133
カリ、と巻かれた包帯の上から、首に残る火傷の痕を引っ掻いた。首を絞める手の熱さと、身を焦がす蒼炎を思い出して、ヂリ、と焼け付く心地がする。背筋が戦慄いて、身体の末端から凍えるように冷えていく。ひゅ、とか細く吐息が詰まった。背中に触れる分厚いてのひらに、宥めるようにゆっくりと摩られた。落ち着け、落ち着こう。嫌なフラッシュバックをしてしまった。トン、トン、と規則的に背中を叩く律動合わせて、詰めた息を吐いていく。膜を張ったように不明瞭だった鼓膜が、キィン、と冴え渡った。大丈夫、大丈夫。額を伝った冷や汗が、フローリングにぽたりと垂れた。
轟くんが荼毘と被ったなんて、本当にどうかしている。碧の瞳に、炎の個性。あとは背格好が似ている、くらいだろうか。あーん、やだやだ。トラウマなんて、私には似合わなくない? うるさいぐらい響く鼓動はそのままに、呼吸だけをなんとか落ち着けて、ふう、と一息。顔を上げると、目の前にはしゃがんだ轟くん。傷付けてしまったのに、傷付いただろうに、なにより私を心配そうに見ていて、良心がよけいに痛んだ。ごめん。
「緩名、」
「ごぇ……っ、ごほっ、」
ああそうだ、喋れなかったんだ。クソ、マジで厄介。荼毘最悪。いてこましたい。次会った時まじでタダじゃ置かないからな。絶対に伸す、という決意を決めながらも、一度出た咳も、それから細かく震える手足も、自分の意思では止められない。怯えは見せたくないのになあ。確かに私はか弱い乙女だけども、泣いたりだってしちゃうけれども、ここまでこうさあ、Theヒロインって感じの振る舞いもなんか恥ずかしいじゃん。不可抗力とはいえさあ。飲んだばかりの解熱剤はまだ効いてくれなくて、頭までぼやぼやしてきた。それはいつもか。
ずっと背中を摩ってくれていた腕に引き寄せられたかと思えば、膝の裏を支えられて、持ち上げられる。かすかに甘い、アマレットのような香り。小さく揺れる指先を、隠すように背中から通った手が覆った。
「黒目、こいつの鞄持ってこい」
「え……あ、う、うん!」
私を抱えたまま立ち上がった爆豪くんは、三奈に声をかけてそのままスタスタと女子寮の方へと歩き出した。すごいな。突然の爆豪くんの行動に、みんな置いてけぼりだ。そこ痺憧。斜め下から少しだけ見える表情は、何を考えているのかは分からなかったけど、気を使ってくれているのは分かる。やっぱり、爆豪くんって優しい。
鞄から出した鍵を三奈が回して、扉を開ける。久しぶりの自室だ。気が抜けると、ずしりと身体が重たく感じた。薬回ってきてんのかな。爆豪くんが丁寧にベッドに横たえてくれる。服脱ぎたい。ブラも外したい。もう全裸でいい。身体重い。後のことは三奈に任せて、何も言わずに離れようとする爆豪くんの服に、なんとか指先を伸ばした。ひっかかった指先を、爆豪くんの手に柔く捕まえられる。手のひら、分厚いよね。ふふ、と笑みが浮かんでくる。なんかちょっと楽しくなってきてるのかもしれない。情緒がバカほど不安定だな。ありがと、と口パクすると、口がへの字に。なんで。感謝を伝えただけなのに。
「……はよ治せ、バカ女」
溜め息と一緒に、鼻の頭を軽く摘まれる。それから、汗ばんだ私の額をひとなでして、爆豪くんは部屋を出ていった。凪だ。静かに扉の閉まる音が、いやに響く。あー熱出てんな〜、って感じがする。しょぼんとした顔で、つつつ、と寄ってきた三奈のふわふわの頭に、ぽん、と手を乗せた。撫でるほどの力はない。
「……磨、大好き」
「ん」
少しの逡巡。それから口を開いた三奈が、私の手を緩く握った。きっといろいろ、言いたいこともあるんだろうけど、今の私に言うことでもない、と三奈の中で迷いに迷っての大好き、なんだろうなあ。私も、の思いを込めて、繋いだ手を握り返した。んふふ、あったかい。
ふいに目が覚めた。いつの間にか、落ちてたみたいだ。少しだけ開いたカーテンから覗く空はまだ濃紺で、薄ぼんやりと白み始めている。起きるにはまだまだ早い時間帯だ。眠りにつく直前にはいた三奈の姿はない。よかった、流石に自室に帰ってるみたいだ。夜通しの看病とかしそうな勢いだったからなあ。結構長く寝たから、頭はめちゃくちゃスッキリとしている。喉は相変わらず意識すればひりつくけど、腫れも少しずつ引いているし熱もなさそう。喉だけやられた風邪みたいな感じ。
「ぁ、あ゙ー、お゙えっ」
うん、声はまだ駄目だなあ。繁華街のオジサンなみの汚い嗚咽が出た。まじで一人でよかった〜! 明日……明後日くらいかな。喋れないの不便だから、早く治したい。思い出すのは、心配そうなみんなの顔。それから、轟くんの、迷子の子どもみたいな、表情。本当に、なんで荼毘と被ったのか。ごめんね轟くん。
