dream | ナノ


act.010


アルバニアは4年前と何も変わらない
私の部屋も、卿の書斎も、朝食の風景も

そう、何も


新鮮なレタスをクルトンと一緒にフォークで口まで運ぶ
しゃきしゃきした食感とお馴染みのドレッシングの味が朝食の実感を沸かせてくれる
が、相変わらず私はアルバニアに戻ってきたという現実に対応しきれていなかった

4年間で闇の帝王の陣営は確実に力を付け、世間様にご迷惑を掛けているようだ
屋敷に出入りする関係者も増えたけど、訝しげな眼差しがなくなったのは卿や馴染みの死喰い人の配慮だろうか
歳月は多少私を成長させ、環境も着実に変化し続けている

正直、帰ってきた時には困惑してあんな風に会話できたけど
今更どんな顔したらいいのか分からない

これが本音


「ご、ごちそうさまでした」

手を合わせて軽く頭を下げる、今だに抜けない日本人独特の癖を手早く行い、席を立つ
私は卿に目もくれず、小走りで一目散に部屋まで逃げていった


「はぁ」

ソファに腰を下ろし、溜息か吐息か自分でも考えたくないようなものを吐き出した

幾ら知識を養って魔女として成長したと言っても、こうやって卿から逃げてしまう弱虫は、相変わらず治っていないらしい

結局、根本的なところが変わっていない辺り、自分自身に嫌気が差す


「私、馬鹿みたい」

「全くだ」

「!」

いつの間にか現れた卿の存在に、驚く
屋敷の中での姿現しなんて心臓に悪い影響を与える以外にどんな意味があるのだろうか
有るなら教えて下さい、本当

ばくばくと早鐘の様に鼓動を続ける心臓が煩い

それは一向に治まる気配を見せず、私を焦らす材料にしかならない

「くっくっ、愉快な奴だ」

喉を鳴らして笑う卿を見て、一気に体温が上がった気がした

激昂か、それともまた別なものか
私は反射的に立ち上がり、卿に文句を投げ掛けた

「私で遊ばないで下さい!」

「まぁ、座れ」

「……私の部屋ですよ、此処」

促されたものを拒否する権利もなく、ソファに身体を預けた

卿が杖を取り出して軽く振ると、蒼白い陶磁器のティーセットが現れた
お茶を嗜む程に長話をする気なのか、気まぐれかは分からないけど

「それと、これもだ」

ふ、と卿が杖を振り上げる

「あ」

現れたのは黒いベルベットで覆われているリングケース

4年前のクリスマスに、私が卿に貰ったものだ

あの日部屋に置いたまま……荷物にも紛れていなかったので、ずっと探していた

「良かった……」

ケースを開けて中身を確認する
……うん、私が悩みに悩んでいたあのシルバーのリングだ

感慨深気にリングを手の平で転がしていると


「付けないのか?」


硬直


私は笑顔を顔に張り付けたまま、鈍くなったドアのように、徐々に卿の方を見た

4年前に悩みに悩んで困り果てていた内容を今、ここで聞かれるとは全くもって考えていなかった

「つ、付けるって、な、何を」

「指輪を」

「ど、どこに」

「指以外にあるか?」

もう、出来ることなら思考を止めたくなってきた

ポーカーフェイスを装っているけど、卿の口角がいつもより上がっている
ニヤニヤ笑いをしたくて仕方ない表情

この人、分かっていてやってる
……相変わらず、意地悪だ

「なら私が付けてやろう」

「へ?」

私が素っ頓狂な声を上げたと同時に、卿が私の手をがっちりと捕んだ
咄嗟に力を込めて手を引こうと考えてたが、遅かった

「ほら」

「……〜ッ!」

左手の薬指

私の気持ちも知らずに綺麗に輝く指輪に、声にならない声で絶叫する
卿は隠し立てすることさえ止め、ニヤニヤと笑っていた

「よ、よりにもよって!」

「私は此処にするべきだと思ったが?」

「〜ッ」

鬼だ、悪魔だ、この人は!

私の気持ちを知っていてわざとこうやって反応を見ているんだ
顔を真っ赤にして慌てている私を、予想してやってる!

