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 着替える必要がないのでみんなよりも先に帰り支度が済み、そのままリカバリーガールのところへ。お昼も行ったけど。異常なし、ただまた熱がぶり返してきているので帰って寝ときな、とのことなので、なにやらオールマイトと緑谷くんと秘密会議をするらしい爆豪くんのお誘いを涙ながらに蹴って、帰路を辿る。すぐだけど。
 学校から寮まで、一人で歩いていると頭がぼんやりしてくる。さっきリカバリーガールに、ただでさえアンタはぼんやりしてるんだから、と言われたけれど、これは単純なるdisだ。決して普段はぼんやりしてない。目に映る葉っぱが、その奥の夕焼け空が、すっかり紅く色付いていて、綺麗だ、と感じる風情の心があったはずなのに、どこか薄ら寒い心地までしてきた。熱のせいかな〜。らしくもなく感傷に浸ってしまうのも、まだ掠れて痛む喉のせいだ。誰もいない静かな寮の部屋まで上がって、制服を脱ぎ捨てる。嘘、ちゃんとハンガーにかけた。偉い。偉すぎる私。天才かもしれん。

「はあ……は」

 インナーのキャミワンピ1枚で、ボスン、とベッドに飛び込むと、自然とため息が漏れた。から、吸い込む。ため息はダメ。男の前で憂鬱に見せて自分に都合よく物事を進めたい時しかため息は吐いたらダメだってお母さんに教わった。どんな母親だ。外界から隠れるように目を腕で覆うと、少しだけ、頭が冴えたような気がする。うん、いや、肌寒いな。もう11月も下旬だし。そらそう。耽美な少女漫画ごっこをしている場合じゃないわ。風邪引く。もそもそと肌触りの良い毛布の中に引っ込んで、柔らかい抱き枕を引き寄せた。ズキズキ、頭も喉も、なんかもう全部が痛くなってきた気がする。寝よ。



『磨』

 懐かしい、声がする。ともすれば感情のないように聞こえるほどに、凪いだ声。今世の、お母さんの声。人は、声から忘れるって言うけれど、本当なのかな。

『どれがいい?』

 ああ、夢だ。繋いでいる手の温もりもしなければ、辺りの風景が適当で不鮮明だもん。辛うじて、最期に行ったショッピングモールだとわかる程度だ。記憶の容量なんてそんなものだ。普段からせめてこれくらいは、と色んな物を買い与えられていたから、別にいい、って言ったのに、10歳の記念だから、って珍しく一緒に出かけたんだった。お父さんは、後から合流しよう、って言ってた、ような気がする。はは、もう覚えてないや。
 お母さんが物色しているのは、10歳を連れて来るところでは明らかにないブティックのショーケース。ゲームや本は欲しいものはほとんど持っているし、洋服も十分足りている。それなら、と長く使えるようにしよう、なんて10歳の女児には背伸びをしたアクセサリーを選ばせるなんて、やっぱりどっか両親ともにぶっ飛んでいる。それでも、前世の記憶がある私には、大人びたプレゼントがむしろ少し嬉しかったりもしたんだけれど。

『ん、ナイスセンス。流石私の娘』

 そう僅かに笑う顔が、嬉しそうだったのだけは、よく覚えている。その直後に、轟音が響いて、全てが消えてしまったんだけど。
 痛みはなく、衝撃だった。崩れる瓦礫に、押し潰された身体。熱かった、ような気がする。血が流れすぎてクラクラと意識が朦朧な中で、でもなぜか、死なない気はする、とぼんやり思っていた。自分でも謎の自信だ。ウケるよね。お母さんの手で瓦礫から救い出されて、手早く応急処置をされて。少しだけ安堵した横顔。それから。

『行ってくるね』

 そう告げて、頭を撫でる血塗れた手が、いやに優しかった。



「はっ」

 ハッ、と飛び起きた。いやな夢。目の奥に、潰れて散った赤色が、やけに鮮明にこびり付いている。呼吸が荒い。はっ、て飛び起きることなんて現実にあるんだ。ふふ、面白。窓の向こうの茜色が、すっかり蒼褪めていて、けれど、時計を見ればまだそんなに経っていない。変な時間に寝ると、変な夢、見ちゃうことあるよね。背中を伝う汗の、濡れた感触が気持ち悪かった。

「はあ……」

 ああ、またため息。吸えない元気ない。いきなりジョイマン出てきたな。う〜、頭の奥がツキンと痛む。やだ。やだな。荼毘の言葉を、思い出してしまった。そりゃあ、まだ3日だもん。忘れることなんて出来ないけれど。ショッピングモールの事件、狙いは私だった、って言ってたもんな。……誰も、追及して来ない。どころか、君は悪くない、なんて決まったことしか言わないけれど。そう、私は悪くないよ。一方的に狙われただけ。そんなのは分かっているけれど、それだけじゃ腑に落ちないことだってある。頭でわかっても心がごねるんだもん。腹立ってきた。悲しみ転じて怒りとなる。ふんぬ!

