134



 もうちょっと寝てくるわ、と降りてきた時よりはマシになった顔色で瀬呂くんが部屋に上がっていって、すっかりぬるくなったはちみつ生姜湯を飲みほした。ぬるくなっても美味しい。そんなに時間は経ってないけど、空はもう青みがかって、夜明け、と呼べる時間帯になっていた。ぐ、と伸びをすると、パキパキと関節が鳴る。さて、お風呂入ろ。言うてもお湯には浸からず、シャワーだけだけど。
 洗濯に出すものは適当に纏めて、カラ、と大浴場の扉を開く。朝シャンも乙だよね。前世、大人だった頃は、朝シャン結構多かった気がする。じくじくと首が痛み出すから、そんなに長くは入ってられないけど。ああ〜、やっぱお風呂気持ちいい。いろいろと、雑念とかがお湯とともに排水溝に流れていく気がする。そうなると、頭の大部分を占めるのは、轟くんのことだ。他のみんなにももちろん心配をかけたけど、轟くんは、また、違う。謝らないと、いや謝られたところでだろうけど。きっと、轟くんは私に謝罪を求めてない。それどころか、私のことを気にかけるんだろうなあ。優しいから。だからこそ傷付けてしまったのに、それを取り戻す方法すら分からない。こういうの、長引かせても拗れるだけだから、ガーッといってバッと解決したい。オノマトペ多すぎ。でも、だって、私は轟くんのこと、友達として好きだし。すこすこのすこ。

「ふぁ……」

 ああ、駄目だな。溜め息吐いちゃった。吸っとかないと。ず、と吸うと、少し噎せた。溜め息すら吸えないのか。タオルで頭を拭きながら、沈みこんでいく思考を晴らすように頭を振った。うん、短くなったから髪乾かすのが楽だ。つかの間のショートヘアも楽しんでいきたいよね。滅多にしないし。
 鏡に映る自分の姿。ちょっと痩せた気がする。まあここ数日あんまり食べれてないしな。アイスとかゼリーばっか食べちゃう。顔は……かわいいけどお風呂上がりなのにちょっと血色が悪い。そら心配になるわ。短い髪、ちょっと跳ねる。これは後でストレートアイロン当てるからいい。身体には疎らにうっすらと火傷跡が、見えるような見えないような。もうほぼ治ってる。唯一、首のだけ。くっきりはっきり、男の手形に付いている。執念深く、ウルトラ上手に焼かれてしまったからね。るろうに剣心の頬の十字傷みたいだな。ははは、笑えね〜。今更だけど瀬呂くんにガッツリ見えてたな。塗り薬をよく塗り込んで、ガーゼを当てる。あ、包帯ちょっと失敗した。まあいいや、どうせインナーにタートルネック着るし。流石に見てて気分いいもんじゃないしね。

「ぁ、」
「磨さん!」
「緩名くん! 起きて大丈夫なのか?」

 共有スペースへ戻ると、朝早い組がもう起きてきていた。朝早い組は日によるけど、百、飯田くん、障子くん、後はたま〜に尾白くんとか爆豪くんだ。まだ6時にもなっていないけど、寝付くのが早い人が多いからヒーロー科の寮はわりと早朝から賑やかだ。ロードワークに出る人も多い。飯田くんにんん、と頷くと、障子くんがソファの隣を開けてくれたので、そこに座る。あ、お絵描きボードいるな。対話できん。目を向けたら、障子くんが腕を伸ばして取ってくれる。ありがとう。スーパー元気、と書き込むと、なんとも言えない笑顔をされた。なに?

「いや、緩名くんらしいと思ってな」
「ええ、とても心配しましたもの」

 昨日の自分、かなりか弱かったしなあ。ごめんね、と書こうとしたけど、止めてありがとう、と書いた。謝られるよりこっちのがいいよね。障子くんとは逆隣に座った百の肩に頭をぶつけると、そのままそっと抱き寄せられた。くびれた腰に、腕を回して抱き着く。華やかだけどキツくない、花のような香りが鼻先を撫でた。落ち着く。しばらく柔らかい身体を堪能して、そっと離れる。私よりも少し高い位置にある私を見つめる百の目が、慈愛に溢れすぎていてちょっと照れた。かわいい。