私は指輪を引き抜こうと、力を入れた


ぐいっ

ぐいっ


……ぐぐぐっ


「……抜け、ない」


指が浮腫んだとかじゃなくて、本当に抜けない
むしろ力を入れる毎に指輪がキツくなっているような感覚さえある……

もしかしなくても

「卿……」

「4年も退屈させた罰だ」


ぱくぱくと、酸素を求めるように口を動かす
もはや私の声は声にならなくなってしまったらしい
卿を指差して絶句すると、至極楽しそうな表情で私を見る彼が居た

石鹸、油、軟膏、考え付いていた指輪を潤滑させて抜き取る方法はもはや無意味だろう

最強の闇の魔法使いから頂いた呪いの指輪だ……取れる気がしない

「うわあん、助けてナギニー!」

「馬鹿か、ナギニは私の蛇だ」

飼い主に不利益になるようなことをすると思うか?と余計な一言を残して微笑む卿
優雅に紅茶を啜る彼を見て、腸が煮えたぎるほどムカつくと思ったのは今回が初めてだ

ソファに座り直して、盛大に溜息を付く

「まぁ、そう溜息を吐くな」

「誰のせいですか、誰の!」

目の前に差し出されたカップを受け取ってしまい、それに唇を付けた
見慣れた赤茶色の液体はするりと口内に飲み込まれていった

ようやく落ち着いて喉を潤すことが出来る、とローズフレーバーの吐息を漏らした


「お茶、美味しいですね」

「また、茶菓子でも作ったら良い」

「もちろん甘さは控え目、ですよね」

「……ふん」

その後
特にお互いが話題を振ることもなく、茶会は静かに時間を刻んでいった


暖炉からの暖かい空気に、窓ガラスから漏れるほどよい日差し
今にも昼寝が出来てしまいそうな状況だが、こんなにのんびりしていても良いのだろうか?

仮にも闇の帝王様が、午前中からお茶しながらだらだらと……
別に闇の時代を心待ちにしているわけじゃないけど、大丈夫なのか少し不安に思う

まあ
卿が行動しない=世間様は平和
だろうから、良いのかもしれない


「……!?」

向かいで紅茶を飲んでいた卿の表情が、今まで見たこともないようなものに変わった

瞳を見開いたまま、私を見る

「どうかしました?」

私は暢気にクッキーの盛られた皿に手を伸ばしながら卿に聞いたが、すぐに違和感を感じた

クッキーが摘めない



私の指先が透けている

透明なビニール並に透けた指は、辛うじて外郭を留めている程度

「なっ!何、これ!」

透けている範囲はじわじわと染みのように広がり続ける

私の身体だけでなく、衣服も徐々に透過してゆく

「卿!」

言い知れぬ恐怖に包まれた私は卿を呼んだが、彼もまた突然の出来事に唖然としていた

「これは……ッ」

卿が思いつくまま反対呪文らしきものを唱えてくれるが―――反応はない

魔法の効かない身体が、今までで一番、憎たらしい枷に感じた


元の世界に戻る?

命が消える?

……分からない


どうして"今"なのか
透けた身体に問いてみても、答えが返ってくるわけもなく


「卿……もう、いいですから」

呪文を唱え続ける卿を制止する

「……勝手に消える許可などしてない!」

「ちょっと居なくなるだけですから」

「何故、断言できる?」


考え付く呪文を試しきったのか、焦燥した卿と視線が絡まった

「勘、ですけど……大丈夫、戻ってきますよ!」

「……あてに、ならんな」

卿は鼻で笑ってみせたけれど、顔はまったく笑っていない


私、必要とされていたのかな

―――予言者?盾?ペット?

……どんなカタチでも良い
卿の心に影響を与えることが出来たなら、頑張った甲斐もあった
未来で、何かが変わる切っ掛けを作れたなら

そう、これでいいんだ


消えゆく四肢の感覚は、酷く遠い場所に行ってしまった気がして
私は、力なく笑った

痛みはない

けど

何でこんなに心が痛いんだろう


「待っていて、やらんこともない」

俯き気味の卿が、ぽつりと呟いた
揺れる黒髪の隙間から見えた柘榴色の瞳が、微かに潤んだように見えた


笑わなきゃ

笑わなきゃ、笑ってみせないと

どんな結果になるとしても、別れの時くらい、笑っていたい


「……卿ッ」


行ってきますが、言えない


‐ ‐ ‐ ‐ ‐

最後に泣くなんて

ズルいじゃない


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