そのとき、ただなんとなく、その夜に逃げ出してしまいたくなったのです。気づいたときには、既に夜を駆けていました。星たちはきらきらと光りながら、私を見下ろしています。勢いよく飛び出したはいいものの、私は行く宛を持っておりませんでしたので、すぐに途方に暮れてしまいました。それでも私は足を進めます。足元にあった小石に躓きそうになりながら、生い茂る草木を掻き分けると、そこにはもうひとつの夜がありました。湖でしょうか。それは、星の光とはまた違った不思議な色をしていて、私には興味深く映りました。湖には、ひっかき傷のように細い月が浮かんでいます。「夜はこうやって笑うのだなあ」思わず呟いた私の声は、夜のしじまに消えていきました。「面白いことを言うね」それは紛れもなく、男の方の声でした。私以外に人がいるなどとは微塵も思っていませんでしたので、肩がこれでもかというくらいに震えました。月明かりにぼんやりと照らされた声の主であろう方を見て、私はまた驚きました。なんと、その方の頭には、魚の尾ひれがついていたのです。「に、人魚姫」「じゃあないよ。私が女に見えるかい」私が頭を振ると、その方はお月さまみたいに笑いながら、水を掻き分けて泳ぎました。ばしゃり、と音をたてながら泳ぐ姿をみて、羨ましく思いました。「気持ちが良さそうですね」「とても気持ちがいいよ、君も泳ぐかい」その方は簡単に言いましたが、私は一度も泳いだことがありませんでしたので、そんなお誘いを受けたのも初めてでした。なんだか泳げないということが急に恥ずかしく思えて、私は咄嗟に口をつぐみます。何も言わない私を見て、その方はぱちくりと瞠目を数回繰り返してから「泳ぎ方は今度教えてあげよう、だからまたおいで」頭に魚の尾ひれがついていたって、そんなものは関係ありません。私が今まで会ったどの方よりも、優しく、綺麗でありました。「あなたとお友達になりたいです」「友達かい、嬉しいな」またその方は笑いました。今度は私も一緒に笑います。けらけら。けらけら。これが私と深い夜の不思議なお友達とのお話です。



20110719
夜が笑った日 title by Largo



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