或る花束




 そのピアノの音は、静まり返った廊下に反響して、不思議な音色をしていた。不安定で覚束ない足取りでありながら、どこまでも軽快なリズム。なんてことだと思う。心が震えたような。誰が予想出来ただろう。見捨てられた教室が並ぶ北館の音楽室、しかも授業中にこんな目覚めの音があるなんて。自分のような教師のおつかいという訳でもないだろうし、誰が。
 胸を高鳴らせながら扉の隙間を覗き込む。積み上げられた段ボールの空隙、モノクロの鍵盤が切り取られたように見えていた。その上で跳ねる、手も。

「……きれい」

 見とれるように綺麗な指だった。白い肌。絵に似た美しい爪。そして指の節々には、赤黒い液体がこびりついていた。彩りのような血液だ。多くの芸術品にアクセントがあるように、その血は確かに指の美しさを際立たせている。
 ――人を、殴った手だ。
 後退る足が空き缶を蹴った。無粋な金属音で、奇跡のような旋律が消え失せる。

 駆け出していた。世界地図を縋るように抱いて。けれどいくら心臓を騒がせてみても、頭の中ではあの手による美しい旋律が鳴り止まなかった。


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