dream | ナノ



act.006


私がこの魔法世界に転がり込んで、早数カ月
アルバニアの夏は、少し暑い

「夏ですねー、卿」

「だからどうした」

屋敷は森の中に建っていて涼しいはずなのだが、今年は少し気温が高い……らしい
もう日が暮れかけているというのに、まだまだ汗が額に滲む

流石の卿もYシャツ一枚で、ぱたぱたと本をうちわ代わりにしていた
うーん、その姿さえ美しいとはけしからん……

「暑さでどうにかなりそうです」

「お前はいつもどうかしている」

卿は軽く頬杖をついて書類に目を通しながら、私に毒を吐いた

最近、卿は私のことを「貴様」ではなく「お前」と呼ぶ
相変わらず名前では呼んでくれないけど、それでも進展があったということは素直に嬉しい

私はソファのクッションを抱えてゴロゴロと寝返りを打った

「あ、そういえば」

足を振り下ろし、反動で起き上がるとばふん、とソファが揺れた

「今日にでも庭のお花が咲くかもしれないんです」

「満月草、だったか」

折角庭を手入れしたのに何も無いと寂しいので種を下さい、と以前卿に直訴したところ満月草の種をくれた
これが中々貴重なものらしく、ここまで来るのに結構な労力がかかった
園芸の本とにらめっこしたり、ね

「咲いたのなら幾つか摘んでおけ」

魔法薬の材料としてもなかなかレアものな満月草を、卿も幾つかストックしておきたいんだろう
買うとバカにならないみたいだし、タダで手に入ることに越したことはないだろうし

そういえば、卿の生活費やら闇の帝王としての活動資金は一体どこから出ているのだろう
自分で稼いでるようには見えないし、パトロンがいるわけでもないし……献金か何かだろうか、闇社会らしく
……それはちょっと怖い、色々と

疑問をそのまま卿にぶつけると、意地の悪い笑みが帰ってきた

「そんなに気になるか……?」

「いえ気になりませんでした忘れてくださいごめんなさい」

謝り倒して、書斎から飛び出した


「それにしてったこの気温は嫌だな」

日本のような高湿度な不快指数の高い気候じゃなかっただけ幸いだが
額に滲む汗を手の甲でぐっと拭って、私は歩き出した


薄暗い庭先
私は右手に杖を、左手にジョウロを持っていた

「ルーモス 光よ」

呪文を唱えると杖先からぽう、と光が漏れた
その光を頼りに、足元に置いてあったガーデンランプに明かりを灯していく

「うーん、我ながら不思議」

魔法は使えるのに、自分には効かないのだから……正直怖い

「アグアメンティ 水よ」

庭に十分な明度が保たれた頃、ジョウロに向かって杖を向けた
しゃがんだ体勢のまま、杖から噴出される水を見つめる

この不思議体質は、少なからず卿に重宝されている

予言要らずの未来予知
死の呪文さえ跳ね除ける身体

未来に関しては、急くこともないとあまり深くは聞かれていないし、答えてもいない


「なんだかなぁ……」

衣食住を提供してくれた卿には感謝している
……まあそれさえも未来の情報やこの体質の利用価値との等価交換でしかないだろうけど

純粋に卿との時間は楽しいし、とても有意義なものだ

時々、このまま時が止まってしまえばいいのにと思う

でも現実問題、それは夢のまた夢みたいな話
それでも考えてしまう、このまま私がいたら、何かが変わるんじゃないかと


正直、卿が物語のような結果を招くとは思えなくなってきていた

数カ月一緒に暮らした私の率直な意見だ
確かに卿は自分勝手だし、冷酷無比だし、闇の魔法が大好きな魔法使いだ
けれど無表情の中にもしっかりと喜怒哀楽が存在しているし、人間であることに違いない

そんな人だからこそ、未来の彼を想像できないのだ

平和ボケした国に生まれた私だからそう思うのかも知れないが
せめて私が、あと20か30年後に来ていたなら、こんなことも考えずに済んだもかも知れないけど


「あー……もう」

「何をそんなに脳みそを使うようなことがあるか」


相当考え事が長かったらしい
気付いたら隣に卿が立っていた

「脅かさないでくださいよ!」

どきりと動いた心臓が、いまだに名残惜しく跳ねている
私は溜息を吐きながら、左手で頭をくしゃくしゃにした

ガーデンランプで照らされた卿の顔は、相変わらずの無表情

「どうでもいいが、その水たまりをどうにかした方がいいと思うぞ」

「え、うわっ」

ジョウロから溢れに溢れた水が、足元に大きな水たまりを作っている
私は慌てて魔法を止めて、杖をしまった

「珍しいですね、卿が庭に来るなんて」

「お前を呼びに来たのだ」

とっくに夕食の時間を過ぎている、と卿は懐中時計を放り投げた
それをキャッチして時刻を確認すると、確かに針は遥か昔に通り過ぎた後だった

「ごめんなさい」

「それからもう一つ」

卿が杖を振ると、空に掛かっていた雲が薄く広がり大きな満月が現れた
ガーデンランプなどなくても、十分に庭を見渡せるほどの月明かりが少し眩しいくらい

月明かりを浴びた満月草が一斉に開花した


「綺麗……」

「満月の光で開花すると、より良い材料として収穫できるからな」

「……重ね重ねご迷惑をおかけして申し訳ない」

私が頭をぺこりと下げるのと同時に、卿が杖をしまうのが見えた
顔を上げると、卿は薄く微笑んでいた

「まったくだ」


ああ、私はこの人のことが嫌いじゃないな

なんとなく、そう思った


ぼすん、と腹部に軽い衝撃
キャッチしたそれは籠だった

「早く収穫しろ」

……前言撤回、この人は相変わらず傲慢で冷酷無比で俺様です

「卿の馬鹿」

「……アバダ・ケダブラ」


それでも嫌いになれないのは、きっと卿の純粋さの所為
私は少しの覚悟と、この夜の空気を胸にしまった


満月の下で、満月草は綺麗に咲き誇っていた


−−−− -

蕾はどんどんと

開花に向けて育つ


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