廻れ廻れ、季節は唄う
冷たい空気の中に、時たま温かい風が混じるようになったこの頃。
くしゃみが出るように、昔の事を思い出す。ふとした瞬間、突然だ。そしてそれは、振り切ることが出来ない。幼児のように、震えて過ぎ去るのを待つだけ。
同時に、不安を形にしたような粘りを持ったなにかが心を覗き込んでくる。忘れたのか。まさか忘れているのではないだろうな。忘れるなどということが、許されるとでも思っているのか。低い声だ。耳を塞いでも鼓膜を震わせる。
そんな時は、決まってハーモニカを探した。愛情しか詰まっていない、安心しかしない、世界に一つだけの金属。
そして同時に、彼女を探した。その姿を見るだけで、驚くほど身軽になれる。決意や希望、そういった陽の感情が、いくらでも湧き出てくる。
手入れしていた武器を脇に置いて、部屋の扉を開けた。そうして聞こえたのは、澄んだ歌声だった。
「――ゆきが、とけて」
純白に脱色された巨大な布が、風ではためいている。このシーツはこの宿のもので、太陽に晒され風に吹かれる為に干してある。その作業を手伝いたいと言ったのはエステル。久しぶりの休暇で暇だからと、お人好しにも買って出た。
「はっぱが、うまれて」
一人でやりたいと言うから放っておいたのだけれど、まさかこんなに量があったなんて。
姿は見えないが、歌を歌っているあたり、楽しいのだろう。姿は沢山の薄く柔らかい壁のせいで見えないけれど、声で分かる。
「はなが、さくの」
こんな唄、聞いたことがない。
随分と幼い、けれど温かい唄。どこで知ったのだろうか。
「そしておひさま、は」
シーツを分けて、声を頼りに彼女を探す。聴けば聴くほど、彼女の声には思えなくなる。歌声とはこんなに、違って聞こえたか。
「――いのちを、つくる」
数ある白いスクリーンの中に、細い影を映すものがあった。
足早に駆け寄り、シーツごとその肢体を抱きしめる。
「ぅわっ!」
メロディが驚きに変わり、腕の中で彼女がもがいた。正体の分からない何かに抱き着かれて、抵抗しない訳がない。
「んんっ……――あ、ヨシュアでしょ!」
逃れる為だった動きが明らかに攻撃に変わり、顔から胸にかけて拳が飛んでくる。姿が見えないからか、なかなかに容赦がない。こっちは何も言っていないのに、違っていたらどうするつもりだろうか。
「歌もきいてたわね、もう」
歌、という言葉に反応してしまったことに気づいたのか、腕の中が大人しくなった。それだけで、全てを見透かされたような錯覚に陥る。わざわざ彼女を探した理由。見つけた時、声をかけずに抱きしめてしまった理由。
「……いい、歌でしょ?」
さっきの唄のように柔らかい声。シーツ越しに、彼女の頭が重みを持って触れる。それがあまりに、愛しい。
「ここの子供達に教えてもらったんだよ」
母のように優しい口調。何度か聞いたことのあるそれ。
――その度に、彼女はこの心を闇から救いあげてくれた。
温かい風は、新しい季節の訪れなのだと。
冷たい冬の次は、幸せな世界が待っているのだと。
「あったかい――春の、歌だよ」