*オリキャラ注意





 あれは確か、彼用の鍵を作りに行こうと思い至った、そんな矢先のことだったと思う。

 帰路の途中、駅前のコンビニの中がぼうっと夕闇の中で殊更光っているように見えた。ガラス越しに見慣れた淡萌黄が透けている。見たこともない雑誌の上を冷ややかな視線が滑り、剥がすように指がページを捲った。

「知り合い?」
「え、」

 横からの明るい声が、ガラスに引っ付いた意識を引き離した。立ち止まってしまった自分と並び立つ同僚の、茶色い巻き髪を伝って辿り着いたその目は正確に彼を捉えている。増設された睫毛に縁取られたそれがきらきらと潤んで見えた。

「彼、ノエルの知り合い?」
「あ、うん。そうだけど……」
「男の子なの」

 問いかけに答えるようなタイミングで、彼がふと顔を上げた。距離はそんなに近くはなかったはずなのだけれど、彼は迷い無くこちらを見た。
 笑う。彼はいつも惜しみなくその魅力を振り撒くのだ。そのどこか空々しい笑顔のまま、彼が携帯を持ち上げる。口を二度動かして画面を叩いた。見て。携帯を? 渋々、白地に薄緑のラインが入った携帯を取り出す。受信メールが一件。操作している間、隣からは何の声も聞こえなかった。

「……ノエル」
「なに?」
「彼のアドレス教えて」
「え」
「……嫌だったら断ってくれていいわ」

 驚くべきことに、こうして話している間も彼女の視線はぶれなかった。彼の方を見てみても、ただただいつものように微笑むだけ。『こういった場合』の対応は慣れているだろうとでも言わんばかりだった。
 この携帯には彼の名前がふたつある。
 無意味なアルファベットが羅列するアドレスと、よく判らない英単語が一つのアドレス。血が通っているかいないか、それだけの違いだと彼は言った。どっちがどっちなのかは、教えてくれなかったけれど。

 急いたように歩き出す彼女を追う。『教える場合』用の、普段使わない方、無造作過ぎてまるで覚えられないアドレスを画面に呼び出した。手をひらひら振る彼にはしかめっ面を返す。
 さっき開いた受信メールは見慣れた英単語のアドレスからで、『おかえり 行ってきます』とだけ書かれていた。





 その後作った鍵は呆気なく彼の手に渡った。作った瞬間は無駄になった気がして、投げやりに鞄の底へ放り投げていたけれど。だってもう今度こそ、彼は帰って来ないような気がしたのだ。それが杞憂だったことを喜ぶには、何かが足りない気もする。
 鍵を渡してからも、彼はメールを律義に寄越してきた。お疲れ様今日は来たよ、とか、ご飯作っとこうか、とか。行ってきますという一言や、あるいは何も連絡が無い場合、それは別れに他ならない。一時的であるか永遠であるかは彼だけが決められる。毎回17時くらいに届くそれは、一種の予定表のようだった。

「――じゃあさぁ、ノエルちゃんの家行っていい?」
「え?」
「今日ちょうどシチューだっていうし。俺ノエルちゃんの料理食べてみたいし。一人暮らしだったよな?」
「そうですけど、でも……」

 普段より一歩分近い先輩の声が、少しだけ高い気がする。幸か不幸か、17時半を過ぎてもなお待ち受け画面のメールアイコンに変化は無い。あんなものを自分でリクエストしておいて、彼はどういうつもりなんだろう。断る理由が無くなってしまった。

 漠然とした決まりがある。自身の中で、何故だか彼と同僚――つまり息苦しい密室で生活する人間は、同じ空間に居てはいけないような、そんな馬鹿馬鹿しい予感があった。例えば海水魚と淡水魚に近いだろうか。彼に惹かれていく知り合いを引き合わせることに、抵抗は感じていなかったはずなのだけれど。

 また先輩が一歩を詰める。指が白くなるほど握り締めた携帯は震えてくれなかった。匂いがする。慣れない、つんとした匂いだった。記憶の中の彼はもっと柔らかい匂いがしたと思うけれど、匂いの記憶なんてあてにならない。
 違和感は感じていたのだ。初めから。


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