光に溶けた雪中花


 それから一週間、まともに彼女の顔を見れない日々が続いた。
 妥協案として、学院と寮にいる間は自分たちクラスメイトが、それ以外の場所ではトリスがアリサの側にいることになった。過去の嫌がらせから手口を予想したのも彼だ。そのおかげで、ほとんどの被害を未然に防ぐことが出来ている。ように、見える。自分達に分かるのは、ほとんど普段通りに振る舞う彼女の姿だけ。今現在どんな目に遭っていて、そしてこの事件がどのくらい解決に近づいているのか。そういったことは、彼女に聞く以外知る術が無かった。
 話す機会が無かったわけじゃない。いつも彼女が何か言いたげにこちらを見ていることに気づいていて、それでも気づかない振りをしたのは自分の方だった。まともに見れるようになるのは決まって一日の終わり、彼女がトリスに手を引かれて学院を後にする時だ。やがて真っ先に思い出せる彼女が、後ろ姿のままになっていった。

「アリサ、最近元気ないね」

 大量の教科書を鞄に詰め込みながら、エリオットが呟く。あの日の出来事はすでにZ組の全員に伝わっていた。アリサを守るためにルーレからやって来た青年の存在も、その青年にアリサを任せることにしたリィンの意志も。誰も異議は唱えなかった。ただお前はそれでいいのかと、問うように見つめてきただけで。

「彼に任せてから、被害には遭わなくなったって聞いたけど」
「あぁ」
「僕らも彼のおかげで、練習に穴を開けることなく順調に進んでるよね」
「……あぁ」
「リィンはこれでよかったの?」

 もたれかかった机がぎいと音を立てる。時々ではあるが、一番答えにくい質問を投げかけてくるのがエリオットだった。普段からは想像も出来ないような鋭さで、親しい人間にのみ見せる表情がある。

「……この方法が一番合理的なんだ」
「だったらどうして、最近アリサに冷たいの」
「俺は、別に」
「話がしたいんだろうって、僕でも分かるのに。リィンらしくもない」

 そうだ、分かっているんだ。いつだって他人の機微に気づけるようにと思って過ごしてきた。それに気づきながらも無視をしているのは、初めてのことだった。エリゼはもちろん両親にだって、そんなことはしなかったのに。

「リィンはどうしたいの? 何に、誰に腹を立ててるの」

 華奢な指が開いたままの扉を指差した。目をやった瞬間に、鮮やかな金髪が通り過ぎる。笑っていた。あの日の朝ほど無邪気にでは無いにしろ、それは久々に見る彼女の表情だった。そうだ、この一週間自分は彼女の顔すら、まともに見ていなかったのだ。

「……はっきりとは、まだ分からないんだが」
「うん?」
「苛々するんだ。アリサが彼に、笑いかけただけで」

 そう言った時のエリオットの顔は、きっと一生忘れられないだろうと思う。その後に待っていたのはなぜか笑い声だった。訳がわからなくて、なんなんだと睨む。けれどなんとなく、見ているだけで一番気が緩む笑顔は誰のものかと聞かれたら、自分は迷わずエリオットを選ぶだろう。もちろん良い意味で。本人には怒るだろうから、絶対に言わないが。

「――なぁんだ、それだけ分かってるなら十分じゃないか」

 十分、だったんだろうか。
 そうだったんだろうなと、今では思う。





 部活に向かうというエリオットを見送って、学院祭準備のためにクロウを探して階段を下りる途中、サラに呼び止められた。あれよあれよと言う間に教官室まで引っ張っていかれる。

「これ、図書館までよろしく。緊急ね」

 机の上で塔のように積まれた本を指差して、サラは明るく笑った。思った通りだ。サラが無駄に笑顔を振りまきながら自分を呼び止めるのはほぼ間違いなく、雑用を押し付けたい時だ。なんでも教官達が図書館から借りた本はこうしてまとめて、週に一回当番の教官が返しに行くのだという。その返却期限があと五分しかなく、しかもサラは手が離せない用事があるとのこと。
 状況を把握するのは簡単だった、が。

「こんな量、一回じゃ無理ですよ……」
「まあね。そう言うと思って、もう一人呼んどいたから」

 かなり大雑把に本の塔を半分に分けたサラが、ふと気付いたように顔を上げて、廊下の方向に向かってこっちよと手を振ってみせた。近づいてくる急いたような小走りの靴音に、すうっと、身がすくむ。少しだけヒールのある、ブーツの音。

「――アリサ、待ってたわ。帰るとこ悪いけど、これ手伝ってあげて。お願いね」
「え、ちょっと教か、」

 教官室を飛び出したサラと入れ替わるように隣に立ち並んだのは、予想通りで、そして今誰よりも顔を合わせるのが怖い相手だった。つと、サラを追っていた視線が前触れなくこちらを向いた。緋色が瞬く間に慌てて目を逸らして、本の塔に視線を落とす。一瞬だけ、彼女も同じように顔を背けているのが見えた気がした。

「ええと……この本を?」
「……図書館に運ぶんだ。五分、以内に」
「え、五分以内に?」
「五分以内に」

 サラによって適当に半分にされた塔の、さらに半分くらいを片方から持ち上げて、もう片方の上に乗せる。それをなるだけ軽々と見えるように持ち上げて、今出来る精一杯の笑みを浮かべてやっと、彼女を正面から見ることが出来た。

「急ごうか、アリサ」

 その笑顔はとても下手くそだったのだと思う。なぜって、うんと言って頷いた彼女が浮かべた笑顔もまた、見ていられないほどぎこちなかったから。



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