髪結い床のタカ丸さんにすきですと言われたとき、一度頭の中がまっしろくなり、まっしろくなったそこに 次々と謎がわいてきた。何か答えようと口をひらいては閉じ、ひらいては閉じを繰り返すわたしに タカ丸さんはあせらなくていいんだよ、と声をかけてくれた。おもわず何度もうなずけば、あっ、頭動かさないでと長い指で押さえられる。

しゃくしゃく、しゃくしゃくと 髪が短くなってゆく音は絶え間ない。ぷつり切られては落ちてゆく黒い線のつらなりを眺めていたら、謎はますます質量をふやしてとうとう口からこぼれおちた。


「すきなんでしょうか」
「…うん?」
「その、わたしを」
「…そうだよ」


タカ丸さんの言うすきです の響きは、お菓子とはまた違う こめかみのあたりをむずむずさせる甘やかさがあった。


「恋人どうしになるということは」
「うん」
「相手のことが大切ということですか?」
「とても大切だよ」
「今日恋人どうしになったなら、わたしはタカ丸さんのいっとう大切になってしまうのでしょうか」


考えるそぶりを見せた彼は、ほどなくしてふたたび手を動かしはじめた。まるい窓から見えた梅の木に、一羽とまったうぐいすが ゆっくりと鳴く。澄んで明るい空のひかりが、この髪結い床の中を一層ひっそりと見せる気がして、わたしは背中がすこしさむくなる。


「お母さまやお父さまよりも、お友だちよりも大切になってしまうとしたらと考えたら、申しわけなくなってしまいました」


しゃく、と鋏の音は途切れて、タカ丸さんがわたしの髪を指さきでかきまぜる。まるでちいさいころのような、おかっぱ頭にもどってしまって どこかくすぐったくもうれしいような。

うなじや鼻すじに落ちた細かい髪を払いながら、タカ丸さんの目がすうっと細くなった。慈しむような視線がつむじのあたりから滑っていって、彼は歌うように言う。


「きみにいちばん似あう髪型も、きれいな花も気もちのいい日も全部ぜんぶあげたくなるような、なまえちゃんは僕にとってそういうおんなのこだよ」

「父さんも母さんも、もちろん友だちもみんな大切で みんないちばんなんだ」

「比べることなんてできないくらい、みんながすきだよ」

「みんなみんないちばんだけど、でもなまえちゃんは、」


はっとしたように言葉を切ったタカ丸さんは、そのまま目を伏せ口を噤んだ。わたしの腕を支えて立たせ 着物を軽く払うと またおいで、とわたしの肩を押す。光の溢れかえる外へと出されてしまえば、戸のむこうは暗くて 目も眩んでなにも見えなかった。タカ丸さんは最後、どんな顔をしていたのだろう。やさしい声が諭すような口調が、どこかぴんと張りつめていたような そんな気がした。


しゃくしゃく、しゃくしゃくと 耳の奥から離れない音がある。軽くなった頭を揺らしてみたりしながら辿る帰路、タカ丸さんの声や指がみょうによみがえって わたしは何度も何度もふりかえってしまった。


120412



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