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ピコンパコンと耳元で甲高い音を立てるスマホを取って、うっすらと目を開けた。うそ、全然開かない。眩しい。ぼやけて見える隙間から、なんとか緑色の着信アイコンを捉えて、親指でスワイプする。くあ、と欠伸を零すと、耳元から流麗な声が聞こえてきた。
「……あい」
『寝ていたのか?』
「うん……」
『休みとはいえもう昼だぞ』
「うーん……あ、ジーニスト?」
『ああ、おはよう』
「はよまあ……す」
すげえ声いいな。寝起きの脳内が声良いで締められてしまった。声の良さに気を取られて、誰と話しているか少し分からなかったもん。う〜ん、声の顔が良い。ほぼ飾りとかしているかわいい時計に目を向けると……ん、多分11時前。かわいさ重視で買ったから時間めちゃくちゃ見にくいんだよね。たしかに二度寝にしてはしっかり寝すぎだわ。午前中だし許して欲しい。ふああ、と大きくて深い欠伸をすると、呆れたような笑いが電話の向こうから聞こえてきた。
「なんかあったあ?」
『いや、どうしているかと気になってね』
「ふーん。あ、退院おめでとう」
『君は毎回それを言うな』
「おめでたいから……」
ジーニストの退院自体はそれなりに前だけれど、電話の時の決まり文句のように退院を祝っている気がする。多分三回目くらい。まあ、祝いの言葉は何度でもいいでしょ。
『君の方こそ、大変だったようだが』
「ん、ああ。……まあ、それなりに大丈夫」
『それなりに、ね。全く……肝を冷やしたぞ』
一応メッセージのやり取りはしていたけれど、声を聞くのは久しぶりな気がする。いや、言っても別に元々そこまで電話したりしてたわけじゃないけど。少しの心配とお小言を頂いて、日常の報告を兼ねたたわいもない雑談を交わした。
「あ、たぶん今日ねえ、爆豪くんがあれなんだよ」
『ああ、仮免の補講だったか』
「え、すご〜い! アレで伝わった。エスパー?」
『雄英からも聞いていたからな』
日本語は正しく使いなさい、と注意をされた。伝わったんだからいいじゃんね。仮免祝いを、と言われたけれど、この人どんだけ私に貢ぎたいんだ。貢ぎ癖おじさんか。喋っているとお腹が空いたので、ベッドから降りて共有スペースへ向かう。なんでも、私と爆豪くんの仮免合格祝いとちょっと早めのクリスマスプレゼントを既に送ってくれたらしい。数日で着くだろう、とのことだ。買い与えすぎ。
「も〜、なんでも買って寄越すじゃん」
『贈れなかった期間が長いからね。その分を、取り戻させてくれないか』
「嬉しいけどさあ……袴田さんの買うやつ、高いやつだからちょっと緊張するんだって」
『人に贈る物を手抜きするのは私の主義に反するからな』
「え〜? ……爆豪くんとお返し考えとく」
『そうか。それは楽しみにしておこう』
ジーニストへのお返しを心にメモしておく。爆豪くんがいるから忘れないだろう。彼、そこらへんキッチリしてるので。共有スペースに降りると、甘いいい匂いが漂ってきた。絶対砂藤くんだ。私が電話してることに気付いた数人が、よ、と手を挙げてくれるのにヒラヒラと手を振った。
「おなかすいてきた」
『睡眠も必要だがバランスの良い食事を摂ることもヒーローには、』
「あ、そういう長いのはいらない」
『全く、君は……』
「私より袴田さんの方がそこらへん気つけなきゃじゃない?」
冷蔵庫を開いてちょっと高いぶどうジュースを取り出す。パン、と肩で押して閉めると、通りがかった瀬呂くんに雑〜、と呆れられた。神野の怪我は、リカバリーガールや私では修復出来ない、臓器の欠陥にまで及んでいるんだから。見た目は年齢不詳な若さがあるけれど、年齢的にバリバリに若い、とは言いきれない歳なんだし、気を付けて欲しい。
「長生きしてずっと私のパトロンでいてね」
『フ……そうだな』
