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 私の質問に、眠たげに垂れた瞳が丸く見開かれる。失敗した、思った。あ、やっぱ聞くんじゃなかった。ダメだ、センチメンタルになってる。気圧でも下がってるかな。季節の変わり目はメンタルもやられるから。いろいろあったし。顔色が悪い、って言われたから、まだ熱もあるのかもしれない。ぼー、っとしていたせいか、少し鼻が詰まってきたせいか、悲しくもないのにじんわり目が潤んでしまう。タイミング最悪。

「……君は、」
「ァにしてンだ」

 物間くんが、なにかを言おうとした瞬間、バタン、と背後で扉の閉まる音がして、不機嫌そうな爆豪くんの声が。物間くんが視線を向けるのにつられて、のろのろと振り向くと、つつけば爆発しそうな爆豪くん。導火線鬼短い爆弾みたいな。

「、」

 無言でズシズシと近付いて来たかと思えば、ほの甘い匂いのする手のひらに目元を覆われて、引き寄せられる。ぽすん、と後頭部が硬いものにぶつかった。筋肉かな。カチカチ。パワー。
 指の隙間から、爆豪くんが物間くんにメンチを切っているのが見えた。ヒーロー科とは思えない輩ポーズだ。メンチ切るな。

「言っておくけど、僕が泣かしたわけじゃないからね」
「るせェシね」
「ハァ!? ちょっとは会話を成り立たせようとしてくれるかなァ!」

 っていうか泣いてないし。生理現象で涙が滲んだだけだ。手を退かそうと頭を軽く振ると、意図を察したのか厚いてのひらがずれていって、太い腕が首元に回った。カップルか? 動いた弾みで、肩から落ちそうになったカーディガンを羽織り直して、腕を通す。流石にメンズだと肩の切り返しの位置とか合わないしデカいな。だるだる、ってほどではないけど。少し余った袖を持ち上げて、すん、と鼻を鳴らすと、いい匂いがする。爽やかで、少しだけ甘く燻るシプレの香り。

「嗅がないでくれる!?!?」
「るさ」
「るっせェな」

 爆豪くんに向かってくどくどくどくどお得意の嫌味? を言っていた物間くんに怒られた。いや、あったら嗅ぐじゃん。人の匂い気になるじゃん。ぐわっと怒鳴られたら少しだけ目眩がする。クラクラ〜。やっぱ本調子じゃないわ。そら変な夢も見る。

「てめェも脱げやァ……」
「……え!?」
「君少しは言い回しとか考えたらどうだい? いきなり婦女に露出させようとするとか周りの目なんて全くお構い無しなA組は違うなぁ」
「あ゙? てめェにゃ言ってねンだよモノマネ野郎」

 突然の露出強要、びっくりしすぎて反応が遅れてしまった。D・V・D! 的なあれかと思った。物間くんの着てるのが気に入らないのね。相変わらず爆豪くんの状況把握能力がすごい。あと喧嘩してもいいけどうるさいから離れてほしい。柱の影になっていたので共有スペースにいたみんなからは気付かれてなかったのに、二人の声がバカでかいからなんだなんだと集まってきた。遠巻きに見守られている。昔のエヴァの最終回かよ。鉄哲くんと切島くんの鬼アツ友情コンビに勝るとも劣らない声量なのむしろすごい。そんけ〜。鬼リスペク。トの一文字を略すなってこないだ爆豪くんが鬼ギレしてた。

「あ、かっちゃん! ……と、緩名さん?」
「や」

 ガチャ、と再び玄関が開いて、帰ってきたのは緑谷くん。爆豪くんもジャージなところを見ると、なにかしてきたんだろう。

「顔色悪いよ、大丈夫?」
「ん〜……るさい」

 これ、とほぼ私を真ん中に据えて、お笑い芸人ならキスしてる距離で煽りあいをする二人を指差す。うるさい。耳キーンとする。爆豪くんの腕をしゃがんで避けて、緑谷くんの近くへ寄った。ああ、はは……と濁すように苦く笑った緑谷くん。この組み合わせ最悪だよね。鰻に梅みたいな。でも、おブルーな空気が飛んで行ったからか、さっきまでよりも呼吸がしやすい、気がする。吸いやすくなった息を大きく吸い込むと、少し噎せた。慌ててトントンと背中を叩かれる。

「でも本当に顔色悪いよ……大丈夫? リカバリーガールのとこに」
「へーき」
「ぐえっ」

 ともすればそのまま寮を飛び出してリカバリーガールを呼んできかねない緑谷くんの首元を、きゅっ、と締めた。それでも心配そうな顔。まあ昨日の今日だしね。

「あ〜……へん、なゆめ」
「へん? ……変な夢見たの?」

 そう。夢見が悪かっただけだ。

「……こわい夢?」
「ん〜……」

 こわい、のかな。一般的に言うホラーとか、ミステリーとか、そういうのではない。けど、恐いといえば恐いかもしれない。どうだろう。不快、というのもまた違う。不快ではないし、どちらかといえばまだ暖かい記憶に近いのかもしれない。言葉を探して考え込んでいれば、すぐ側に緑谷くんの顔があることに気付いた。普段女の子と近いとキョドるくせに、こういうときだけ平気なの、不思議だ。まんまるな毒気のない瞳を見つめると、ハテナでも浮かんでそうな顔になった。

「緩名さんがイヤなら、聞かないんだけど……」

 そう前置きをされると、なんだかうっとなる。後ろめたさというか、なんというか。

「……人に話すと楽になるって言うし、よかったら、聞かせてくれないかな?」

 目線を合わせるために少しだけしゃがんだ緑谷くんが、幼子に話すみたいな声色で語りかけてきた。心配性……というよりも、困っている人がいると放っておけないんだろうな。緑谷くんらしい。いつか、轟くんも言っていたけれど、結構緑谷くんって控えめにみえてこう、ズケズケ? 壁を壊していこうとするよね。そういうところが凄くて、ちょっと怖さもあるんだけど。邪気のない大きな瞳が眩しすぎる。酸いも甘いも知り尽くした……わけではないけど、それなりに汚れた思想を持っているからかもしれない。口を開いて、逡巡。いや、でも。誰かの言葉で救われたいわけでも、納得させたいわけでもない。自分の中で、自分自身で終わらせたいだけだ。

「……だいじょぶ」
「そっか。……また、なにかあったら言ってね」

 結局、散々溜めておいてなにも言わない私に、緑谷くんはまた、眉を下げて笑った。



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