すべて残らず綾部さんに話した。綾部さんはじっとわたしを見つめながら、最後までだまって聞いてくれた。いつの間にか猫は、綾部さんのひざからいなくなってしまっていた。



あの夜 チラシを見つけたわたしは、それを破って帰ると翌日から準備を始めたのだった。部屋を解約する手続きをし、身のまわりのものを整理し、彼が不在の間に姿を消すことを決めたのだ。ごめんね、どうしても、あなたの「すき」に追いつけなかった。ごめんね。ごめんね。だから逃げます。こころのなかで、つぶやきながら。



うつむくわたしに、綾部さんの手がゆっくりと伸びてきた。しなやかな指で、そっと前髪をかきわけられる。
きっと、綾部さんの大きな目には、眉の上に残るあのときの傷がうつったのだろう。

綾部さんの手はわたしの頬にすべりおりてきて、両手で顔をつつまれた。いたたまれなくなって視線をはずすと、綾部さんにゆっくり引き寄せられて、傷のうえにやわらかくあたたかな感触がした。

綾部さん、。
そう言おうとしたら、こんどは唇を唇でふさがれた。


ふれているだけの、しずかな感覚。綾部さんのやさしい匂いが すぐ近くでする。



ゆっくりと唇がはなれて、綾部さんはふたたびわたしをまっすぐに見つめた。
こつん、と、額と額が重なる。


「なまえ」
「…はい」
「ここは、隠れ家でもシェルターでもないよ」




戸惑いを隠せなくて、言葉も返せなかった。

綾部さんはそんなわたしをぎゅっとだきしめると、出かけてくるね、と耳もとでささやいた。


立ちあがり、遠ざかってゆく綾部さんの後ろ姿を見送ってもなお、わたしはその場から動けなかった。


ここは、隠れ家でもシェルターでもないよ。


やさしい態度とうらはらな言葉を、わたしはどう受け取ったらいいのでしょう。





出かけてくるね、と言い置いて出ていった綾部さんは、その夜帰っては来なかった。



101218



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