止まらぬ想いと抜けた青空
ブレーキが壊れかけている。
自転車のハンドルに手を掛けたところで、そんなことを思い出した。いつからだったか、この相棒は急停止する度に耳障りな悲鳴を上げ始めていた。最近は軽く握っただけで金切り声を漏らすのだから、これは相当ガタがきているとしか思えない。
「……帰りに修理持っていった方がいいかな」
この学校から修理屋までは随分距離があるのだが、何分乗るのが自分一人ではないため、面倒でも性急に対処しなければならない。『彼女』に危害が及ぶ可能性は、とことん潰すことにしていた。
それに彼女は修理屋の女の子を妹のように慕っている。今から行くと言っても、面倒くさがるどころか喜ぶだろう。彼女は元来、何に関しても前向きに取り組む性格をしていた。気を揉むだけ無駄なのだ。
そうやって彼女の事ばかり考えていたからか、背後に慣れた気配を感じた。噂をすれば影。世界は本当に良く出来ている。
彼女が僕のパーカーのフードを掴むのは、呼びかける上でどうも必要な行為らしかった。
「おまたせっ。帰ろヨシュア。どっちがこぐ?」
「じゃあ、ティータのとこ寄って帰るの?」
「そうだよ。でも、あんまりちょっかいかけないようにね」
頭の上あたりから声が降ってくる。普段とは逆のそれに、心なしか緊張を覚えた。
こぐ足を止めれば、小刻みに急かす音が彼女との会話の邪魔をした。仕方がない。速度を出しすぎる訳にはいかないのだから。
「それより座って、エステル。何のために修理行くのか分かってる?」
「だってこっちのが風気持ちいいんだもん。それに、ヨシュアなら大丈夫でしょ?」
信頼を寄せられるのは、悪くない。それに全力で答える自信はあるし、何よりしっかりと肩に掴まる手の温もりが嬉しい。
ただ、柔らかな膨らみを押し付けるのは止めて欲しかった。そちらに意識を持っていかれて、安全運転出来る自信が無くなってしまう。
まぁ、言ったところで彼女には分からないだろうし、場合によっては質問責めにされるので言わないが。
帰り道はずっと下り坂。力を抜いているようでちゃんと安定している彼女の身体に、よくもまぁあんな足場で立てるものだと思う。
「……指さむっ」
そんな短い言葉を合図に、ずぼっと手をフードの下に突っ込まれた。片手で器用に身体を支えながら、彼女の手は湯たんぽでも撫でるようにフードの下をまさぐる。
なんとなく気恥ずかしい。いつものことだと割り切れないのは、何故だ。
「いいとこみっけ。すごいあったかい」
下り坂。真っ直ぐ。また、下り坂。
彼女と触れ合った場所に重みと熱さを感じる。その熱は二人のものが混ざり合って、さらにその温度を上げているようだった。まぁどっちが主に熱を上昇させているかは明白だが。
「あのね、ヨシュア。次から後ろがいい。だって」
照れたように笑う。
止めてくれ、ブレーキは壊れかけているのに。
「ヨシュアの背中――なんか好きだもん」
キキィ、と甲高い音。
どうやらブレーキは本格的に壊れたらしい。
けれど下り坂は終わることを知らないようで、まだまだずっと先まで続いている。
さらに急になる長い坂を、僕はハンドルをコントロールしたまま走れるだろうか。
転げれば彼女を傷つける。
スピードを出しすぎれば制御出来なくなる。
どちらにしても、彼女への想いは加速する。
――ならば精一杯、僕は闘おう。