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「い〜天気〜」
「雨だぞ」
「雨だっていい天気だもん」
「思ってねぇだろ」

 とある日。保護されたエリちゃんに会いに、病院までやって来ていた。笑いたくなるくらい土砂降りの中、引率の先生と二人でわりと濡れ鼠だ。最近もう涼しくなっていたけど、残暑も完全に終わらせる雨だわ。

「こんにちは〜、エリちゃん。初めまして」
「……こんにちは」

 初めましてのエリちゃんに笑いかけると、エリちゃんは窺うように私を見た。そりゃ警戒するよねえ。ちなみに、先生は挨拶とかで席を外している。完全に二人っきりだ。事前に私についてのある程度の説明はされているらしいけど、言葉だけで人となりとか分からないし、不安だよね。接したら安全な人間かと言うと自信はないけど。

「ここ座るね」
「……はい」
「あっは、敬語〜」

 怯えないように手で示してから、エリちゃんのいるベッドに腰掛ける。

「磨です。よろしくね〜」
「……!」
「握手、は怖いだろうから、握指〜」
「あくゆび?」

 ス、と人差し指を出すと、エリちゃんが小さくビクッ、とした。握指って言葉を初めて聞いたんだろう、直ぐに首を傾げた。造語だからまあ当たり前なんだけど。握手はだって怖いじゃん? 恐る恐る伸びてきた小さな指が、私の手をキュ、と握った。あったかい……、とエリちゃんが小さく零す。

「磨、さん」
「は〜い。お姉ちゃんでもいいよ」
「……お姉ちゃん?」
「うん。磨お姉ちゃん」
「磨お姉ちゃん……」

 確かめるように、エリちゃんが小さく呟いた。今日からお姉ちゃんです。自己申告制。

「今日はドシャドシャの雨だねえ」
「ドシャドシャ?」
「雨のときのなんか音的な」
「ドシャドシャの雨……」
「エリちゃんは雨、好き?」
「すき?」

 くっ、とエリちゃんの首が少し傾くのに合わせて、私も首を傾げた。

「分からない」
「わかんないか〜。私は結構雨好きだよ。はいあめ」
「……あめ?」
「うん、あげる」

 座っているエリちゃんの膝元に、バラバラと飴を置いた。ダジャレやん。先生いたら赤点だな。一粒が小さめのブロック状のフルーツキャンディだ。二つずつ入ってるやつ。ちっちゃい頃ってこういうのにトキメかない? 私は精神幼女なのでまだトキメクけど。ちなみに、エリちゃんにアレルギーがないことは確認済みだ。

「飴、好き?」
「好き、です」
「よかったよかった。エリちゃんは何色が好きかな〜」

 赤、ピンク、オレンジ、緑、黄色、青。他にもいろんな色がある。何味だっけ? 忘れちゃった。青色マジ何味なんだ。少し迷ったエリちゃんが、小さな指でこれ、と指したのは、濃い赤色の飴。何味だろ。

「あ〜ん」
「! あ、あー」
「くちちっちゃいね。かわい〜」

 エリちゃんは少しびっくりしてたけど、私につられて口を開く。ぺり、と包みから取り出した赤色を、小さな口の中に放りこんだ。対で入っていた透明のやつは自分で食べた。なんだろこれ。レモンかな? 分かんね〜。

「何味だった〜?」
「……? 分からない、……?」
「あは、飴の味ってパケ見ないと分かんないよね〜。私も分からん」

 エリちゃんが首を傾げながら口元を動かしている。飴とかグミって目瞑って食べると分かんないことない? 私はある。

「おいしい、です」
「ん! よかった。これエリちゃんのだから、全部食べていいよ」
「……ありがとう」
「あ、でも食べすぎたら先生に怒られるかも」
「せんせい、怒るの?」
「怒る怒る! も〜私毎日怒られてるよ」
「緩名が怒らせるようなことするからだろ」
「ぎゃっ」

 ぬんっ、と先生が横から生えてきた。びっくりした。こえ〜。エリちゃんも目をまんまるにしている。

「エリちゃん、こんにちは」
「こんにちは」

 先生が屈んでエリちゃんと目線を合わす。髪上げたらいいのに。完全なる不審者だ。

「先生なら味分かるかなあ?」
「?」
「なんのだ」
「これ」
「飴か?」
「うん。エリちゃんと食べてたけど味分かんない」
「分からないもん食わすな」
「パッケージには書いてあるもん〜」

