変わらぬ愛を君に捧ぐ
青年は幼い頃、結婚という儀式は単なる政治的行事でしか無いのだと本気で思っていた。愛なんていうものが本当に存在するとも思わなかったし、在ったとしてもその有象無象の愛とやらを誓わせる事自体、無駄に思えて仕方がなかった。
少し年を重ねて恋を知った時も、その感情は酷く虚しかった。恋の次はきっと愛だろう。愛に繋がるのはきっと、結婚だろう。あぁ、それで終わりだ。美しかったのは片想いの時間だけ。青年という立場の人間が想いを伝えるという事は、すなわち政治的行事の予定を決めるということ。
想いを伝えられた者は必ず断らない。もしくは、断れない。青年が持つ皇子としての権力故の恐怖か欲望か。何にせよ、そこに愛情は存在しない。繰り返されてきた事実だ。青年の時も例外ではないだろう。
それをどこか達観した気分で青年は眺めていた。絶望に似た諦めが、そうさせていたのかもしれない。
――そして、愛に焦がれてもいた。
いくら注いでも返ってくる事の無い、その尊さに、美しさに。
青年が大人になり、世界をより広く見渡せるようになった頃。
様々な人々と出会い、様々な事を知り、青年は奇跡とも言える恋をする。
皇子というきらびやかな装飾を物ともせず、ただ純粋に、青年の愛情を受け取ってくれる女性に出会う。
青年は賭けをした。
この女性が、結婚という一種呪縛のような契約を受け入れてくれた時。初めて、愛情を信じる事が出来る。恐怖からでも欲望からでもない、それはただ純朴な愛なのだと。
――ならば、負けはしない。
完璧でなく、普段のように余裕もない。けれどこの美しい誓いの為に、青年は決して負けない。
仮面は未だ外せなかった。
けれど、素顔を知る者は次々と増えていく。
彼女との関係は――そう、よく冷えた果実酒に似ていた。
「おかわりー……」
「残念だけど、今ので最後だねぇ」
カツッとかなり強めにグラスがテーブルへ叩きつけられた。テーブルの上、下。そこら中に琥珀色の瓶が転がっている。もちろん全て空だ。
仕方なく自分のグラスと彼女のグラスを入れ替える。半分位しか残っていないが、無いよりはマシだろう。
テーブルに突っ伏したまま動かない彼女を見下ろしながら、ここまで酔った彼女を見るのは初めてだと思った。その前に自分が潰れてしまうからだ。
そんな自分がそもそもなぜ素面でいるのか。それは単に彼女の一言によるものだった。
『飲まなくていいから、最後まで話聞きなさい』
今になってどうして彼女がそんな事を言ったのかは分からない。けれど何も言わずに付き合った。話は何であれ、選んでくれた事が嬉しかったのかもしれない。
と言っても、話らしい話はあまりしなかった。彼女はただ酒を流し込んで『おかわり』と言うだけ。その透明なグラスに液体を注いで、その場つなぎの世間話。
しかし不思議と居心地が悪いとは思わなかった。その翡翠を称えた瞳が溶けていく様子を眺める事も決して退屈ではない。
彼女が、グラスの酒を一気に飲み干した。かなり強い酒なのだが、彼女にとっては平気なレベルらしい。
「……おかわり」
またテーブルに引っ付いた彼女に苦笑が漏れる。普段は誰もの姉であるような顔をして、けれど酔いが回ればただの子供だ。
注文通り何かあげたいのだが、周りを見渡しても、懐を探ってみても、これといって渡せる物が無い。
ため息をついて、彼女の髪に触れる。閃光のような、銀。短くなった姿を初めて見た時は残念だと思った。しかし同時に、彼女らしいとも思った。
「……ボクからはもう、あげられる物は何もないよ」
『自分』というちっぽけな存在が捧げられる物は、全てさらけ出してしまった。最大であり最終である、結婚という切り札すら。
指輪以上のものが、どこにある。
「あんたって……ほんとバカ。いっつもあんなこと言ってるくせに……」
声が漏れたのは、彼女の腕の中からだった。そこにあるであろう彼女の艶やかな唇から。
「……かわりに愛をあげる、くらい言ってみなさいよね……」
――夢うつつ、だったのだろう。
それはつまり、本心、だということで。
「シェラ君、きみって人は……」