着ていた服は寝巻きに着替えられている。なんとなくだけど、朦朧としたまま三奈に手伝ってもらって着替えた記憶がある。めんどくさかったんだろうな、素肌にデカT1枚だ。布団から出ると流石にちょっと寒い。めっちゃ寝汗かいてたみたいで、不快感が凄い。傍らにタオルを置いてくれていたので有難く身体を拭いた。うう、首の火傷も蒸れてぐじゅぐじゅだ。最悪。包帯とガーゼを一旦外しておく。もうお風呂入っちゃおうかな。そうしよ。あ、でもまだ暗いうちに大浴場使うの怖いな。お化けでそうだし。暖かいものでものんでもうちょい待とう。
ブラキャミとショートパンツにぶかぶかのカーディガンを羽織って、薬と着替えを持って共用スペースに降りる。さすがにこの時間だし誰もいないだろう。シンとした共有スペースは、賑やかな常とは少し印象が違っていた。ケトルに水を入れて、カチ、とセットする。その間に、置きっぱなしだったお土産類を漁る。ちゃんと1箇所に纏めて置かれていた。流石に開けにくいよなあ、誰宛かもわかんないし。あ、でも冷蔵庫入れた方がいいやつはないわ。整理してくれたのかな。百あたりだろうか。朝になったらお礼伝えとこ、と思いながら、袋の中からはちみつを取り出した。チューブの生姜とはちみつをマグカップにいれて、お湯を注いでレモン汁を少しだけ。匂いがもう美味い。最高。フーフー、と息を吹きかけて冷ましていると、カタ、と物音がした。
「!」
「、緩名」
ぱっと振り向くと、背の高い細身の姿が。少しだけ驚いたように私を見る、瀬呂くんがいた。
「ナニしてんの、こんな早くから」
それはこっちの台詞でもある。私は寝付くのが早かったし昨日寝てばっかだったからあれだけど、瀬呂くんこそ早起き、にしては早起きすぎる。スマホとか全部置いてきちゃったから、意思疎通が難しい。とりあえずマグカップを掲げると、いー匂いすんね、と近付いてきた。そうでしょう。
「……まだ声出ねぇのね」
「ん〜」
吐息とかハミング的なのくらいなら出る。瀬呂くんもいるかな。はちみつは潤沢にある。生姜は残りちょっとだけど、そんなに使うわけでもないし。瀬呂くんのも作ろうかとマグカップに手を伸ばすと、後ろから伸びてきた腕にその手を捕まえられた。なんだ、喧嘩か? と思って振り向くと、思ったよりも近くに瀬呂くんがいる。ちょっとビビった。捕まった手はキッチンのシンクにやんわり抑えられて、反対の手も同じように。重ねられた一回り大きな手が、私の手をすっぽりと覆う。それから、背中に温もりが。肩に乗る、少しの重み。轟くんとか上鳴くんならわかるけど、瀬呂くんのこういうのは珍しい。甘えただ。いろいろ心配かけちゃったしなあ。好きにさせておこうと、重なった指を動かして骨張った細長い指に絡ませると、はあああ、と深めの溜め息が。
「……生きてる」
そりゃ生きてるが。私が艦隊の擬人化だったら大破くらいまでいってはいたが。それにしても大分お疲れの様子だ。心労かな。今日も演習あるみただし、ちゃんと眠れてたらいいんだけど。捕まった手を引き寄せて、お腹へ回させる。生きて動いてるよ、もう結構元気だよ、と伝えるためだ。やましい事はない。本気本気。マジマジ。いつもだったらここまでのスキンシップは遠慮するくせに、今日に限ってはお腹に回った腕に力がこもった。クラスの中では大人っぽいけど、瀬呂くんもやっぱりまだ高校生だなあ。申し訳なくはあるけど、ちょっとかわいい。
「緩名は、」
「ん?」
「……頭いいし、周りもよく見てるし、ガキっぽいことするくせにやけに大人びてるし」
急に怒涛の褒めタイムが始まった。何事。
「個性も強いし、応用力もあって、いろんな人から一目置かれてて……俺よりも、ずっと先を行ってるけどさァ」
抱かれる腕に、更に力が篭る。はあ、とまた深い溜め息。それから、悪い、と謝られる。
「……おまえが死ぬかも、っつーような目に合ってんのに、見てるだけしか出来ないのが悔しかった」
……それは。誰かのせいにするなら、敵のせいだし、絶対に瀬呂くんや、私の周りの人のせいではない。
「分かってんの、俺はそもそも蚊帳の外だった。……でも、それも悔しいのよ」
瀬呂くんの中での、問題なんだろうなあ、きっと。腕を上げて、肩に乗る頭をよしよしと撫でると、また深い深い溜め息を吐かれた。そんな溜め息ばっかりだと憂鬱になっちゃうぞ。吸ってこ。
「緩名」
「ん、」
「……気ぃ抜けた顔してんね、やっぱ」
ンだと? 急に喧嘩売られた。なんで。怒った顔を作ると、力なく瀬呂くんが笑う。やっと笑った。
「ちょっとでいいから、……いや、やっぱ何でもねぇわ」
「ん、ん……?」
「ハハ、アホの顔」
なんでdisられてるの? ちょっとでいいから、の続きは、なんだったのか。誤魔化すようにdisられたから、瀬呂くんの本音は聞けなかったけど。ちょっとでいいから……。なんだろう。考えても分からない。気になるけど、密着していた身体を離した瀬呂くんの様子を見るに、教えてくれる気はなさそうだ。え〜、気になる。
「緩名」
「?」
教えてくれるかな。期待を込めて見上げたら、眩しいものでも見るかのように、細い目が更にキュウ、と細まった。
「短いの、かわいいね」
長い指が、ボブになった毛先を攫う。仕方ないから、下手くそな誤魔化しに、騙されてあげた。
PREV |NEXT