「盛りを過ぎた花ほどうつくしいと思わないかい。僕は盛りを過ぎた花がなによりも好きでね……」 いつか、いつだったかは忘れてしまったけれど、今から遠い昔に、彼が言った言葉だ。否、やはりそれ程過去の話ではなかったかもしれない。いつ彼がこの言葉を発したのかは思い出せないでいるけれども、何故かこの言葉を忘れられないでいる。 この言葉を聞いたとき、私は思わずはてと首を傾げてしまった。普通ならば花は盛りに見るものだし、それが一番美しいとされる。それなのに彼は、盛りを過ぎた花がうつくしいと言った。 その言葉と共に渡された遠い異国の地の花は、盛りを過ぎて今にも花弁がこぼれ落ちそうになっていた。確かに言われてみればうつくしいのかもしれないが、その時の私にはそうは思えなかった。ただ、強く鼻孔を擽る甘い蜜のような芳香が、どうしてだかおそろしく思えた。果たしてあれは、いつのことだったのだろうか。 「何を考えているんだい」 記憶していた彼の声よりもいくらか大人びた声が、私の鼓膜を震わせる。聞き慣れないその声に戸惑いを覚えながらも、最後に彼の声を聞いたのは随分と昔だったから当たり前かと納得した。それにしてもどうして、あんな昔のことを思い出していたのだろう。ああ、瞼が重たい。 「辛いかい」 「わからない」 「そう」 「リドル」 「なんだい」 問いかけてみたものの、あの言葉の真意を知ることはできないような気がした。それでも、そうだとしても、この微睡みの中思い出されたあの言葉の真意を知りたいと思った。ああ、もう、口を開くことすら億劫だ。 「昔、盛りを過ぎた花が好きだって、言ったわね」 「ああ」 「あれ、どういう意味?」 「忘れてしまったの?」 「うん……ねえ、もう、瞼が開けられないの、ねえ、リドル……」 彼が笑った気がして、重い瞼を開けて、霞む目で彼を見つめた。うつくしい、おそろしい程にうつくしい彼のそのかんばせに浮かぶ笑みは、慈愛に満ちているのに、それと等しく蔑みが満ちていた。 うつくしいかんばせに浮かぶ、紛れもない侮蔑と、かなしみ。彼はいつからこんな顔をするようになったのだろうか。それとも私が知らなかっただけなのだろうか。 「盛りを過ぎた花ほどうつくしいと思わないかい。僕は盛りを過ぎた花がなによりも好きでね」 「……うん」 「だから君は、うつくしくあってほしい。……忘れたんだね」 「……リドル、わたし、は」 霞む目では、もうなにもわからなかった。耳も、うまく聞こえない。声も、まるで言葉を忘れたかのように、喉の奥で絡まっている。彼が何をしたのかも、彼が何を言ったのかも、彼に言いたかったことも、何も、わからなくなってしまった。 「やっぱり君は、うつくしくないね」 ああ、ねえ、どうして。私、うつくしくありたかったのに。あなたに認めてもらえるような、そんなうつくしさがほしかったのに。彼の最後の言葉は、あまりにもうつくしくて、うつくしくて、痛みも与えないまま私のいのちを貫いて、深いかなしみを残して、私の魂と、消えた。 私は、うつくしくありたかった。盛りを過ぎた花が、それでも必死に芳香を匂わせ、花弁が朽ち果てるその時までうつくしくあろうと醜くもがくように、うつくしくありたかった。彼に、認めてもらいたかった。ただ、それだけが願いだった。 私のいのちは願うようにうつくしくあることなく、彼が唱えたおそろしくうつくしい言葉によって、あまりにもあっけなく、盛りを過ぎた花のように何も残すことなく、消えた。 (2012) |