main | ナノ


いやだいやだいやだいやだ。ジェームズは泣きながらその言葉を繰り返す。涙と鼻水とあとはよくわからないもので顔中ベタベタにして、彼は私に縋りついて泣き喚く。名前を呼んでも、彼はぐずぐずと泣きながら私の両手をきつく握りしめて拘束するだけで、私の声が聞こえているのかいないのか、まったく判然としない。掴まれた手首が、ギリギリと音をたてているような気がして、こわくて、かなしかった。この痛みは確かなものの筈なのに、私には他人のことのように思えて、そんなふうに思う自分に、恐怖を感じた。


「ねぇ、ねぇ、いやだよ、いやだよ、僕はいやだよ」
「ジェームズ、」
「いやだよっ!!」


ジェームズは髪を振り乱して泣き喚きながら私の頬を打った。じわりと口の中に鉄の味が広がって、気持ち悪くなった。胃から熱いものが喉元までせりあがってきて、吐き出さないように口を閉じた。穴が空いているんじゃないかと疑ってしまう程に、毎日ギリギリと痛む胃が、まさかこんなふうに活発に活動するなんて、思ってもみなかった。


「ジェーム、ズ……っ、」
「ねえ、なんで?なんで?僕はこんなに君のことが好きなのに、なんで?なんで?」
「っ、う、あ……」


何度も頭を床に打ち付けられて、さすがに意識が朦朧としてきた。頭が、痛い。それに、すごく熱い。もしかしたら、血が流れているのかもしれない。痛くて痛くて、どこが痛いのかもわからないくらいに痛い。外側も内側も、心も身体も、本来なら癒してくれるはずの、ジェームズの手で、声で、言葉で、遺伝子で、ボロボロにされて、何が何だかわからない。


顔中ベタベタの彼と、身体中ベタベタの私。ねぇ、どうして、なんで、私たち、もっとちゃんと愛していた筈なのに。あなたの愛は、ねぇ、愛じゃないのかもしれないの。気付いていないで、気付かないふりをして、傷つけて、傷ついて、それでも愛しているって、アイシテイルって、言うの。


「……ジェームズ、きいて」
「うっ……ううっ……」


朦朧としながら、ジェームズに手をのばして、涙と鼻水と、あとはよくわからないものでベタベタになった彼の頬にそっと触れる。すぐに私の手はいろんなモノでべたべたになって、何千何万何億の未来を殺した。ジェームズの頬は、思っていたよりもずっとずっと温かくて、私がいつか唇を落とした頬と寸分違わなかった。


「ジェームズ、だいすきよ」
「うん、うん」
「ジェームズ、あいしてるよ」
「うん、うん。うん。そうだよね、ね。君も僕のこと、好きだよね。愛してるよね」


ジェームズは私の手に自分のそれを重ねて、ぼろぼろと涙をこぼしながら子供のように笑った。今私の目の前にある笑顔は、ずっと変わらないのに、どうして、いつか言ってくれた愛してると、この愛してるは違うの。どうして、私はちゃんと、答えることができていたはずなのに、どうして、こんなにも、痛いの。


「ね、だから、ずっとずっとずーっと、一緒にいようね」


小さな子供のように甘えるジェームズ。彼は本当に純粋で、だからこそ彼は、私を傷つける。彼は、おそれている。私に嫌われることを、なによりもおそれているのに、私に傷をつけて、自分を無理矢理刻み付けることしかできない。力のない私が、ジェームズに適う筈がない。こんなふうに、ジェームズに触れてほしくなんか、なかった。こんなふうに、私をあげたくなかった。こんなふうに、ふたりで、苦しみたく、なかった。一緒の筈だったのに、なのに。


「ずっと、いっしょ、ね」


どうしてこうなったのだろう。私、ちゃんと彼を愛していたはずなのに。今は何ひとつ、本当の言葉なんて、ない。こんなこと、望んでなんていなかったのに、逃げないのは、もう、私が私じゃなくなってしまったからなのかな。ねぇ、ジェームズ。あなたの瞳に映る私は、あなたが愛した私ですか。私の瞳に映るあなたは、私が愛したジェームズの筈なのに、あなたの筈なのに、あなたを、ちゃんと愛せないよ。


(2011)

top