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「ジェームズとリリーが……」


死んだよ。リーマスの声が、冷たく響いた。わたしは彼が何を言っているのか理解ができなくて、ただ、リーマスの顔を見つめることしかできなかった。悪い冗談ならば、なにかの間違いならば、はやくそう言って欲しい。それなのにリーマスは、もう一度、死んだよ、と、抑揚のない声で言った。


ジェームズとリリーが死んだ。シリウスがアズカバンに投獄された。ピーターは指一本だけを残して吹き飛んだ。次々とリーマスの口から語られる友人たちの末路を、どうして簡単に信じることができるだろう。


いやだ、うそだ。だれも、死んだりしていない。また、みんなで会おうと、約束したばかりなのに。うそだ。うそだ。うそだ。足に力が入らなくなって、床に膝から崩れ落ち、力の抜けた手からグラスが滑り落ちて、音を立てて砕けた。頭が真っ白になるって、こういうことなのだろうか。


涙を流すと、すべてが本当になってしまうような気がして、泣きたくなかった。それなのに、あとからあとから涙は止まらなくて、わたしは声を上げて泣いた。まだ新しいフローリングに涙が落ちて、ちいさなみずうみが生まれるさまを、わたしとリーマスは、見つめ続けた。


リーマスは、泣いていなかった。





「今日は、蒸し暑いね」


3日前に満月を終えたばかりのリーマスは、いつもよりずっと疲れているように見えた。小さく息を吐くリーマスの頬には、まだ新しい傷が生々しく口を開いている。シャワーを浴びてしっとりと濡れた髪から滴を落としながら、リーマスは頬の傷にわたしが作った軟膏を塗った。本当に今日は、蒸し暑い。


「リーマス、何か飲む?」
「ああ、うん。炭酸水をちょうだい」
「うん」


冷たく冷えた炭酸水を、バカラのグラスに注ぐ。このグラスは、リリーとジェームズの結婚をお祝いしたお返しに、ジェームズがくれたものだ。本当は二個で一対だったけれど、あの日、わたしが壊してしまってからは、このひとつだけになってしまった。


「傷、痛いよね?」
「ううん。君の薬がよく効くから、もう痛くないよ」
「そう。よかった」


リーマスは疲れた笑みを浮かべながら、炭酸水を一口飲んだ。ふたりの葬儀が終わって、もう半年以上が過ぎた。少しずつ、少しずつ、わたしたちは話せるようになったけれど、1年前の今頃と比べると、ずっと、わたしたちの間に言葉は少なくなっていた。


「リーマス、右手、怪我してる」
「……ああ、本当だ。でもこれくらい、放っておいてもすぐ治るよ」
「だめ。ちゃんと治しておかないと、痕になるわ」


リーマスの手は男性のそれらしく、大きくて厚い。だけど、魔法薬の調合をするために荒れてしまったわたしの手と比べると、ずっと、驚くほどやわらかく、やさしい手だ。この手に傷が残るなんて、リーマスがなんとも思わなくても、わたしが許せない。


引き出しにしまっていたハンドクリームを取り出して、リーマスの隣に座る。自分の手のひらにハンドクリームを出して、少し温めてから、彼の右手をそっと包み込んで、ハンドクリームを塗りこむ。傷がついていても、彼の手は、変わらずやわらかくやさしかった。


このハンドクリームは、手が荒れることを悩むわたしに、マグルのものだけれどよく効くからと言って、リリーがくれたものだ。リリーはそのとき、わたしが今リーマスにしているように、わたしの手を取り、そのやわらかい手でクリームを塗ってくれた。


リリーからプレゼントを貰うのははじめてではなかったけれど、このクリームはどうしてかもったいなくて、少しずつしか使えなかった。そのせいかわたしの手がリリーの手のようにやわらかくなることはなかったけれど、それでも、少しでも長く大切にしたかった。


こういうものはもったいぶらずに贅沢に使ったほうがいいのよ。なくなったら、また買ってくるから。リリーは少し呆れたような、照れたような顔をして、笑った。だけどわたしはどうしても、少しずつしかクリームを使うことができなかった。


同じマグル出身で、寮では同室だったから、リリーとはホグワーツに入学してすぐにいちばんの仲良しになった。やがてリリーはジェームズと付き合うようになって、そのときは親友を取られたような気がして少しさみしかったけれど、ジェームズの隣で笑うリリーが、誰よりもしあわせそうで、わたしはそんな彼女が大好きだった。


