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朝が来た。パチッと目を覚ませばアラームの鳴る3分前。グッドタイミングだ。天才的起床。ぐぐっと背伸びをして、アプリゲーを起動させながらベッドサイドに置いていたペットボトルを手に取って、喉を潤わせる。起きてすぐなにをする? と言われたらログボを回収する、が固定解答だ。それから、まだほんのり熱の残っているような感覚がする額を撫でた。
洗面台の前に立って、顔を洗いながら、昨晩の記憶を蘇らせる。……本当に、なんだったんだろう。もこもこに泡立てた洗顔料を頬に付けると、消し忘れていたアラームが鳴るので、なんとか肘でスワイプした。目に泡が入らないよう閉じて、丁寧に洗っていく。まぶたの裏に浮かぶのは、綺麗な顔のわりに男らしく出っ張った喉仏だった。
「ああぁぁあ〜……」
びっくりした、驚いた、仰天した。リップ音と一緒に、たしかに轟くんの唇は、私の額……ほぼ髪だったけど、に触れていて。昨日は驚きのまま歯をみがいて、ベッドに入って、????? と頭にハテナを浮かべていたら、疲れていた身体は混乱してる頭を置いてけぼりにして眠りについていた。思考が纏まらなかったのが、逆に睡眠導入になっていたのかもしれない。ほら、あるじゃん。認知シャッフル的な睡眠法。
ぬるま湯で泡を流していき、化粧水、美容液、乳液、日焼け止めと塗り込んでいく。軽くパウダーをブラシではたき、前髪を留めていたピンを外した。まだ時間にはそれなりに余裕があるので、ハミガキを咥えながらベッドに腰掛け、スマホを手に取る。夜間に来ていたメッセージを返して、三奈とのトークを開いて、一度止まった。
「ん゙んん〜……」
相談、を。するべきかどうか。相談するにしても、なんてすればいいのか。「轟くんから急にデコチューされたんだけどどう思う?」って三奈に話すの? うん、それは絶対無理だ。少なくとも、インターン始まったばっかの日にする話じゃない。集中を逸らしたいわけでもないし、そういった話をするなら直接がいいし。第一、轟くんの真意もわからない。……いや、真意がわかんないから相談するのかな? そうかも。
唸りながら倒れ込むと、ぼふん、と弾んだベッドが私を受け止めた。あ、やば、歯みがき粉飲み込む。やべ。慌てて口を濯いで、ハミガキも立てかけておいた。乾燥しないようリップクリームを塗り込む。……キスかあ。
ホークスの戯れに、感化されたんだろうな、とは思うんだよ。わかるの。ホークスが私にデコちゅーしたあと、轟くん、あからさまに嫉妬してたし。仲が良いんだな、なんて聞いてきてたし。轟くんの方が仲良いよ、とは言ったけれど、腑に落ちてない風だったし。
「あ」
閃いた。ピラメキーノした。わかった。轟くんは、「私の一番になりたい」と言っていた。だけど、昨日ホークスが私と仲良しな様を見せ付けられて、自分でもまだしてないことを、自分より仲の良くない人がしてることにおかんむりだったのかもしれない。轟くんがさあ、私のこと、好きなのかも、とはもう何百回も思ってきたけど、轟くん本人が「友達として」の一番だって宣言してきてたし、本当にひたすら天然なだけなんだろう。……多分。うん、きっと。うん、うん。そうだ。多分。なるほどなあ。納得した。もうそういうことにしよう。
はあ、なんとかスッキリ、気持ちに収まりがついた。このままだったら轟くんの顔直視出来ないとこだった。よかった〜。スッキリしたのでヒロスに着替えて、スマホと鍵を持って部屋を出る。朝ごはん食べに行こ。
「あ、おはよ〜爆豪くん」
「……おー」
「おーはーよーだよ」
「ッセ、はよ」
「はいおはよ」
部屋を出るとすぐに、同じように食堂に向かうのだろう爆豪くんと鉢合わせた。寮生活なので朝からこうやって合うこともよくあるけれど、なんとなくインターンだと気持ちがちょっと違う。今日はなにするんだろうねえ〜、なんてほぼ一方的に私が喋りながら降りると、食堂にはもう既に先客がいた。
「お、緩名、爆豪、おはよう」
「あっ、二人ともおはよう!」
「っぐ」
「あ゙?」
「? 緩名さん、どうかした?」
轟くん、朝から顔面が良すぎる。別にいつもこの顔面だけど、昨日触れた薄い唇の感触がよみがえってきて、びくっ、と不自然にノックバックしてしまった。後ろにいた爆豪くんに身体がぶつかって、座っている二人は目を丸くして私を見上げてくる。いや、轟くんはその顔おかしいから。あなたのせいだから。はーっ、とバレないよう深く息を吐いて、心を落ち着かせる。ヒーローはいついかなる時も冷静であれ、と自分に言い聞かせた。
「……いや、おはよう」
「?」
「んだてめェ」
「なんでもないよ」
「……」
訝しげに見下ろしてくる爆豪くんの手を引いて、轟くんから一つ空いた隣の席へ腰を下ろした。カチカチの爆豪くんの腕を引っ張ると、眉間の皺が深くなるけれど何も言わずにそのまま私と轟くんの間に座ってくれる。
「……緩名さん?」
「……おかしくねぇか?」
「そう?」
「いや、うん……うん?」
「ケッ」
緑谷くんがあからさまに困惑している。いや、一旦、一旦ね。轟くんをシャットアウトしようと思って。私のためにも。別に動揺なんてしてないし、デコチューごときでドキドキするほどウブな子どものつもりもない。マジで。もうさっさと朝ごはん食べちゃおう、と用意されているお皿に手を伸ばした。あ、パンだ。
