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「緩名、緩名」
「ん……」

 先生の声がする、けれど、目を開けたくない。車に乗ってすぐに寝落ちていたみたいだ。もう着いたようだけど、相変わらずあんまり力が入らない。ふう、と吐いた息が少し熱かった。口内に甘い味が広がっている。あ、飴全部溶けてる。

「熱上がってんな」

 今度は片手で先生に抱えられて、反対の手には私の荷物。肩に寄りかかるように抱き上げられたので、ちらっとしか見えなかったけれど、雄英の正門だ。マイク先生は車を停めにいくらしく、ここでバイバイみたいだ。確かに駐車場、遠いもんね。私を抱えたまま、先生が歩き出す。浮かんでいるような、ゆらゆら揺れる感覚が心地良くて少し楽しくなった。

「おまえが」
「?」

 ポツリ、と先生が声を落とす。

「荼毘に抱えられてるのを見た時。……心臓が、止まるかと思った」

 その声色にハッとして、顔を上げた。先生の目は、私を見てはいない。

「不測の事態だ。おまえの取った行動は、何ひとつ間違えちゃいなかった。激しい戦闘からは離れ、現場のヒーローと連携しながら、避難誘導に回る。むしろ、よく出来たと褒めてやるべきなんだろうが……」

 ゆっくりと、真っ黒な目が伏せられる。後悔した、と先生が零した。インターンに行かせたことを。嫌な予感は、確かにあった。実際、先生は私を行かせることに渋りを見せていた。それでも、そんなことばっかり言っていたら、ヒーローにはなれない。それに、先生の言ったように、今回のことは誰にも予想出来なかった、不測の事態だ。無精髭の生えた頬に、手を当てる。伏せられた瞳が、少し寂しげに私を見た。指先で右目の下の傷跡をなぞると、コラ、と軽く咎められる。

「無茶をするなとは言わん。だから、」

 ふう、とひとつ、息をついた。

「頼むから、死なないでくれ」

 どこか縋るように吐き出された懇願に、息を飲んだ。交わしたままの視線が、逸らせない。死ぬつもりなんて、当たり前だけどさらさらなかった。それはきっと先生も分かってて、それでも、言わずにはおけないほど、私が自分で思っているよりもずっと、先生に心配をかけていたのかもしれない。そう思うと、ほんの少し、いや、かなり。ツキンと胸が傷んだ。口を開くと、小さく咳が溢れる。喋れないのがもどかしい。……喋れたところで、安心させる言葉なんて、言えはしないんだろうけど。何も言えないかわりに、顔を覆う癖のある黒髪を、さらりと耳にかき上げた。



「わっ、先生! ……緩名さん!?」
「……緑谷か」

 シン、と沈黙のまま寮への道を辿っていると、背後から聞きなれた声が。びっくりした、けど少し助かった気がする。熱っぽく茹だった重たい頭を少し持ち上げると、走っていたのかジャージ姿の緑谷くん。目を見開いて、駆け寄ってくる。

「緩名さん! 大丈……ぶじゃない、よね。でも、よかった……!」

 ひらひらと手を振ると、緑谷くんの視線が私の首を見た。タートルネックから、僅かに包帯が見えているんだろう。痛ましそうに顔を顰める緑谷くん。ぎり、と食いしばった歯の音が、私まで聞こえてきそうな勢いだ。焼かれているところはカメラに捉えられていなかったけれど、こんがり焼かれて荼毘に抱えられているところは、だいぶしっかり写ってたもんなあ。自分でも確認したけど、よくあれで死んでないなと思った。

「緑谷、とりあえず寮に入れ」
「あっすみません!」

 先生から私の荷物を受け取った緑谷くんが、いつの間にか着いていた寮の扉を開いてくれた。眩しい。離れていたのはたった三日程度なのに、やけに懐かしく思える。ホームシックだったもん、だいぶ。脱がされた靴はそのままパタン、と置かれて、抱き上げられたまま懐かしい寮の中へ入った。

「磨!」
「緩名〜!!!」

 何時になるかも言っていなかったのに、帰りを待ってくれていたのか、共有スペースにいたほぼ全員がワッ! と寄ってきた。磨さん、磨ちゃん、とみんなに名前を呼ばれている。嬉しいんだけど、熱の上がってきた頭では、ちょっとこう、目が回る。抱えられたままなので、私がぐらぐらしているのに気付いたんだろう。おまえら、と先生が一言。

