花は咲いたのだから
彼に他意は無いと分かっているのに。
それでも揺らいでしまう自分が、ひどくおかしく思えてしかたがなかった。
かくん、と視界が傾く。
自分の足場がいきなり消えてしまったような錯覚。
「──ぁ」
思わずあげた悲鳴は、息の多く混じった微かなものでしかなかった。
今さっきまでは、ただこのルーアンという美しい街を3人で観光をしながら歩いていただけなのに。
なぜ歩いていた場所に突然穴が出来たのかとか、このルーアンになぜ穴があるのかとか、いろいろな考えが頭の中をかき回す。
緩慢な思考の中で、脳は一番現実的なことを強く示した。
倒れる──!
しかし理解した瞬間、視界の傾きが止まった。
支えられる。力強い腕に。
「──クローゼ、大丈夫?」
降ってきた声に、やっと意識が覚醒する。
ゆっくり目線を上げると、飛び込んでくる漆黒の髪。
その近さに心臓が止まりそうになった。
声も出ないまま飛び退こうとすると、右足に違和感を感じ、さっきとは反対側にぐらりと身体が傾く。
右足がまだ穴に入ったままだということを思い出したのは、また彼に助けられた後だった。
「……本当にすみません、何度も……」
「いや……怪我はない?」
「はい、大丈夫です」
今度は落ち着いて、気が気ではなかったけれどそれでも落ち着いて、身体を離す。
痛い。
心臓が悲鳴を上げているようだった。
自分とは違う大きな手だとか、腕だとか、優しい、匂いとか。
待ちなさい私はなにを考えてるんだと頭を振る。
彼には少し不思議そうに見られたが、気にしないことにした。
そのかわり、自分が右足を突っ込んでしまっていた穴を見る。
それは特に珍しくもない、排水の為の溝。
だが、横に列なっているはずの溝の蓋が、1つ外れていた。
そこに自分の足ははまったらしい。
「──どうしたの?二人とも」
声につられて視線を上げると、謎の物体を抱えた栗色の髪の少女がいた。
彼は呆れたようにため息をつき、彼女の方に歩いていく。
「君こそ何を買ってるんだか……」
「可愛いでしょこれ!ほらほらほら!」
──二人が楽しそうに話して、彼女が柔らかな髪を踊らせて走っていく。
それを彼は呆れながら、それでも少し楽しそうに、歩いて追いかける。
自分は、それをただ見つめていた。
きっと散ってしまう。
そんなこと、きっと初めから知っていた。
──でも確かに、蕾は開いたはずだ。