温もりを知らずにいれば




 とてもとてもきれいな、蒼空の絵はがきを見つけた。

 それは押し入れの奥から埃を被って出てきたけれど、色褪せもせず、鮮やかな青色をしていた。発見した時の興奮といったら、まるでこの部屋に母と眠っていた頃に戻ったみたいだった。
 ――お掃除をすると身も心も綺麗になって、きっといいことがあるわ。
 その通りだ。お母さんの言った通り。なんてささやかで、小さな幸せなんだろう。母が居たこの空間が祝福してくれているらしい。新しい家族との生活を。

「エステル」

 開けっ放しのドアを叩く音に振り返る。夕日を背負った黒髪の青年が、心なしか得意気に微笑んでいた。隣の部屋で自分と同じく掃除をしていたはずの彼の手には、手の平サイズの木箱。あぁ彼も同じことを考えたのだなと、頭の端で思う。

「あたしが行こうと思ってたのに」
「まぁまぁ。それよりこれ、見覚えない?」
「んー……微妙。ヨシュアの?」
「君のだよ。ほら」

 かぱりと箱は簡単に開いた。覗くのは、硝子の破片が丸く削れたもの。小さな押し花。紫の色素がこびりついた小瓶。かろうじて形が分かる四つ葉のクローバー。螺旋を形作る枝。

「宝物箱!」

 思い出が怒涛の勢いで溢れ出してきて、危うく泣いてしまいそうになった。覚えていようともしなかった、何てことの無い日々が急速に鮮やかさを増す。

「なっつかしい! でもなんでヨシュアが持ってるの?」
「君が押し付けたんじゃないか。ヨシュアは宝物係だ、とか言って」
「そーだっけ? あ、これ『女神様の涙』よね」

 水色の硝子を一つつまむ。石に揉まれながら削られ、丸くなったもの。幼い頃は不思議な石だと思っていた。綺麗な色をしていて、時折見る割れたものの断面は透明で。きっと美しいこれは空の女神の涙なのだ。本気で信じていた。

「この瓶は? すごい紫」
「花びらで作った色水じゃないかな。僕も無理やり作らされて」
「全然覚えてないんですけど……」
「被害者の方がよく覚えてるって言うしね。ていうかエステル、これ僕が作った押し花だよ」

 それは覚えている。二人で作って、交換した。ヨシュアが作った白い花の押し花を、崩さないよう大切に箱へしまった記憶がある。

「ヨシュアこそどーしたってのよ」
「……あのね、僕が本に挟んでる栞、ちゃんと見たことある?」
「あれでしょ、白い紙によれた青い花の絵が描いてある……ん?」
「絵じゃないよ」

 変な栞だなぁと思っていたのだが。あんな幼い頃に作ったものを未だ彼は使っているのか。わざわざ栞にして。妙に恥ずかしさが込み上げてきて、照れ隠しにマメすぎるわよと呟いたら、その時から好きだったからと返された。
 赤い陽射しが強いのでばれないとは思うのだが、目を逸らした彼の顔が笑っている気がしてならない。沈黙を沈黙とも思わない内に彼は手元の絵はがきに気づいたようで、静かに声を上げた。

「綺麗だね」

 絵はがきはたぶん母のものだ。母は素朴で綺麗なものが好きだった。誰かに送るためのものか、ただ綺麗だったからなのか。一面の朱色の中でも煌めくような蒼を見て思う。

「……レンにも、たくさん思い出を作ってあげたいな」

 きっと、哀しい思い出が多かっただろうから。これからは優しく、時に厳しいけれど暖かい思い出を。

「僕らも一緒に、ね」

 頭を撫でられ心地よさに目を閉じると、父と少女の帰宅を告げるように、玄関の扉が軋む音がした。


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