「心配なのは分かるが落ち着け」
「はい……」
「緩名、薬」

 ソファへと降ろされて、私の前に膝を着いた先生が私の鞄を開く。痛み止めは飲んだので、頓服薬となんかその他もろもろ。百が慌てて白湯を淹れて持ってきてくれる。隣に座った三奈が、手の上にピンクの手をそっと重ねてきたので、緩く握ると、強い力で握り返された。周りに集まったみんなも、心配気な顔を隠す気もないみたいだ。神野に続いて、また多大なる心配をかけてしまった。薬を受け取って、お湯で少しずつ流し込む。うあ、やっぱりあんまり美味しくない。

「緩名、とりあえず明日の朝また様子を見に来る。……が、少しでも違和感があったらすぐに誰でもいいから呼べ」

 いいな、と先生に言い聞かせられて、こくこくと頷く。まあ、自然治癒力も高まっているし、薬も飲んだし、大丈夫ではあると思うけれど、それでも念には念を、だ。出来るだけ早く寝ろ、というお言葉にも深く頷いた。もう寝ます。それでもまだ物足りなさそうな先生を、グイグイと押して帰っても大丈夫だとアピールする。個性の過剰使用と喉の炎症で熱が出てるだけだから、本当にもう大丈夫なのに。それより、先生も先生でやることが多いだろうし、心労もかなりかけただろうから、ゆっくり休んで欲しい。明日には、元気な私に戻っているので。後ろ髪を引かれている先生をばいばい、と座ったままだけど見送って、先生の姿が見えなくなると、三奈がはああ、と私の肩にやんわり寄りかかってきた。気を使われてるんだろう、本当にやんわりだ。

「磨、大丈夫なの?」
「おまえはもう本当に……本ッ当にさあ〜!」
「心配したんだぞ緩名〜!」
「みなさん! 磨さんは熱があるようなのでお静かに!」

 ぽんぽん、と三奈の頭を撫でて、わらわらと寄ってくるみんなに余裕、と親指を立てる。轟くんの姿は見えなくて、少し距離を置いた場所にいる爆豪くんと瀬呂くん以外、クラスのほとんどが一つのソファの周りに集まった。狭いて。人口密度よ。嬉しいけど。ぷりぷりと怒って静まらせようとしてくれる百にも、まあまあ、とジェスチャーした。

「声、出せへんの……?」
「それに、磨ちゃんの綺麗な髪が……」

 涙を目に溜めたお茶子ちゃんの言葉に、少し鼻声の透が続く。ど、どうどう。先生どこまで説明してくれてんだろう、と思いながらも、私の荷物、主にお土産類を持ってくれたままだった緑谷くんを手招きした。

「え、お土産?」
「今それじゃねーだろ……なにそれ?」

 お土産じゃなく、お絵描きボードを取り出して、カクカクシカジカ。2、3日で元通りになること、髪も生えること、全部大丈夫だから、と書いて伝えると、それでも心配が抜けない様子の三奈が、でも、と繋げた。

「先生に抱えられてたし……」

 ああ。うーん。鎮痛剤と、個性の影響でクソ眠いだけで、歩こうと思えば自分で歩けるんだけど。先生の過保護、が発動したのが大きい。先生の過保護部分は省いて伝えると、渋々ではあるけどやっと納得してくれたようだ。よかった。まあでも、先生に言われた通り今日は早めに眠ることにする。もう寝るよ、と伝えて、ゆっくり立ち上がった。荷物……明日でいい? めんどくさい。どうせほぼお土産だし。三奈に付き添われて、みんなに見守られながらのそのそと進む。うーん、気分は初めてのお使いだ。ちょっと恥ずい。おやすみ、と声には出来ないけど手を振ろうとしたところで、トン、と誰かにぶつかった。お、と高いところから声が降ってくる。

「緩名」
「あ、轟……磨!?」
「オイ、」

 声の主を見上げて、明るい緑がかった瞳が見えた、瞬間に、自分の内側から焦げつくような匂いがした気がして、ガクンと身体から力が抜けた。誰かが崩れ落ちた私の肘を掴んで、支えてくれている。級友たちの焦る声が聞こえるけれど、喉が熱くて堪らない。細かく震える指先で、首を覆う包帯に触れた。



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