「爆豪くんチンしてきて。……あ、嘘やっぱり私が行く」
「なんだてめェ」
カウンターにトースターがあるので、いつもの私なら誰かをパシらせるんだけど、今爆豪くんに席を立たれるとバリケードがなくなっちゃうことに気付いた。そそくさと席を離れると、三人が顔を見合わせているようだ。ああ〜、めちゃくちゃ不審がられてる〜! その後すぐ「なに目ェ合わせとんだクソデクァ!」と爆豪くんが爆発してくれたので助かった。幼馴染限定で気の短い男、助かる。
「も〜足力はいんない……」
「ハハ、そうだね……」
本日のインターン、終了。今日も概ねスケジュールは昨日と同じくだったんだけど、細々した事件が昨日よりも少し増えた。とはいえ、年明け早々なので、まだ事件の少ない方らしい。事務所に帰還する頃には少し頭痛がするくらいの眠気だったけれど、エンデヴァーさんやサイドキックのみなさんと手合わせして、ちぎっては投げちげっては投げを繰り返されればヘロヘロになるというものだ。トレーニングルームのマットの敷き詰められた床の上にしゃがみこむと、緑谷くんも隣でくたっと座った。
「みんなはさあ、やっぱ強いよねえ」
「鍛え方が違ェわ」
「まあ、俺もガキの頃からやってはいるからな」
「僕の場合は接近メインだしね」
こっちは手加減してくれてるサイドキックの人達相手にすら全く歯が立たないというのに、攻撃型の三人はそれなりに、というかかなり通用している。活躍分野が違うとはいえ、一人だけ近接戦闘ではかなりの遅れを取っているので、ちょっとむむっとした。一応、相澤先生に見てもらったりとか、してるんだけどなあ。
「エンデヴァーさんってやっぱかなり鬼畜」
「おまえ、炙られてたもんな」
「まじそれ!」
炎の威力を弱めてみろ! なんて言いながらエンデヴァーさんとの手合わせで、それなりにあっつい炎で炙られ続けた。発動が遅い! とか、放たれた炎にもエンデヴァーさん自身にも別種のデバフをかけろ! とか無理難題を課してくるんだから、鬼畜パパである。おかげで、今はもう治癒しているけれどさっきまで細かい火傷が身体中に散らばっていた。私、荼毘にあぶられたんだけど!? トラウマの力技療法だ。
「ビアンカちゃ〜ん、報告書〜」
「あ、はーい!」
「まだあんのか、大変だな」
「うん。私は前も来てたからさ〜。多分三人もこれから教わると思うよ〜」
床とお友達になっている私に、轟くんが手を差し伸べてくれる。有難くその手を掴むと、軽く引っ張り起こされた。
「ありがとう」
「うん」
「ふふ」
朝の動揺はなんのその、轟くん、びっくりするくらいにいつも通りだったので、やっぱり深い意味なんてなかったんだ〜! と安心? して、徐々にいつも通りの営業に戻せた。よかった。本当に轟くんが昨日のことなんて幻だったかのようにいつも通りだった。わんちゃん昨日の、夢だった可能性あるな。
「じゃ、ちょっと行ってくる〜」
「うん、頑張ってね!」
「ああ、行ってらっしゃい」
へらっと手を振って、トレーニングルームを出ようとすると、なんとなく後ろに気配を感じる。自分の長い髪の先が、ふわっと舞っていて、轟くんの片手が伸ばされていた。え、なに?
「?」
「ああ、なんでもねえよ。行ってこい」
「? うん」
なぞロキくんだ。その向こうで、爆豪くんが苦虫を噛み潰したような顔をしている。……まあいいや!
将来的に事務所を持つよりサイドキックになるだろう可能性が高いから、こういう事務仕事を教えてくれるのはちょっと、いやめっちゃありがたい。しかも大手事務所の。こういうのって現場に出ないと学べないことの内の一つでもあるからね。ノウハウは盗むに限る。
「おっ、ご機嫌だねビアンカちゃん」
「ふふん、そう見えます?」
「見える見える」
「へっへ〜、特になにもないんだけどね〜」
呼んでくれたキドウさんが、なんだそりゃ、と緩い声を上げた。キドウさん、緩くてイケおじの気配がプンプンしていい。用意されたデスクに付いて、専用のソフトで報告書を仕上げていく。なんとキドウさんのお守りつき。とはいえ、前回もちょろっとやったのを覚えているし、こういう事務作業は前世でも経験しているので、訂正されたりはほとんどない。キドウさんが楽でいいわ〜、なんて言ってるから笑ってしまった。ちょっと似てる。
「エンデヴァーさんにお寿司オネダリしちゃおっかな」
「あのオッサン結構純情だから手加減してやってよ?」
「え〜、じゃあキドウさんにオネダリしちゃおっかなあ〜」
「おっと、おじさん気をつけないと」
「ふふふ」
お寿司、食べたいよね。お寿司。インターンは長いし、何度も機会があるでしょ。遊びに来てるわけじゃないけれど、NO.1ヒーローの食べるお鮨って気になるじゃん? それから、上がりらしいバーニンさんも寄ってきて、最終的には寿司焼肉対決になった。サイドキックのみなさんは焼肉が優勢だったけれど、エンデヴァーさんにどっちが好きか聞いてみたところ「? 鮨だ」とキョトンとした顔で答えられたので、寿司派の勝ちになった。キョトンおじさん、かわいい。
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