喧嘩するほど仲がいいという言葉は私となまえとはまさに対極にあって、私たちはふつうよりも少し いや、かなり 言葉の足らない恋人どうしだったのかもしれない。正面きってぶつかりあって不穏な空気が流れてしまうことを恐れ、皮膚の表面をなでるだけのような会話をして得た ぺらぺらの安心感。しかし 自分で言うのも情けないことこの上ないが私は元来めんどうな男で、できることなら毎日すこしでも顔を見たいし、それが無理ならば電話くらいはしたい。対人関係全般において淡泊ななまえの前でそんなことをこぼしてしまったら、彼女はそれなりだまってしまった。私もばつの悪さから口をつぐんだ。

そうしてお互いに沈黙したまま、ひと月が過ぎていた。




「おーい三郎!」


同じ大学に通っているというのに、ハチに会うのはすこぶる久々のような気がした。カフェテリアの人ごみをかきわけて走ってきた笑顔がまぶしいのは相変わらずで、私も軽く手をあげて応える。


「久しぶりだな」
「いやぁ、ここんとこ実験続きで学科の棟にこもりっきりでさぁ。あっもう昼は食った?ていうか三郎、なんか痩せたんじゃないか?」


かばんを下ろして椅子に座りながら矢継ぎ早に質問を繰り出すハチに、昼はまだ、あとたぶん痩せた、と順番に答えを返す。近ごろのハチが忙しさからかなり疲れ気味だという話を雷蔵から聞いた矢先、うわさをすれば何とやらのように 当の本人からメールが来たのはついおとといのこと。すこし話があるという内容のそれは、どうやらいつもつるんでいる顔ぶれを抜きに 私だけにむけたものだったようだ。


「で、何なんだよ話って」
「まぁそう急がなくてもいいだろ、積もる話も」
「ないぞ」
「…だよな」


呼びだしておきながら 一向に話を切りだそうとしないハチは、あー だの うー だの、言葉にならない声を発しながら首の裏をさすっている。


「いや、なまえのことなんだけど」


第三者の口から聴くにはいささか刺激的すぎる名前に、コーヒーの紙コップを持った手が おもわずびくりと震えた。コップをテーブルの上にもどし、両手を膝の上にととのえれば 私はまるで叱られる子どものようじゃないか。相変わらず唸っているハチの、次の言葉を待ちわびているのに 耳をふさぎたくもなる。


「なまえさ、モロッコ行った」


「……はぁ?」


…モロッコ。

……モロッコ?


事態を呑みこもうとして 喉がえずいた拍子に顔をあげると、ハチは眉根を寄せたまま、やはり叱られる子どものような顔をしていた。


「…モロッコ」


口に出してみれば ますます現実感が遠のく。


「…一週間くらい前だったかな。突然俺のとこに来て、モロッコに行ってくるって」
「……」
「あまりに突拍子もないもんだから、俺もモロッコってどのへんだっけとか そんなことばっか考えちゃってさ」
「…北アフリカだよ」
「三郎にはちゃんと報告したかって聞いたんだけど、なまえ黙りこんで」
「……」


頭を抱えたまま ためいきが漏れた。ようやく少しずつ整理されてきた思考回路が、それでもパンクしそうで悲鳴をあげている。


あいつ、何してんだよ。ひとりでどこ行ってんだよ連絡もしないで。何でよりによってそんな安全性が微妙なところ選んだんだよ。女ひとりだぞ、わかってんのか。


私に何も言わずに、どこ行ってんだよ。



学生でにぎわう昼下がりのカフェテリアだという状況を忘れそうな程度には私は混乱していたのか、目の前に赤やら黄色やらの靄がかかったようだった。



そんなに私が言ったことが嫌だったなら謝るから。
謝るから、だから、行くな。帰ってこい。帰ってこい一刻も早く。



目の前でハチが動く気配がして、俯いたままの視界に、すっと茶封筒が差し出された。

鉢屋三郎さま と書かれたそれは どこかさみしげな まぎれもなくなまえの字だ。


「まぁそう落ちこむなって!もう会えないわけでもないし、ちょっと長めの旅行だろ。俺も多少調べてみたけど、気をつけてれば大丈夫そうな感じだったぞ」
「……」
「…っあー、あ、やべっ、俺もう行かなきゃだ。じゃな、三郎!元気出せよ!」


わしゃわしゃと、まるで大型犬にでもするかのように私の頭をかきまぜると、ハチは身軽な動作で席を後にした。

気まずくて逃げてんのばればれだっつーの。昔からどこまでもわかりやすいやつ。


残された封筒を手にとると、おもっていたよりもずっと軽くて かさかさとした紙の表面が指の先にくすぐったいくらいだった。封を開けて中身をのぞくとルーズリーフが簡単に折りたたまれているだけで、底のほうからふわりとなまえの家の匂いが漂った。そして確信した。


あー、だめだ。

こんなの読む勇気ないっての。


頼む。頼むから早く帰ってきてくれ。何でもするから。

毎日は会えない普段も、電話ができないひと月も、もう全然幸せなので、お願いします。黙って遠くに行かないでください。






モロッコより愛をこめて






鉢屋三郎さま

このあいだモロッコティーというお茶をはじめて飲みました。すごくおいしかったです。甘党な三郎はきっと好きだとおもいます。
そのときたまたま読んでいた雑誌にモロッコのエッサウイラという街の写真が出ていました。偶然にびっくりしたのでモロッコへ行ってきます。
白い壁の街を見るのが楽しみです。本場のモロッコティーも楽しみです。地球の裏側みたいに遠い砂漠で月や星を見ながらきっと三郎のことを考えるとおもいます。
電話はできないけど手紙を書きます。帰ってきたら仲直りしようね。

なまえ



110909


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