リリーがジェームズと付き合うようになって、自然とわたしはジェームズたちと過ごす時間が増えた。その中にはもちろん、リーマスもいた。いつもどこかしらに怪我をしている彼のために、わたしが傷薬を作ったのは、6年生のときだった。ありがとう。と言ってわたしをみつめるリーマスのその笑顔が、とても好きだと思ったのを、今でも鮮明に覚えている。


「……なにを考えているんだい?」
「リーマスに、はじめて傷薬を作ったときのこと」
「ああ、そんなこともあったね」


リーマスの手を包み、軽くマッサージをするように手の甲にクリームを塗りこむ。続いて、親指から順番に、指にも一本ずつ丁寧にクリームを塗る。親指と人差し指は、他より少しだけ硬い。中指には小さなさかむけができている。薬指には、何の痕もない。小指はすらりときれいだ。


すべての指にクリームを塗り終わって、若い恋人がそうするように、戯れで自分の指とリーマスの指を絡ませあった。いつもはかさついているわたしの手も、今は少しだけ、やわらかい。きゅっと力を込めると、同じように握り返されて、少しだけ安心した。


「どうして泣くの?」
「……ごめん」
「泣かないで」
「……うん。うん」


リーマスは、泣かない。わたしに親友たちの死を告げたときも、葬儀のときも、泣かなかった。わたしが何日も何日も泣き続けても、葬儀のときに咽び泣いても、彼は一度として涙を流さなかった。ただ、うつむいて、唇を噛み締めるだけで、決して涙を見せることはなかった。


だけど一度だけ、彼がわたしに隠れて泣いていたことをわたしは知っている。すべての葬儀が終わって、めまぐるしく日々が過ぎ、久しぶりにこの家に帰ってきた日の夜。リーマスは憔悴しきった顔で、わたしの薬指を見つめながら、たった一言、ごめん、と言った。その一言で、わたしはすべてを理解した。涙があふれてきて、わたしはリーマスの目の前で嗚咽を抑えることもできず、大声で泣いた。リーマスはもう一度、ごめん、と言うと、そのまま自分の部屋に姿を消してしまった。


ハンドクリームと一緒にしまっておいた、小さな箱。それを見たのは、ずいぶん久しぶりのことだ。去年の今頃、リーマスがわたしに贈ってくれたもの。永遠を誓う、シルバーの小さな輪。いつかはこうなればいいと思っていたけれど、思っていたよりもずっとはやくその時がやってきて、とても驚いたけれど、それ以上にうれしかった。


リリーはもちろん、ジェームズもピーターも喜んでくれた。シリウスはよかったな、と言って、どこか寂しそうに、にやりと笑った。後から知ったことだけれど、シリウスはわたしのことがほんの少しだけ異性として好きだったらしい。リーマスからその話を聞いたとき、驚きすぎて声が出なかった。他人事のように笑うリーマスに、気まずくないの?と聞くと、ヘタレのシリウスが悪い、とリーマスは笑った。


その小さな誓いの証が、わたしの薬指で輝いたのは、そのときだけで、今日に至るまでそれがわたしの薬指に帰ってくることは、一度としてなかった。きっと、これからも、引き出しの奥深く、誰の目にも触れられないまま、終わるのだろう。そんなこと、どうしてあの日に想像できただろう。


「わたし、リーマスのことが、すきだよ」
「……うん」
「リーマスは、わたしのこと、すき?」
「……うん」


1年前であれば、僕は愛しているよ、と、言ってくれたのに。涙はとめどなく流れて、テーブルの上に、ちいさなみずうみをつくった。あの日と同じ、ちいさな涙のみずうみ。わたしはあのときも、今も、泣いている。リーマスは、あのときも、今も、泣いていない。


わたしたちはなにも言えないまま、涙のみずうみを見つめ続けた。バカラのグラスは割れていないけれど、ひとつだけになってしまったそれは、もう戻らないあの日々であり、掴めないたくさんの未来のようで、余計に涙が止まらなくなった。


大切な友人たちと、ずっと、笑っていたかった。いとしいこの人と、ずっと、生きていたかった。わたしの薬指は、あの日の誓いなんてまるで嘘だったかのように、痕ひとつなくて。どんなに時が過ぎようと、わたしたちが失ったものの大きさを知るばかりで、前を向いて生きるには、わたしたちはまだ、あまりにも幼かった。


(2014)

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