ぺこりと頭を下げる。猫の人、三茶さんがお茶を出してくれた。すご〜い。猫カフェだ。
事情聴取は、思っていたよりもアッサリと終わった。あくまで思っていたよりかは、だ。聞かれたことを思い出しながら淡々と答えていく。覚えていないこと、分からないことは素直にそう言った。先に爆豪くんがやっていたようで、二人一緒にいた時のことは、確認がほとんどだ。肝試しの時飛ばされた後のことも、短時間の出来事だったし、すぐに轟くん、爆豪くんと合流したので大した中身はない。メインは、私とオール・フォー・ワンと呼ばれた巨悪が対峙した時のことだ。極々数分の事とは言え、私はラスボスと一体一だったのに、危害も加えられず、個性を奪われることもなかった。まあその後にジーニストに庇われなければ死ぬレベルの攻撃は受けているけど。死柄木の隣に並べと勧誘を受けたことを話すと、大人達の顔色が少し曇った。もちろん私にその気はない、とはっきりと示しておく。それから、アイツは私の過去についてもどうやら詳しいようだったので、マスゴミくそババアの情報の出処は、十中八九アイツだろうと思われることも話しておいた。反社か? 社会的に罰されてくれ。
にしても、う〜ん、私、拐われすぎ? ピーチ姫じゃないんだから。ワープ系に対応出来る手立てが全く思いつかない。デバフで弱体化させたら、一部分だけワープして胴体ねじ切れるとかないよね? 欧米ホラーもびっくりなスプラッターになってしまう。
「君も、疲れているところに協力ありがとう」
「いえいえ、こちらこそありがとうございます」
下手に出られるとついペコペコしてしまう。念の為、私の身柄はこの後病院に送られるらしい。確かに着ている服は破れたり血が着いたりしてるけど、怪我は全部治っている。くそ忙しいだろう最中に、手間をかけて申し訳ない。少し待っていてくれ、と再び先生と二人にされる。ちらりと空いた扉の外に、数人の知らない人。警察関連の風貌でもない。おそらくプロヒーローの護衛だろう。自分で言うのもなんだけど、この事件の超重要参考人だ。それはそうだろう。バタン、と扉が閉まると、訪れる気まずい沈黙。なーんかめちゃくちゃ気まずい。なんでだ。あーお風呂入りたい。口を開こうとして、閉じる。私らしくもない。いつの間にか近くに来ていた先生が隣に座る。ソファの軋む音に、びくりと肩が跳ねた。
「緩名」
「はあい」
「こっち見ろ」
「……なに」
見ろ、って言われたら見たくなくなるよね。ぷい、っと顔を背ける。ハァ、と溜め息が、やけに大きく聞こえた。再び肩が跳ねる。
「おまえ、さっきからなんで目を合わせない」
「……先生の気のせいじゃない?」
「じゃねえだろ」
即答で否定される。気のせいだよ。本当に。
「緩名、」
「あっ、うそうそまって、力づくかこの鬼教師」
呼びかけられて、頭を掴まれる。いや、絶対拉致被害にあった生徒への力加減じゃない。何この人! 鬼! 悪魔! イレイザー! やだやだ! 淫行! と暴れるとシャレにならんこと言うな、と怒られた。場所がねえ、やばいよね。
「いーやー!」
「暴れんな」
バカ力強い。知ってたけど。グイ、と顎に手をかけられる。クソ、見る人が見れば逮捕だぞ。目が合わないように、ぎゅっと目を瞑った。よっしゃ、私の勝ち。
「頭熱いな」
「夏だからね゙っ」
「目、開けろ。それか、開けられない理由を言え」
ひ〜ん。この人絶対鬼だ。頬にかかる手が冷たい。噛みつかれないように絶妙な位置を掴んでいるあたり、私のことを知り尽くしている。
「緩名」
ダメ押しのように名前を呼ばれる。駄目だわ、声が良すぎる。引き剥がそうと先生の手にかけていた腕から、ふ、と力を抜いた。
「……いま、顔みたら多分、泣いちゃうから」
多分じゃなくて絶対。安心しちゃうもん。そんなん嫌だ。人前で極力、こういう涙は見せたくない。
「……なんだそのくらい。泣けばいいだろ」
「いーやーだー。私の涙は高いのっ」
「教室で絵本読んで泣いてただろ」
「時価なのっ」
先生の匂いがするだけでも泣きそうなのに。涙腺ゆるゆるなのはもう勘弁だ。一度許してしまうと、決壊してしまう気がするから。ふと、頬を掴む手が緩んで、気配が離れていく気がする。やっと諦めたか、とうっすら目を開いたら、真面目な顔をした真っ黒な瞳と目が合った。騙された。
「泣ける時に泣いとけ」
「……教え子の泣き顔に興奮する変態……」
「誰が変態だ」
ボロボロと涙が溢れてくる。あーやだやだ。泣くの嫌い。でも、声を押し殺して泣くのも性にあわない。元々諦めは早い質だと自覚がある。もういいや、と先生の身体に突撃して、スーツの首元に顔を埋めた。パリッとしていて固い。ちょっとやだ。
「スーツやだ……固い……鼻水でびちょびちょにしてやる……」
「やめろ」
やめろ、なんて言いながらも、引き離すこともしてこない。そういうとこだよイレイザーヘッド。硬い手のひらが、くしゃくしゃに乱れた私の髪を撫で付ける。やめて、お風呂入ってないんだから。ぽん、と背中を一定のリズムで叩かれる。うう、寝かしつけようとしてるな。押し寄せてくる安堵。知らず強ばっていた身体から力が抜けていく。ふっ、ふっ、と荒い息が漏れていく。身体が熱い気がする。頭も痛い気がする。お腹も空いた気がする。力が入らない、気がする。保護されてからもずっと、緊張状態で昂っていた身体が、解放されて一気にいろいろな物が押し寄せてくる。だから嫌だったんだ。
ずび、と鼻を啜ると、耳元で低い笑い声が聞こえた。
PREV |NEXT