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合宿三日目。疲れているはずなのに今日もなんとなく眠りが浅くて、少し早く目が覚めた。あたりはまだ薄暗い。うーん、夏の朝方は気持ちいいな。顔を洗って、合宿所の外へと足を踏み出す。山の中だから朝はちょっと肌寒い。
「せんせーだ」
「緩名か。何してる、こんな時間に」
「目覚めちゃったの」
「……日中へばっても容赦しねぇぞ」
「んー、大丈夫。多分」
カラカラと扉を開けた先には、相澤先生がいた。流石にいつもの真っ黒なコスチュームではなく、真っ黒だけど半袖のシャツにスウェットパンツだ。真っ黒だな。髪結んでるのいい〜。無精髭は相変わらずだけど。まだ5時にもなっていないが、先生いつ寝てるんだろう。
「先生こそちゃんと寝てるの?」
「プロヒーローになったらこんくらい平気なんだよ」
「あ、あれだ。年取ると睡眠が疲れるってやつ?」
「……まだそんな歳じゃねえよ」
「んふ、冗談」
おそらく今日の訓練の確認をしている先生に並ぶ。確かに、顔を見ても隈もない。疲れも出てない、と思うけど、疲れてないわけはないよね。
「ねー先生。ちょっとだけこっちきて」
「なんだ」
「座って〜」
「……なんなんだ」
縁側っぽいところに座る私の隣に、渋々といった様子で腰を下ろす。確認作業はもうだいたい終わっているらしい。えらいな。腕を伸ばして、目元を手で覆う。ちょっとビクッとしてる。かわいい。
まだよく分かってない様子の先生に、じわじわと個性を使う。一応、分類するならば回復力向上のバフかな? だけど、少しは疲労を取る効果もある。手動アイマスクメイドイン私的な。手動って言うか手そのものだけど。何をされているのか理解したようで、ふ、と先生から肩の力が抜けていく。
「気持ちいいでしょ」
「……ああ、これは……いいな……」
「ね」
話す言葉がゆっくりになって、それから動作が完全に止まる。暫くして、すぅ、と小さく寝息。ふらついた大きな身体を、ゆっくりと膝の上に寝かせた。いや、そのまま倒れられたら困るじゃん。担任だし。てのひらに、まつ毛の当たる感触がして、少しこそばゆい。思わず笑ってしまわないように気を付けた。穿いているのはショートパンツだから、剥き出しの太ももに当たる髭の感触もくすぐったい。
理性の強い人だから、私達の見えないところでめちゃくちゃ頑張ってるんだろうな。先生の信念とか、全然知らないけど、少なくとも皆が死なないように、ちゃんとヒーローになれるように育ててくれてるのは分かる。ただでさえ敵連合、ステイン等の影響を受けて、敵の動きは活性化している真っ只中だ。伸し掛る責任もいろいろとあるだろう。そんな中で、私のことでまで頭を悩ませて欲しくなかった。過去との因縁なんて、自分じゃなければ解決出来ないことなんだから。
「……寝てたか、俺」
「あ、おはよ。10分も経ってないよ」
艶のない黒髪を手持ち無沙汰に撫でると、膝の上から声が。手を退けると、のっそりと先生が身体を起こした。悪ィ、とちょっと落ち込んだ様子。口調もいつもより悪くなってる。生徒の膝枕、確かに見る人が見れば大問題だ。っていっても私が勝手にやったことだし。こんな朝方、誰も見てないだろう。
「え〜、今更気にしないでよ。前もしたし」
「気にすんだろ……ア? 記憶にねえぞ、いつ……ああ」
はー、と大きく深く息を吐き出してる。記憶にない、で思い当たることが一つだけあったのだろう。USJの時だから、大正解だ。珍しい先生が見れた。おもしろ。
「じゃ、朝ごはんのお手伝いしてくる」
「ああ」
「先生も、ちゃんと寝てね」
返事はない。代わりに、ぽすん、と軽く頭に触れた手。これは感謝の撫でだ。私くらいになると分かっちゃうんだよね。先生の顔色が、少しマシになってる気がして、ちょっとだけ嬉しくなった。起床時間まではまだ余裕がある。
三日目の訓練も、昨日に引き続きだ。普通にめちゃくちゃキツい。睡魔に意識を飛ばしたら先生やワイプシにぱこんと起こされる。痛い。ぐらぐらの頭で、先生のお説教を聞いていた。原点、か……。私の原点となるもの。なんだろう。それを見失っている時点で、ヒーロー志望にまだなりきれていないのかもしれない。
「ねこねこねこ……それより皆! 今日の晩はねぇ……クラス対抗肝試しを決行するよ! しっかり訓練したあとはしっかり楽しいことがある! ザ! アメとムチ!」
肝試し、楽しいことなのか。ホラー系、飛び上がるほど苦手というわけじゃないけど、世の中の大多数と同じく普通に苦手だ。個性なんて変わったもんが出来てるんだから、おばけくらい普通にいそうだし。寝させてくれる方がいい、とはいえ、連日眠りが浅いんだけど。
「肉じゃがー!」
「昨日とは打って変わって元気だな」
「ありゃ空元気っつーんだ」
わっ! と両手を上げると、私に倣ってお。と轟くんも両手を上げた。バンザイ。特に意味は無い。
「爆豪くん包丁使うのウマ! 意外やわ……!!」
「意外ってなんだコラ包丁に上手い下手なんざねえだろ!!」
「いやあるでしょ」
「出た!久々に才能マン」
「磨ちゃんも手際がいいわよね」
「それなりに料理するからなあ。梅雨ちゃんも」
「私も同じよ」
前世はひとり暮らしだったし、今世は祖母と二人が長い。自然と料理する環境にいた。だいたいは好きな物ばっか好きな時に作ることが多いんだけど。切った具材を運んでいると、緑谷くんと轟くんの話が耳に入ってきた。洸太くんの話だろうなあ。
「“個性”ありきの超人社会そのものを嫌ってて、僕は何もその子の為になるようなこと言えなくてさ」
思案顔の緑谷くんに、轟くんは「場合による」とそらそうなことを返した。そらそう。それにしても緑谷くん、本当に結構ズケズケ行くよね。放っとけばいいのに、って思うけど、彼の中にその選択肢はないんだろうな。言い方が悪いけど、洸太くんの両親は、「超人社会」だからこそ、亡くなってしまって、洸太くんを一人にしてしまったんだから。誰かに取ってヒーローでも、子どもにとってはある意味で酷い親だって思うのは、当人からすれば仕方がないことだろう。人のために命をかけれるのは凄く立派だし、尊いことだと思う。なかなか成せないことでもある。でも、置いていかれる方が、それを絶対に飲み込んで甘受しなければならないかっていうと、そうじゃないと私は思う。拒んでも、逃げても、それで楽に生きられるならいいじゃん。私はつくづくそういう思考の人間だから、緑谷くんが眩しくて、ふいと目を反らした。
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