「はあ」

 止まらないため息。もし、私が、転生者じゃなかったら。まっさらなただの子どもだったら、上手くいったのかな、なんて、考えることもある。考えたところで、どうしようもないけど。結局、お父さんもお母さんも、私を置いていったし、連れて行ってはくれなかったな。連れて行かれてもぶちギレてたかもしれんけどさ。あー、だめ、情緒ぐちゃぐちゃ。思考が纏まらない。喉もカピカピ。しかも、部屋になんもない。最悪。あと、ひとり寂しい。誰か、三奈とか百とか響香とか、一緒に寝て欲しい。独りぼっちは寂しいもんな。
 ベッドから降りて立ち上がると、少し頭がぐらついた。部屋を出て、階段を降りる。あ、耳キーンしてる。なに? 絶不調じゃん。荼毘のバーカアーホハーゲ。語彙力なさすぎて罵倒が小学生レベルなのまじで悲しい。

「ハ?」
「ぁん?」

 あ、エレベーター乗ればよかった。って気付いたのは中腹まで来た頃で、もう下の階が見えていた。1階分だし別にいいや。聞こえてきた声にのろのろと顔を上げると、あれ、ここA組じゃなかったっけ。私部屋間違えた? もしかして……私達、入れ替わってる〜!?

「ハア!? 君なんて格好してる……なんだいその顔」
「ア゙?」

 ぺた、ぺた、と階段を降り着ると、なぜかA組の寮にいる物間くんに急にdisられた。ハ? 最強の顔面だが? 文句ある? 夢見が悪くてメンタルバグ起こしてるところに物間くん、若干食い合わせが悪い。無視して横を通り抜けようとすると、ぱし、と腕を取られた。なんだい。

「君がとんでもなく頭が足りなくて突き抜けてトラブルメーカーなことは知ってるけど、バカでも風邪を引くことがあるって知ってる?」
「ハァ?」

 バカにしてんのか、と思ったら、ふわりと暖かい感触。あ、ぬくい。視線を下げると、肩に物間くんが着ていたんだろう、落ち着いたクリーム色のカーディガンが。めちゃくちゃ肌触りがいい。そういえばキャミ1枚だったしそういえば寒かった。しかも、そういえば物間くんは制服じゃなくて私服だ。温もりを知って寒さを思い出してきた。それどころじゃなかったからね。え、優しいじゃん。なに? おどろき〜。

「なにその驚いた顔」
「んえ」
「11月ももう終わりかけだって言うのにそんな格好で異性もいる共有スペースへ出ようとする君の慎みのなさに僕は驚いてるけどね」

 やっぱ一言多いな、コイツ。ぶん殴ろ。周りに人いないし完全犯罪っしょ。一発なら誤射の範囲だよね。軽く腹パンをキメようと拳を振り上げると、思ったより勢いが付いて、その反動に身体が耐えきれなかったのかぐら、とよろめいた。ええ。何年この身体で生きてんだ、私。

「わあ」
「っと……なに、バカだバカだとは思ってたけど本気で破滅的バカなのかい?」

 転びそうになったけれど、腰に回された腕に引き寄せられてなんとか保つ。憎まれ口ばっかだけど、こういうところは流石ヒーロー科、というべきか。あったかい。思い出さされた寒さのせいで、思わず目の前の熱に擦り寄って、ちょうどいい位置にある肩に頭をぶつけた。驚いた声と少しだけテンパった相変わらずの文句が耳を通り抜けていく。もう物間くんでもいい、人のぬくもりに飢えてんだ。ハア、と今日何度目かもわからないため息を吐くと、頬に手が添えられて、そっと上を向かされた。

「……そんなに具合悪いのかい。君、気付いてないかもしれないけど顔色最悪だぜ」

 ああ、だからさっきからいつもより声量小さかったんだ。包み込むように頬に触れる手があったかい。……最期に、頭を撫でられた時も。同じようにあったかかった、気がする。あの人が、あの人たちが私に触れる時。決して無関心な、温度のないものではなかったように思う。手も、声だって。ちゃんと家族へ向ける、優しいものだったはずだ。もしかしたら、美化しているだけなのかもしれないけど。

「こ、え」
「は?」

 まだ完治には至っていない喉から、掠れた声が出た。見上げると、促すように少しだけ目を細められる。

「こえ、から……わす、ケホッ、れる、って」

 喉が引き攣って、きっと聞き苦しいだろうに、物間くんはなにも言わずに黙っている。こんなこと、物間くんに聞くことじゃないよな、ってわかってはいるんだけど。

「ほんと、なのかな」

 だって、まだあんなに、ちゃんと覚えているのに。



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