いつか死んだら君の腕に沈めて





 白いハンカチが舞うのを見た。誰もが前だけを向いた雑踏の中、それはまるで助けを求めるようにアスファルトの上で陽の光を浴びていた。拾い上げた時に、衝撃を腕や肩に受ける。ぶつかった内の何人かはこちらを見ようともしなかった。当然だ。大多数に紛れた異分子は、集団にとって邪魔でしかない。人間であるかぎり、仕方ないこと。

 ふわりと馴れ親しんだ香りがした。誘われるように顔を上げる。髪の長い女性だった。均整のとれた身体で、毅然とした足取りの。

「あの、これ落としましたよ」

 女性は振り返る。――本当は、分かっていたのかもしれなかった。
 全身の細胞が喜びに震えていた。変わらない目も、髪も、全てが温かな思い出を思い起こさせた。

「……ロイド?」

 あぁ、声もだ。どちらともなく歩み寄って、呆然とお互いを見つめていた。





 高校を卒業して、二年近くになる。彼女は地元から遠く離れた県外の大学に進学した。その彼女が年末の里帰りに戻ってきたという今日会えたのは、奇跡的な偶然だったのだと思う。彼女の家は高校からも遠いと聞くし、去年会えなかったのが証拠だ。彼女から何の連絡もなかったことも、理由の一つ。
 駅前のベンチに二人で並びながら、色々な話をした。彼女の口からは二年分の記憶が滑るように紡がれて、自分の耳も、それを喜んで受け入れていた。こちらはかなり雪が積もっている。クリスマスは友人と過ごした。お互い、夢に近づけたか。

「私は、すごく充実してたわ。……ロイドはどう?」
「俺も……うん。多少は成長したかな」

 ぽつぽつと話す内に、言いようのない違和感に襲われていた。違うのだ。高校の時、クラスで何気なく笑い合ったあの時とは、明らかに。変わっていないと思った瞳と、髪。それ以外から目を逸らしていただけなのかもしれない。本当は様々な所が変わっていた。指先を彩る爪も、髪から覗いたシンプルなピアスも、目線の動かし方も。大人びていたのだ。驚くほど。



 ――彼女とは、別に付き合っていたわけではなかった。委員が一緒で、委員長と副委員長というそれなりに近い関係だった。だから、知り合いよりは一緒にいた。ただそれだけ。
 でも、約束はしていたのだ。まだ寒く、春の空気も感じられない卒業式で。夢を叶えよう。お互いにやりたいことを貫いて、大人になって。そうしたら、なんだって出来る気がした。
 けれど卒業して別れてから、彼女と会うことも話をすることもなかった。電話番号も住所も、知っていたのに。



 辺りは暗くなり初めていた。自分達が座るこのベンチは少し前に見つけた穴場だ。めったに人は通らない。ただ街灯や店先の灯りはあまり届かず、エリィの表情はよく見えなかった。
 立ち上がった彼女につられるように腰を上げる。指先が冷たい。どれほど長く話し込んでいたのだろう。

「それじゃあ私、そろそろ行くわ」
「あぁ。ごめん、引き留めて」
「大丈夫、連絡は入れてあるから。それに……」

 揺れるような瞳はビルのイルミネーションに向いていた。クリスマスが終わってずいぶん数は減ってしまったけれど、それでも名残を惜しむように姿を消さなかった其れ。
 彼女の言葉をただ待っているのも所在なくて、先の言葉を予想してみることにした。

「……俺も」
「え?」
「俺も嬉しかったよ。エリィにまた会えて」

 弾かれたようにこちらを向いた瞳は綺麗だった。エリィは白い息を僅かに吐き出して、何かを囁いた気がする。眉がみるみる下がっていく。泣き出しそうな表情だった。

「だったら……だったらどうして、連絡をくれなかったの。電話をひとつでもくれていたなら、私は」
「……俺だってそうだったよ。ずっと待ってた」

 自分からしようと思ったこともあった。けれど、その度に何かが邪魔をした。だって彼女は、謂わば憧れのような人だったから。きっと踏ん切りがつかなかったのだと思う。電話をしても、あの約束すらエリィは忘れているように思えていた。

「私だけじゃないかもしれないと思ったの。貴方は――優しいから。他にもっと特別な人がいるんじゃないかって。……私の中の貴方には、いつも誰かが側にいた」

 声が濡れている。思いもよらないとはこのことだ。同じ。泣けるほど同じだった。うつむく彼女の姿が、あの日見た制服姿の女の子と重なる。喉が言うことをきかなくて、もどかしさから自然に腕を伸ばしていた。

「だから、私は……っ」

「――会いたかった」

 エリィは、思っていたよりずっと柔らかい。言えばよかったのだ。一言。それだけでよかった。腕の中の存在は、こんなにも愛しい。

「声が聞きたかった。顔を見たかった。……君に触れたかったんだ、エリィ」

 暖かい指が背中を這う。あの日に似ている。けれど、何かが明確に違っていた。



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