灼けつくアスファルトのうえ、ゆらゆらとたちのぼる西陽。開け放した店先からときおり吹きこむ熱風は、扉につるされた風鈴だけを揺らして冷房に負けた。書きかけのレポートの参考資料を閉じて、いちどだけ伸びをする。カウンターの上は本とプリントの山になっていて、隅に置かれたレジがむしろ場違いなように見えた。
ふと外に目をやると一台の自転車が現れた。古めかしいブレーキの音をたて、店の前ちょうどで止まる。乗っていたのは生成のワンピースにエプロンをした痩せた少女。店先に置いてあるテレビに観入っているらしく、そこから視線を外さずに自転車から降りた。
いかにも通りすがりだし家電を買うわけはないだろう。そっとしておこうと決めてレポートに戻ろうとしたとたん、すいませーん と声がした。
「はい」
店の外へ出るととたんにむし暑く、冷房で冷えきっていた腕がじわりとした。
「チャンネルかしてください」
「リモコンですか?」
「そうです」
商品を壊されても困るので、リモコンを手にとり 何チャンネルですかと聞けば、3チャン と返ってきた。
ハイビジョン画面いっぱいに球場がうつり、応援に沸き立つ声。
「なんだ、こーしえんかあ」
わたし平安プリン丸観にきたのに、と不満そうにひとりごちると、彼女はおもむろに視線をこちらにむけた。
「…何だ?」
「低脂肪乳の正体はあなたですね」
おもわず眉をひそめる私をよそに、足もとのドクター・マーチンを鳴らして彼女は自転車に寄りかかった。おんぼろの自転車、すとんとしたワンピースにくたびれたエプロン。ドクター・マーチンとは恐ろしく不似合いな出でたちだったが、ミスマッチさがみょうになじんでいる。
「低脂肪乳のお兄さん、きょうおじさんとおばさんは?」
支離滅裂な言葉を掬いとれば、彼女は私が夏休みで帰省してきている身であることを知っているようだった。大方、いつも店番をしている父か母と話したりしていたのだろう。
「きょうからふたりで母の実家に帰省した」
「それで代わりにお店番を?」
「そうだ」
ふうん と彼女はうなずき、にやにや笑うのをやめない。一体こいつは何者だ。居心地の悪さと暑さに店の中に戻ろうとすれば、ふたたび背後で声がした。
「8月のはじめにね、」
「……」
「おじさんから、来週からいつもの配達に低脂肪乳を1本追加して ってお願いされてたの」
彼女がこちらに振りかえる。よくよく見れば、ぼろ自転車の後輪の泥よけには みょうじ牛乳店 の文字。そうか、牛乳屋の娘だったのか。
それにしても、父が、私が低脂肪乳を好んで飲んでいたことを覚えていたとは。
なんとなく返すことばを失い、騒々しいテレビに目をやった。ピッチャーとバッターがにらみあっている。西陽がじりじり肌を焼く。
「わたしお兄さんに会ってみたかったの。わたしと同い年で、とおくの大学に行ったんだって、おじさんからたくさんお話きいてて、」
…うらやましいな。
そのちいさな声に、一瞬、ほんの一瞬だけ風がやんだ 気がした。
わあっ、と巻き起こった歓声に、おもわずテレビに振りむく。逆転ホームラン、真っくろな選手たちが集まってよろこびあっている。
画面のむこうの大騒ぎを彼女はしっかり見つめてから、よし とつぶやいて自転車にまたがった。
「…、待て」
暑さに頭をやられたのかもしれない。私はなぜか彼女を呼び止め、店の冷蔵庫の中にあったヤクルトを一本とってきて、彼女に手渡した。
「ありがと」
「次は何か買いに来い」
「…お兄さん、」
ヤクルト、似合わないね。
お前のドクター・マーチンこそ似合ってないぞ。そう反論する間も与えず、彼女はエプロンを翻して行ってしまった。
その後ろ姿を見送る私のエプロンには、タチバナ電機 の文字がしっかり刺繍されていた。