「緩名、包帯がズレている」

 あらま。首元、しかもリボンとかじゃなく包帯となるとなかなか難しい。いつもなら、私がここで甘えるから巻き直そうとしてくれたんだろう、障子くんの手が伸びてきて、触れる前にピタリと止まった。

「……触れていいか」

 あんまり見て気持ちのいいものじゃないしなあ、とは思ったけれど、障子くんの少し不安げな声を聞いて、反射的に頷いていた。むしろ私から触らせて欲しいくらいだ。意味違うけど。ハラ、と包帯と共にガーゼが取れると、障子くんが少し険しい表情をする。百や飯田くんが、ほんのすこし、息を詰めた。人の手形なんて気持ち悪いよね。どこのホラー映画だよ、ってなるし。あーん、やっぱりやめときゃよかったかな。

「……痕は、残るのか?」
「、ん」

 ふるふると首を振る。そうか、と一言だけ。火傷跡の少し上、顎のあたりを体温の低い無骨な指が触れた。新しいガーゼに、まっさらな包帯。丁寧な手つきで巻かれていくと、すぐにその痕は隠された。

「緩名」
「ん?」
「……俺は、おまえのように言葉を尽くすのがあまり得意じゃない」
「……ん」

 大きな手が、頬を包み込む。長い指の先が耳に触れ、そのまま髪の先まで滑っていく。じんわりと低い温度が、冷えた頬を温めた。言葉を探すような、僅かな沈黙。切れ長の瞳が優しくて、くすぐったさに目を細めると、障子くんも同じように目尻を下げた。

「頑張ったな」
「……!」

 頬を撫でながら言われた一言。今回の件で、たくさんの人に大事にされてるな、っていうのを実感させられた。注意や心配、愛だなあ、って言葉はたくさん貰ったけど、枕詞にそれらがない、純粋な賞賛、労いは、初めてだ。ふわっと心に灯が灯って、反射的に分厚い胸に飛び込んだ。
 だって、嬉しい。そう、私、わりと頑張ったんだもん。ヒーロー活動に見返りを求めるのは議論が割れるとこだろうけど、生きて帰ってきたこと、少しくらい褒められても、いいんじゃないかな、なんて思うこともある。心配されるのも、当たり前に嬉しいんだけどね。

「帰ってきてくれて、よかった」

 ぎゅ、と逞しい首に腕を回すと、背中にぽん、と手が添えられる。言葉を尽くすのは苦手、と言ったけど、障子くんはいつも欲しい言葉をくれる気がする。優しい、紳士だ。こういうとこ好き。スリスリと擦り寄ると、優しく背中を叩いて宥められる。でも離れない。出来れば思いっきり抱き締められたい。うん、調子戻ってきたかも。

「……朝から磨と障子がイチャついてる」
「あら、耳郎さん。おはようございます」
「おはよう! 耳郎くん」
「おはよ」
「あーっ! 緩名いる!」
「うるさい」
「イデッ、なんでェ!?」

 響香や上鳴くんが起きてきて、一気に騒がしくなる。主に原因上鳴くんだけど。障子くんから離れるのは惜しいけど、二人の顔もみたいので、妥協案として膝に座ることにした。障子くんからちょっとマジか、みたいな空気を感じるけど、基本的に甘んじて受け入れてくれる。ふふん、完璧。クレバージーニアスだ。

「いや、なんでドヤ顔してんの?」
「なんだよ、羨ましいな障子〜……」
「ふふ、磨さんいつも通りですね」

 ドヤ顔のつもりはなかったんだけど、どうやらそうなっていたみたいだ。うーん、と両手を広げると、一瞬目を見開いた響香が、そのまましゃがんで私のお腹に抱きついた。

「……バカ。バカ磨」
「ん゙」

 え? かわいい。こんなかわいいバカ聞いたことない。愛してると同義じゃん、こんなん。私も愛してる、響香。
 それから上鳴くんの声に反応してなのか、それなりにいい時間になってきたからか、続々とみんなが降りてきた。響香はすぐに照れて離れていったので、障子くんの上に乗っている私を見て、驚いた顔、それから、安堵や呆れの表情をする。これはうん、なんか、あれだな。みんな私のこと好きすぎじゃんね。そう思うと、嬉しくて満面の笑みが零れた。



PREVNEXT

- ナノ -