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椿という花をご存知ですか。わたくしの故郷にある、花なのですが。冬から春にかけて咲く花でしてね、わたくしはその花がいっとう好きで、子供の頃は時間を忘れてその花が咲く様を見つめていたものです。あなたは知らないかもしれませんが、椿は赤い色をしておりましてね、それが、しんしんと降り積もった白雪の上に、ぼたり、ぼたりと音をたてながら、それは見事に、そして、潔くおちてゆくのです。わたくしはその椿がおちてしまう時が最もいとおしいと思えましてね、少しだけさみしくもあり、かなしくもあるのですが、わたくしはやはり目が離せなくなるのです。







「……苦しい、ですか?」


真っ白な雪の上に、真っ赤な斑点が、ぼたり、ぼたりと落ちている様は、遠い昔に、祖母が作ってくれた葛湯を飲んで、とろとろと微睡みながら見た、白雪の上におちた椿の色と同じで。そのうつくしさに思わず息が止まりそうになりながら、横たわる彼の手に、自分のそれを重ね合わせました。するりとした、陶器のようにすべらかなその手は、大好きだった祖母の、皺だらけの手とは比べものにもならず。わたくしは確かにあの皺だらけの手も好きだったのですが、当の昔に遠い処へいってしまわれた祖母のことは、今となってはその存在すら幻のように思えてしまえて、だからこそ、過去の記憶の中でしか生きていない人のその手よりも、今この時、重ね合わせている手を、いとおしいと思えてしまうのです。


「レギュラス、苦しい、ですか」
「……何故、あなたは、」
「レギュラス、あなた、とてもうつくしいです」


わたくしを見上げる瞳は、うつくしい灰の色。薄墨のようで、だけどそれよりもいっとう輝いている、瞳。わたくしをうらめしそうに、だども、かなしげに、見つめる灰色。ああ、ごめんなさい。わたくしは、あなたを苦しめたくはなかったのに。うまく、苦しくないように、痛くないように、そう思っていたのに、あなたは苦しそうに、胸を上下させている。ごめんなさい。わたくしはただ、あなたをわたくしの永遠にしたかっただけなのに。ぼたり、ぼたりと落ちたあなたの赤は、それはそれはうつくしくて、ああ、わたくしは、なんて愚かで、そして、しあわせな人間なのでしょうか。


「何故、こんな、ことを……」
「あなたと共にいきたいのです」
「なのに、どうして……」


椿という花をご存知ですか。わたくしの故郷にある、花なのですが。冬から春にかけて咲く花でしてね、わたくしはその花がいっとう好きで、子供の頃は時間を忘れてその花が咲く様を見つめていたものです。あなたは知らないかもしれませんが、椿は赤い色をしておりましてね、それが、しんしんと降り積もった白雪の上に、ぼたり、ぼたりと音をたてながら、それは見事に、そして、潔くおちてゆくのです。わたくしはその椿がおちてしまう時が最もいとおしいと思えましてね、少しだけさみしくもあり、かなしくもあるのですが、わたくしはやはり目が離せなくなるのです。


あなたから、目が、離せないのです。あなたをわたくしの永遠に、してしまいたいのです。あなたを誰にも、触れさせることなどしたくはないのです。永遠に、わたくしのもので、いてほしいのです。椿という花は、わたくしがどんなに願っても、やがて音もなく腐って消えてしまいますし、あなたもそうでしょう。だから、うつくしいものは、うつくしいままに。いとおしいものは、いとおしいままに。わたくしの、永遠になって欲しいのです。記憶の中ですら、朧になりつつある、祖母とは違って、あなたは、わたくしの永遠になって欲しいのです。


ぼたり、ぼたり。白雪の上に、赤が落ちる。わたくしの赤は、あなたのそれよりも、幾らかうつくしさが欠けますが、自分のものですから、仕方ないのかもしれませんね。苦しい思いをさせてしまって、ごめんなさい。こんなにも苦しいとは、思いませんでした。だけどこれで、あなたと、わたくしは、ふたりきり。永遠に、朧になることもなく、うつくしいままで、いきていられますね。


くらりくらりと揺れる世界の片隅で、最後に見た風景は、やはりどこかで見たことがあるようで。ああ、あの幼い日、微睡みながら見た光景は、椿ではなくて、祖母の赤だったのだと、今更思い出しました。わたくしと、レギュラスの周りに散らばる赤は、椿のそれによく似ていますが、やはりそれもまた、椿ではなくて。うつくしいのですが、どこか気持ち悪さのようなものもありまして、わたくしは重い目蓋をおろして、レギュラスの上に崩れ落ちました。遠退く意識の中に浮かんだのも、うつくしい赤なのですが、思考を止めてしまったわたくしの頭では、それが椿なのか、わたくしかレギュラスの赤なのか、まるで見当もつきませんでした。ただ一つわかることは、これでレギュラスと、共にいくことができるということです。レギュラスと辿り着いた先には、祖母が待っていてくれる気がしました。


(2011)

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