 パッケージ見ればいいんだけど、生憎寮に置いてきている。多分捨てた。

「エリちゃん先生にどれあげる?」
「ん……これ」
「青色か〜イカすじゃん」
「いかす」
「かっこいいバイブスブチアゲみたいな意味」
「???」
「おい、適当教えんな」
「あてっ」

 私の言葉に混乱してるエリちゃん、かわい〜。食べたい。代償に先生にデコピンされた。エリちゃんの前だから肉体的指導がマイルドだ。肉体的指導ってなんかヤらしいね。

「あーんしてみる?」
「!」
「何教えてんだおまえ」
「色恋のいろは。……はい、エリちゃん」

 コク、とエリちゃんが頷いたので、包みを剥がしてエリちゃんに青色の飴を渡すと、ちまっこい指先で摘んだ。あーん、って言うと、先生が素直に口を開ける。え〜かわいい。癒しキュート最高空間だ。写メ写メ。写メって言うの年齢高めらしいよ。こわごわとした様子でエリちゃんが先生の口元に指を運んだ。かわい〜。

「どう、ですか?」
「おいしいよ、ありがとう」
「何味だった〜?」
「……」

 先生が黙り込んだ。多分かつてないほど舌先に意識を集中していることだろう。ウケる。青色マジ何味なんだろ。

「……桃?」
「その色で!?」
「全然分からん」
「うける全員分かんなかったね」

 こくこく、とびっくりした顔のエリちゃんが頷いた。かわいい。

「エリちゃん、写真撮ろ」
「しゃしん?」
「想い出想い出〜。あ、先生も」

 よいしょ、と座ったままエリちゃんに近付くけれど、警戒されなかった。よし。それよりも、スマホが気になるみたいで不思議そうに見つめている。

「これ、こうすると」
「わ……!」
「凄いでしょ?」
「すごい」

 インカメを起動すると、エリちゃんが驚いていた。知らないこと、いっぱい教え込もう。生きてく上で必要のないことまで。

「ピース、知ってる?」
「うん」
「じゃピース〜あ、先生も」
「はいはい」

 エリちゃんがいるから先生が全く反抗しない。ヤレヤレ系男子みたいになるな。ピースをして写真を撮ると、私以外の二人が真顔でなんかオモロ写真になってしまった。エリちゃんは仕方ないとして、先生は笑おうよ。まあ何はともあれ記念写真だ。初めまして記念。
 面会時間は短く、そろそろ、と外側から声がかけられる。マジ短いな。

「今度来る時、エリちゃんの好きそうな物持ってくるね」

 好きな物知らないし。数打ちゃ当たるでしょ、多分。

「お絵描きとかする?」
「うん」
「ゲームは?」
「したことない、です」
「じゃあゲームも持ってくるね! イケメン好き?」
「どんなゲーム持ってこようとしてんだおまえ」
「酒池肉林逆ハーレム物」
「やめろ」

 あと6歳の頃なにやってたかマジ思い出せない。絵本とかかなあ。

「じゃ、また来るね」
「うん」

 少しだけ、寂しそうに見えなくもない顔をするエリちゃん。表情の変化が薄いから分かりにくいけど、多分惜しんでくれている、と思う。

「撫でていい?」
「だいじょうぶ」
「よし」

 少しだけの強ばった顔。そっと頭に触れ、ゆっくりと撫でると、少しずつエリちゃんの緊張が解れていった。よかった。サラサラの髪の毛に指を絡めて、痛くないように梳く。最早髪色なんてそれぞれ色々だけど、珍しい色してるなあ。綺麗だ。

「……うん。よし、じゃあまたね! エリちゃん」
「お姉ちゃんも……またね」
「うん!」

 バイバイ、と手を振って、先生とお部屋から出た。ちょっとは打ち解けてくれたかな。隣に立つ先生を見上げると、感心したように私を見ていた。その反応を見るに、エリちゃんへの対応は上場だったらしい。やったね。

「……おまえ、凄いな」
「そう? もっと褒めてもいいよ〜」
「ハイハイ。おまえは凄いよ」
「同じことじゃん、うける」

 私がエリちゃんにしたのよりはもっと雑に、それでも優しく、頭に大きな手が乗った。ふふふ、先生本当に褒めるの下手だ。



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