dream | ナノ



act.001


1965年5月、アルバニア
私はどう言うわけか、某海外児童書の世界にいる

理由は闇の帝王いわく
「複合呪文の実験の結果」で、私が天井から降ってきた……らしい
いわゆる異世界トリップといういかにも夢のような話を身を持って絶賛体験中で、
そんな私に興味を持ったヴォルデモート卿の好意で、このお屋敷に居座って早数週間

のんびりまったりニートライフを堪能中……なわけもなく
卿とのマンツーマンのスパルタ授業に日々頭を悩ませている

まず純日本人の私が卿から与えられたのは英国小学生レベルの英語の読み書きの教科書だった
よくあるトリップ特典でリスニングやヒアリングはクリアできても
―それでも卿から言わせてみれば「品の欠けた」英語らしい―読み書きまではカバー出来なかったようだった
今まで握ったこともなかった羽根ペンにも苦戦しつつ、毎日本と羊皮紙に向かっている

「汚い、やり直せ」

「せっかく書いたのに!」

背後から飛んできた言葉にショックを受け、がっくりと肩を落とした
ジト目で後ろを振り向くとヴォルデモート卿が紅茶を啜りながら私の羊皮紙に失望したような眼差しを向けていた

「なんだこれは、ミミズか?」

「本当に失礼ですね、卿は。というかお行儀悪いですよ」

座って飲めば良いのにと悪態を付くと、仕返しと言わんばかりに私の羊皮紙を摘むようにして取り上げ、首を傾げた
慣れない筆記体が卿には酷く滑稽に見えるらしく、それを見てはニヤニヤしている

正直、羽根ペンの使い方さえ分からなくて羊皮紙をインクまみれにしていた初日に比べたら、幾分かマシになったと思う

「黙ってお茶してて下さい」

羊皮紙を引っ掴んで取り返すと、新しい羊皮紙に始めの物と教科書を見比べながら、また模写を始めた

「本当に成長しないな、貴様は」

「お互い様です、卿も成長してません」


羽根ペンが羊皮紙とインク瓶を行ったり来たりする音と、卿が紅茶を啜る音が無駄に広い部屋に響く


「卿」

「……なんだ」

英文が羊皮紙の半分を超えたあたりで卿に話しかけると、少し間を空けてから気だるそうな声で返事が返ってきた

「これ終わったら、庭に出てもいいですか」

「そんなに土遊びが好きか」

「だって、折角大きな庭があるのに勿体ないじゃないですか」

窓から少しだけ見えるその庭は酷く寂れていて、一層この屋敷を荒れさせて見せた
ここ暫く、私は卿に許可を貰って庭いじりに精を出していた
勿論、出入りしている死喰い人のほとんどは私のことをいい目では見ていない
主である卿が庭いじりに関して無関心なので、特に何もないけれど

模写が終わると同時に、部屋のドアが控えめにノックされた

「なんだ」

「失礼致します、我が君……実は」

死喰い人のひとりがこそこそと入室し、卿に耳打ちをする

「今日の授業は切り上げだ、庭でもどこでも行くがいい」

邪魔だから消えろ

血色の瞳がそう私に言った
教科書や羽根ペンを片付け、小突かれる前に庭いじりの支度をして部屋を出た


もともと卿は暇をしているわけでもない
闇の時代を築くべく日夜奔走し、とってもご多忙のはずなのだ
それをこんなワケの分からない小娘に時間を割いて勉強を教えてくれる

ぶちぶち
ぶちぶち

私は雑草を引き抜きながら考えた

……まだ人として、心は死んでいないのかもしれない

卿は、何を考えているのか分からない
もちろん私は卿じゃないので、分かるわけもないが

死にかけた灰色の土に森から拝借した腐葉土を混ぜ込むのと一緒に、私の憂鬱な気持ちも埋めてしまいたいと思った
土がふっくらと元気を取り戻しても、崩れた花壇を組み直しても、アルバニアの空は曇ったままだった


「雑草が無くなると、少しはマシに見えるな」

玄関の柱に背をあずけ、腕を組んだまま卿は言った

「そうですね、あとはお花でもあれば見違えるようになりますかね」

「明日は一日外出する。課題は出す、その後は好きにして構わん」

卿は踵を返すと屋敷へ歩みを進め、重々しいドアノブを握った

「手を洗え、もうすぐ夕飯だ」

「お腹すきました」

「……」


* * *


次の日
遅く目覚めると、屋敷には誰も残っては居なかった
今日は課題を終わらせたら庭に出て……と、一日何をするのか考え
とりあえず、ふかふかの枕を抱きしめるのをやめた

テーブルの上には、山になった教科書とサンドイッチ、そしてメモ


"消費しておくよう"


短い英文にはいつもの卿らしさが滲み出ていて、思わず顔が綻んだ
私はレタスとハムがぎっしり詰まったサンドイッチに手を伸ばした

もぐもぐと口を動かしていると、ドアが開いた

「あ」

ぬめぬめした身体をくねらせ、こちらをじっと見つめる小さな瞳
しゅーしゅーと鳴きながら舌をちろちろと動かしている


『ごはんはすみましたか?』

『あ、ごめんね。いま食べる』

『まっています』


ナギニは器用にソファに登ると、クッションの上でとぐろを巻いた
私はナギニを待たすまいと、慌ててサンドイッチを口に詰め込んでいく

トリップ特典その2、パーセルマウス

しかしなんでも上手くいくなんてこともなく、英語同様にパーセルタングも発展途上中
リスニングもヒアリングもかろうじてというところで、人外の言葉に悪戦苦闘している

『おいしいですか』

「えーと『おいしい』……だっけ?」

『せいかいです』

サンドイッチをお茶で流しこんで、手を合わせる
ついついやってしまう日本人らしいクセ

監視役のナギニと会話をすることも特になく
卿の用意した宿題の山を片付けるべく本の山を睨んだ

書き取りから始まって、問題集にレポートに簡単なテスト
どれもこれも日に日に難易度が上がっている気がする
それでもまだ小学生向けの問題だし、相変わらず文字は読み辛い


羽根ペンの音が止む頃には、灰色の空は更にどんよりと重みを増していた
インクまみれの手を洗って窓へ近づくと、今にも雨が降り出しそうだった

「降りだすまでに、間に合うかな」

今日中に帰る、とは一言も言っていなかったけれど
この館に一人は、少し寂しかった


はやく、帰ってこないかな



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英語漬けの日々と

アルバニアの空


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