きみの温もりに手をかけた
ここ何時間か、エステルの声を聞いていない。
ふとそれが気になって、こちらに背を向けてベッドに三角座りしている彼女を振り返った。白い寝間着の背中に栗色が広がっていて、真昼の日差しのようだと思う。
子供が拗ねているようなその格好は可愛らしかったけれど、返事をしてくれないという条件があった。このまま、仲直りしないで眠るつもりだろうか。
原因は、些細なことだったのだろう。
その証拠に、彼女も自分も覚えていない。
ただ、エステルは少し意地になっていたように思う。ああやって無言の反抗を決め込むくらいには。
──女性の嫉妬は男の理想を越える程に可愛らしいと、そう言ったのはあの自由奔放な皇子だっただろうか。
全く同感だった。彼女があんなに怒っている原因が、自分を強く想っているからこそだなんて。
そう考えると、何故か彼女の声が無性に聞きたくなって、溜めていた息を吐き出すように名前を呼んだ。
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「エステル」
声が聞きたいなぁと、ぼんやり考えていた時だった。そうやって、甘く名前を呼ばれたのは。
どうしてだろうといつも思っていた。どうして彼は、こんなに甘く慈しむように、この名前を口にするのだろう。どうしていつも嬉しそうに溶けた笑顔で、こっちを見ているのだろう。
唇を固く結ぶ。返事をしないのは、もはや意地だった。すがるように膝を抱いて、機会を待つ。
ぎしりと音を立てて、身体を乗せたベッドが軋んだ。彼が近づいたのかもしれない。心臓がうるさいくらいに激しく打つ。
片想いだった──否、片想いだと思っていた頃に、戻ったようだった。彼の一挙一動を、身体がいちいち意識している。
だから彼の腕が滑るように腰に巻き付いた時も、気を抜いていたら悲鳴を上げていたかもしれない。ベッドの次に座り込んだ場所は、彼の脚の上だった。
「エステル、なにか言って」
震えを隠すように首を振る。そんな声や言葉を、耳元で囁かないで欲しかった。頭がどうにかなってしまう。
彼の漏らすため息が、首筋を滑っていく。身体が茹でられたように熱かった。
「……いくら言葉を尽くせば、君に全てを伝えられるんだろう」
──充分すぎると、声が出たなら言っていた。
溢れてしまいそうなほど、いろいろなものをもらった。だからもう、充分。そう伝えるべき喉が、言うことをきかない。
彼が耳に唇を寄せる気配がした。限界なんてものはとっくに飛び越えている。どうなろうと、結果は同じだ。
「──愛してるよ、エステル」
爆弾のような愛の言葉を最後に、まともな思考はどこかへ飛ばされてしまった。