「そうだな!?」
ちょっとしたジョークのつもりだったけど肯定されてしまった。足長おじさんかよ。足長おじさんだったわ。
『まだ未定ではあるが、近々復帰する流れで動いている』
「ん、そうなんだ」
『ああ。私の矯正を待っている者が大勢いる』
「爆豪くんとか?」
『そうだな』
今頃最終試験を頑張っているだろう存在を思い浮かべて、ふふふ、と笑いあった。
「じゃ、また届いたら連絡します」
『ああ、いつでも待っている。身体には気を付けて』
「そっちこそ。じゃね」
ぴぽ、と少し熱くなった画面をスワイプして、電話を切った。結構長電話したな。
「ジーニスト?」
「うん。なんか、またなんか送ってくるって」
「貢がれてんなァ」
「ね、まじそれ」
冷蔵庫から無調整豆乳のパックを取り出す瀬呂くんに、直して、とぶどうジュースを手渡した。ストローを突き刺す瀬呂くんを見ていると、お腹が空いているのも相まってか、前は豆の味が凄くて飲めなかったけれど、今なら飲める気がしてきた。
「ひとくち」
「アナタ前うええってなってたでしょ」
「今ならいける気がすんだよね」
「出た、根拠のない自信」
「私の中には根拠あるんで〜」
呆れた顔でほら、とストローを向けられたので、そのままパクッといって、ちゅう、と吸い上げる。うーん……。
「……」
「だからやめとけって言ったじゃん、俺」
「やめとけとは言ってないも〜ん」
「そういうの揚げ足って言うんだぜ。ほら、緩名はこっち」
「わーい」
ぶどうジュースの入ったコップを渡されて、口直しに含むと、濃厚で甘酸っぱい味が広がる。無機質な豆の味が掻き消えていった。やっぱジュースでいいわ。ズズ、と豆乳を啜ってる瀬呂くんを見上げる。
「瀬呂くんよく飲めるよね」
「失礼だぞー。まァほら、アレよ、瀬呂くん大人なんで」
「ふぅん」
「……なによ」
「いや、べつにぃ?」
大人、ね。隠しているつもりだろうけど赤くなっている耳に手を伸ばすと、少しだけ瀬呂くんの肩が揺れた。ふふふ、大人かあ。関節キスで照れるくらいかわいいのにねえ。薄い耳朶を指で挟んで、すり、と擦ると、頬にまで赤みが差していく。あー、かわいい。
「……あんま、からかうのヤメテ」
「あっは!」
ジト目で睨まれるけれど、頬が赤いので全く怖くない。瀬呂くんなら、退けようと思えば私の手を退けることも簡単なはずなのに、それもしようとしないのがめちゃくちゃかわいくて。力なく手を握られて、へろへろと瀬呂くんがその場にしゃがみ込んだ。この調子じゃ、キスなんて夢のまた夢なのでは。男子高校生ってかわいいなあ。ちょっとときめいた。
「……っ、もー、緩名まじでズリィ……」
「ふふふふふ」
少し硬い黒髪を撫でると、その手を取っておでこに当てられる。あんまりからかうのもな、って思うんだけど、かわいいんだもん。
「……おまえら俺がいるの見えてるか?」
「あ、みちお」
「力道な」
誰だよ、みちお。と呟いた砂藤くんが、やってられん、みたいな顔をしてオーブンを開けた。おお、いい匂い。みちおは数学の先生だよ。私と瀬呂くんがうだうだしてる間、砂藤くんはずっと隣でケーキ作りに勤しんで居たのである。ちなみに、三奈とか上鳴くんがそっぽを向きながら私達のやりとりを観察していたので、多分瀬呂くんはこの後密かに質問責めに合うことだろう。ご愁傷さまです……。
「ケーキ?」
「そう、ケーキ。食うだろ?」
「食う〜!」
「食うー……」
「おお、ヘロヘロだな、瀬呂」
元気いっぱいの私とは裏腹に、瀬呂くんは未だに冷蔵庫の前に座り込んだままである。
「まァまだかかるしよ、緩名は先飯な」
「うぃ、はは」
「母じゃねえよ」
「ちち」
「……またなんか影響されてんな?」
「うぃ」
朝兼お昼ご飯は親子丼だった。
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